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【長文エッセイ】心の雨〜高校2年秋〜

今日も雨。
私は昔から雨が大嫌い。
雨の日は世界が全く違って見えてしまう。


あれは高校2年の秋。
高校生活を友達と充実して過ごしていた私は、自分がきっかけを作った些細な事でケンカをし、仲間外れになった。
また1人になってしまった。
中学時代も1人だったけど、その頃とは何かが違った。

きっと『仲間』という初めての自分の居場所を知ってしまったのだろう。
そう感じたことで、なくなった時の辛さが何倍にもなり私を襲った。

1人でいるのを見られるのが恥ずかしかった。
お昼はトイレで隠れておにぎりを食べた。

「学校に行きたくない…」

勇気を振り絞って…初めて親にそんなSOSを出した。

『そんな相手は無視しろ』
『学校に行け』

当時の私にとって、そんな発言しかしてくれない親は…全く自分の気持ちを理解していないように感じた。

ある日…父が、喧嘩した友人の悪口ばかり言うことで私の中で『プツン』と何かの糸が切れたようになり…生まれて初めて父に反抗し、取っ組み合いのケンカとなった。
それ以降、家では一切会話をしなくなった。

学校にも家にも居場所がなくなった。
いや、最初から居場所なんかなかった。

もはや生きてる意味が分からなくなり
生まれてこなければ良かったと感じ
私はその時、未来への希望を失った。


その日は朝から曇り。いつも通り
「行ってきます!」
と家を出た私は、登校する学生たちにばれないように、学校とは反対の道に進んだ。

こんな事をして、厳しい両親にすごく怒られる。先生にも怒られる。でも、もうどうでもいい。私は二度とこの場所には戻ってこないと心に決めていた。


一人で誰も知らないところに行こう。

とりあえず、人がいないところを探し歩き、
近所の人通りがあまりない河原についた。
体育坐りでボーッと川の流れを見ていた。
川の流れは少しゆっくりそうに見えたが、木の枝や落ち葉などを乗せて流れていた。


『戻ったら絶対怒られる』
『私にはもう戻る場所も、行くところもない』

『私も流してくれないかな…』


足を踏み入れたくなり、恐る恐る…小さく1歩進んだ。
靴の中に水が入り込み、とても冷たい。
何故か分からないけど、涙が出た。

もう1歩、もう一歩…泣きながら私は進んだが、その先から急に流れが速い場所になった。
私は、怖くて怖くてそれ以上進めなくなり、しばらくその場に立ちつくした。


『あと2歩踏み出せば全てが終わる。もう苦しまなくていい』


でも、当時の私には、どうしてもその2歩が出せなかった。
怖くて震えて泣きながら、私はその場に立ちつくした。


と、その時、はるか遠くの方から犬の散歩をする人がこちらに向かってくるのが見えた。

『やばい、見つかる!!』

わたしは咄嗟に川から出て、何事もなかったかのように、全速力でその場を駆け去った。


先に進めなかった。
どこに行こう…
濡れてしまって足が寒い。
でも警察に補導されて連れ戻されるわけにはいかない。
私には戻る場所がない。
もうこんな場所は絶対に嫌だ。
逃げたい。
消えたい。



それから私は泣くのを必死にこらえ、人目につかないような道を選び、いかにも遅刻して学校に向かう、もしくは早退して家に帰る学生に見えるように、考えながら歩き続けた。

そして家から少し離れた住宅地にある木材置き場にたどり着いた。
基本的に、いつも人がいないのを知っていたので、私はここで作戦を練ることにした。


プレハブのような2階建ての建物があり、道路から死角の場所に階段があり、私はその階段の下に隠れた。

我慢していた気持ちが一気にあふれ出し、どっと涙が出た。
バレないように、声を出さないようにうずくまって泣いた。
そして、これからどうしようか必死に考えた。


大金は持っていない。
電車で行けることまで行くとしても制服では目立つ。
そうだ、母親にプレゼントを買うフリをして古着屋で安い服を買おうか
でも商店街は補導されるかも…

そんなことをグルグルと考え、答えが出ずにただうずくまっていた。 


何時間経ったのだろう。
携帯もない、時計もない。
でも昼を合図するサイレンはとっくに鳴り終わっていた。

ここもいつかバレる、場所を変えないと。
誰かがどこかから見ているかもしれない。
補導されるかもしれない。
そろそろ商店街に向かってもおかしくない時間帯だろうか。

とりあえず電車に乗って出来るだけ遠くに行き、絶対見つからない場所を探そうと…
高校2年生なりに必死に考えた。
そしてあてはなかったけど、私は逃げるようにその場から歩き出した。




ちょうどその時、ベタなドラマのようにポツポツと雨が降り始めた。

でもそんなことはどうでもよく、焦るわけでもなく。わたしはそのまま、ただ歩き続けた。


間もなく、急に通り雨のように雨が強く降り始めてきた。

私には、もはや走ろうという意思も気力もなかった。頭から足の先までずぶ濡れのままで歩いた。

どのくらいの時間だったのだろう。その強い雨はしばらく続いたように感じた。

しかし、雨に濡れているうちに心に溜まっていた悲しみや苦しみがどんどん…次から次へと溢れ出てきて、涙が止まらなくなった。


『生まれてこなければ良かった…誰も私を助けてくれない』


何度か歩道で立ち止まって泣いていた。
行く当てもなく声を出して泣きながら、ただ雨と一緒に涙を流し続けた。
強い雨と雨音が私の涙を隠してくれた。
まるで森高千里の『雨』の歌詞のように、自分の苦しみを雨が流してくれていたかのように…。


