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私にとっての仕事とお金(4)

自分の仕事を振り返っている。
これはその4回目。

Webのシステム開発案件に参加していた頃の話の続きである。
2000年の春、28歳になろうとしていた。

これまでの会社員人生で、何度も怒ったり、泣いたりした。でもここから2004年までの4年間、ちょうど28歳〜30歳前後の頃が精神的に一番しんどかった。

私は今でも、別の道を選ぶならこのときだったなと思っている。システム開発の仕事と決別するチャンスは、まさにこの時だったのだと。

最終的にその道を選ばなかったわけだが、良かったのか、悪かったのか、自分自身でもわからない。


出来ることと、出来ないこと


Webシステムのプロジェクトが終わった時、いつものようにチームは解散し、メンバーはバラバラになった。

すっかり親しくなったSさんもプロジェクトを離れ、チームには10歳ほど年上のリーダーと、5歳上でメインのYさんの他、私が残された。

次のプロジェクトは同じ客先での似たような案件だった。結果的に前回のWebシステムの評判が良く、同じ仕組みで別のサービスを作りたいと言う。新規ではあるが、前の開発の考え方が流用できた。

私は初回のプロジェクトに参加していたこともあり、設計から参加することになった。設計プロセスでは、データの構造や、実現するプロセスの入出力定義や機能を日本語で定義していく。

Yさんというお手本が近くにいたこともあり、比較的スムーズに仕事に当たれた。このプロセスはプログラミングより確実に向いていたと思う。

「前の時は思ったよりできないなという印象を持ったけど、設計になったら頑張っているみたいだね」

部長に、半期ごとの面談でそう言われた。

「これならやっていけるかもしれない…」と、うっすら手応えを感じた。だがしばらくして製造工程(プログラミング)が始まると、また底に沈んだ。

設計したものをどう実現すればいいかわからないのだ。実現のために調査をしても回答が導き出せない。

チームに新人が入ってきたが、作るものの量と質は、あっという間に追い抜かれた。


孤独感

システム開発の仕事は、プロジェクトの発足と進行に沿って、人の集合離散が繰り返される。

同じ客先の類似したシステムの開発案件ではあったが、メンバーは入れ替わっていた。

新しいメンバーとはまったく話が合わなかった。新人の女性とは一番年が近いのは私だったが、すぐに会話もなくなった。他にも別のチームに女性が数人いたが、彼女たちだけでキャッキャッと楽しそうに話している。

前回のWebシステムで一緒だったリーダーやYさんはいたものの、以前は関係性が良かったこの二人に対しても、なぜか心を開くことをできなくなっていった。

中でも、リーダーとの関係の変化は一番辛かった。

最初の頃はとても優しかったその人が、なぜかだんだん冷たくなっていった。私が質問しても明らかにイライラされる。だがイライラされる原因もわからない。なぜなのか聞く勇気も持てない。リーダーは他の人にはとても優しい。昔の私に対してのように。

「いったいあの子と私の何が違うんだろう」。

会社の誰にも相談できず、時には一日中ろくな会話もないまま、家に帰る。最寄り駅に着いて彼氏の顔を見た途端、涙がこぼれたこともあった。

「どうして冷たいのか本人に聞いてみたら?」
「絶対に嫌だ。聞くのが怖いよ。」

孤独感にさいなまれるようになった。

そのうち、私は内蔵に病気が見つかり、入院して手術することになった。
開発に異動してから頻繁にあった深夜残業、適当な食事、ストレスなどが蓄積していたのだろうと思う。

手術には不安があったが、この場を離れることにほっとしていた。静養が必要だからと、長々と九州の実家で過ごしたりした。

でも会社に戻ると、また同じことが繰り返される。

眠気におそわれ、仕事中に眠りこけてしまうことも増えた。とにかく毎日眠かった。寝たくはないのに、とてつもない眠気に襲われる。

部長は違う人に代わっていた。

開発に異動してから3人目の部長となるその人は、ほとんど社員と関わろうとしない。そのわりに職場でわたしが眠っているとメッセージでちょいちょい注意してくる。たまに半分馬鹿にするように、こちらを見て笑う。
パーソナリティ的にも陰湿で、合わないと感じる人だった。

当たり前だが私に対する評価が絶望的に低いのは肌で感じていたし、実際に正社員の評価を表す等級も低いままだった。

私は寝るたびにその人に注意されていた。



仕事をやめたい

「もう辞めたい。」
「この仕事はやっぱり向かない。」

いつしか、そう思いつめるようになっていった。 

今思えば、いろんな複合的な原因があったにも関わらず、「これは私が仕事ができないせい」と、思い詰めていた気がする。

しかもここで言う仕事とは「プログラミング」であったが、今思うと短絡的である。なぜなら仕事とは1つの局面だけではないからだ。

実際に私はちょくちょく客先への説明にYさんの代わりに行くことがあったし、別のユーザーの業務フロー分析の打ち合わせに連れて行かれたこともあった。
もしかしたら、物事を整理したり、人と話したり、といったところは当時から買ってもらっていたのかもしれない。しかしそのことに気づいたのはだいぶ後のことだ。

それまでも辞める機会は何度かあった。

最初のファームウエア開発の仕事についた頃、社長室時代に私が書いた文章を絶賛してくれた顧問から直接電話をもらったことがある。「わたしの仕事を手伝いませんか?」というものだった。

第一線を離れているその人が一体何をしているのかはわからなかった。非常なお金持ちで、企業のトップとも知り合いのその人についていけば、違う世界が開けたかもしれない。しかし、電話口で断ってしまった。

「ありがたいですが、この世界でやっていきたいので…」

自信も未来も見えないのに、そう答えていた。

またある時は、実家で母や兄と一緒に暮らす独身の叔母がこっちに帰ってこいと言った。私がいかに会社でポンコツかという話をしたら、気の強い叔母が「頭がいいあなたがそんなわけはない」と息を巻くのだ。

叔母はある組織でかなり権限を持つ人間だった。その組織であるシステムを一新するプロジェクトがあるという。
「そのプロジェクトリーダーにならんね?わたしが言えば通るから」
「プログラムも書けないこんな若手がプロジェクトリーダーになるわけなかろ。」
何を寝ぼけた馬鹿なことを言っているのかと思った。

またあるときは、古い友人にネットワークビジネスに誘われたこともある。

「給料が安いんでしょう?これで楽になろうよ」。人の足元を見るなよと思った。
「その商品がいいならあなたから買うのはいいよ。でも会員になるのも、人を誘うのも、絶対にいや。そんなことをしてお金持ちになるなら、今のままで結構だよ」。

強がりなのか、何なのか。

思い出すと、20代後半の私も、毅然と自分の道を選んでいた。

お金もなく、スキルもない。弱々しく見える私をある人は助けようとし、ある人は利用しようとしたのだと思う。でも全て断った。

憐れまれるのはごめんだ。
自分1人で道を切り開くんだ。

50歳の私は、そんな20代の女の子を遠くに眺め、愛おしく感じる。

しかし反面、実際にはいつまでも自分に自信が持てなかったし、その気持ちはどんどん強くなっていった。

いや正確には少し違う。あの頃の私は今よりずっと、人が認めてくれないと嫌だったのだ。誰からも褒められないことに耐えられなかったのだ。本当は自分が認めてあげれば良かっただけだったのに。


資格の学校へ

こんなはずじゃなかった。小さい頃は得意なことが色々あった。ずっとそう思っていた。

会社ではパッとしないし、眠気ばかりに襲われる。

開発に異動した最初の頃は強気でいたと思う。しかし30歳を前に、そんな強気は消えていた。そして多分色々と限界になっていた。

孤独を感じ、リーダーとのコミュニーケーションに悩み、もうこの仕事は無理だ、あきらめようと、そればかり考えるようになっていた。

いくらなんでも、もっと違う何かがあるはずだと。

「何か別のことを身に着けて、全然違う仕事につきたい。」

ある日、本屋で資格取得のパンフレットを眺めた。何でもいいからIT以外のことを身に着けて、仕事にしたい。

いくつか候補をピックアップした中から、司法書士を選んだ。特別の専門課程もいらない試験だけの資格だったし、独立性も高いという。
また大学のときに受けた民法の授業が面白かったという、単純な理由も後押しした。そして正直に言うと、これで人生の逆転を考えていたのだ。

しばらくして高田馬場に本校がある資格学校に入校を決めて、土日や平日夜に通うことを始めた。土日は高田馬場まで、平日夜は飯田橋や渋谷にある分校まで通った。

学校に通っていた時のことはとても覚えている。名物先生だという人の名前、顔や口調まで、今でも目に浮かぶ。

法律はすべて文章と解釈の世界だからなのか、アウトプットもせずにひたすらインプットしているだけだったからか、授業を聞くのは楽しかった。

アルゴリズムはあんなにわからないのに、これなら理解できる。脳がやっと喜んでいる気がした。

近所のショッピングセンターで買ったへろへろのTシャツに学生時代のデニムをはき、ナイロンのバッグをさげて、すっぴんで学校に通った。
わたしにはオシャレなんて必要ない、学生なんだから、と。

「私はこの仕事に着くんだ。向きそうな仕事に着いて辞めるんだ」

そう思うと胸が躍った。
その勢いで、部長に会社を辞めたいと伝えていた。ところが部長から意外な提案をされてしまうことになる。

に続く。



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