小雨になりながらも雨はやまなかった。
私はただ彷徨っていた…のだろう。
ここからの記憶は若干曖昧である。

でも確か、その時にはもう涙は出でいなかったと記憶している。

多分、すれ違った人は何人もいただろうけど、誰からも声をかけられることはなかった。


その時の私が何を思っていたのか、どこを歩いたのかはほとんど覚えていない。
一番適切な言葉で表現出来ないが…気持ちなんて何もなく、ただ無心で歩いていたような気がする。

1つだけ
『今なら川に入れるかもしれない』
と思った気持ちだけはよく思い出せる。


…でも、どうやってたどり着いたのかは全く思い出せないが、気がつくと私は学校に来ていた。

職員室の窓から私を見つけた数人の先生方が走って出て来た。

記憶が断片的で、どの先生が出てきたのかも何人いたのかも、時間も雨が止んでいたのかも全く覚えていない。

でも誰かに「よく戻ってきた!」と言われたことと、とても寒かったこと、安堵感があったような感覚は、よく覚えている。


その後私はジャージに着替え、職員室で毛布にくるまりながら暖かいお茶をいただいた。

「親やみんなにこんなに心配かけて」
「もっと強くなれ」

などと言ってくれた先生もいた。
私を想っての言葉だったのは分かるが、その言葉たちは当時の私の心には全く響かなかった。


でもある1人の先生はそうではなく、ただ私の気持ちに寄り添ってくれた。
『あなたのいいところは、素直で真っ直ぐで繊細で傷付きやすいところ』
そして、卒業するまでいつも私の話を聞き、味方になってくれた。

その後も私が学校に通えるように、卒業出来るようにクラス替えを提案したり、私が学校に来やすいような策を試行錯誤してくれた。

おかげで友達とも仲直りができ、残りの1年を充実した時間を過ごせた。
今でも私を支えてくれる、親友たちである。

親にも自分の気持ちを少しは言えるようになった。
この部分に関しては今でも苦手分野だが…


ちなみに1年前、その恩師に偶然再会。
勇気を出して話しかけてみると覚えてくれていて、思い出話に花が咲いた。

卒業式の日、目が合った瞬間に涙が溢れて言葉にならず、お互い何も言えず、ただ私の肩に手を乗せて泣いていた先生の姿を思い出した。



…あの時になぜ『2歩』が出なかったのかは分からない。
尋常ではない恐怖心が、足を止めたのかもしれない。

でも気が付くとなぜか学校にいた。
逃げ出したはずの学校なのに…
他のどこでもなく、無意識に学校を選んだのは、

『そこに私を救ってくれる何かがある』

と本能的に感じていたのかもしれない。

それは
『先生』だったのかもしれないし
『友達』だったのかもしれないし
『自分を変えたい』と思った気持ちなのかもしれないし
別の何かだったのかもしれない。


そして本当は

『生きたい』
『助けて欲しい』

と思っていたんだと、今となっては振り返られる。


それから私は「心理カウンセラー」になりたいと思うようになった。


絶望の淵に立たされ、人に命を救われた自分が…

同じように感じる誰かの心に寄り添いたい
誰か一人でもいいから命を救いたい

と思ったことが、目指すきっかけだった。


人生に絶望し『自死』という選択をするほど追い詰められる人がたくさんいる。
私のように居場所を見失った子供もたくさんいる。

そして、昔は全く気付かなかったけれど…大人になっても居場所を感じられず苦しむ人たちがたくさんいる。
みんなに笑顔を振りまきながら、心は泣いている人がいる。

でもそんな時こそ、周りをよく見てほしい。
自分を支えてくれている人が必ずいる。

『私の周りにはいないよ!』

なんて感じている人もいるかもしれないが、本当はいる『支えてくれている人の優しさ』に気付けないほど、心が傷ついているのかもしれない。

そして世界人口80億人もいる中で、助けてくれる人はきっと必ずどこかに存在する。



…まぁ、勉強を全くしていなかった私がそこから学力を巻き返すことは難しく、大学受験は失敗。
結果、当時目指した仕事には就けてないけど、近からず遠からずの仕事をすることは出来ている。


『誰かの命を救いたい』

なんて、私などには到底出来ないだろうと、今となっては理解できる。
でも今でも、その気持ちだけは変わっていない。

そして今は、誰かの『心の命』に寄り添い、生きていきたいと思っている。



雨が降ると色んな感情や出来事が頭を駆け巡る。

でもその多くは、その後の自分ではなく、あのびしょ濡れになって泣いていた瞬間の自分。
生きることが苦しくて耐えられなかった自分。
消えてしまいたかった自分。


時に
自分がその場にタイムスリップしたような
その時の自分とリンクしているような…
脳裏にその時の場面や苦しかった感情が映像化されたような…
その感情に何と名前を付けられるのか分からないような…
そんな感覚になる。

間違いなく言えることは、心が壊れそうで胸が張り裂けそうになるほどの、思い出したくもない不快な気持ち。

その回数は大分減ったが、今でも雨が降ると時々思い出しては、苦しくなることがある。

だから雨の日は大嫌い。


でもそれは…
あの時の自分の姿を忘れないように
あの日から20年以上も生きて来られたことを忘れないように

そして、あの経験を私の強みに出来るように

神様が私に与えてくれた『試練』という名の『恵みの雨』なのかもしれないなと…今は思う。

そしてこの『恵みの雨』を自分の心に降らせ、心に小さな花を咲かせていきたいなと思う。
それがいつか広大な花畑となることを信じて…
 


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