文字を持たなかった昭和 続・帰省余話14~そっくり
昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。
あらたに、先だっての帰省の際のあれこれをテーマとすることにして、印象に残ったことのまとめに続きいくつかエピソードを書いた。次にミヨ子さんを連れてのお出かけを順に振り返っている。お出かけの準備をし、外でランチしてから桜島を臨むホテルにチェックイン。温泉が引かれた大浴場を
下見したあと、ミヨ子さんをお風呂に入れてあげた。客室に戻ったらミヨ子さんのいちばん下の妹・すみちゃんも到着していて昔話が始まった。
すみちゃんの到着時間がわからなかったので、館内のレストランでの晩ご飯は遅めの19時で予約してある。室内着から着替えないといけないのは面倒だが、その時間を考えても2時間くらいゆっくり話せる計算だ。
いま長男の和明さん(二三四の兄)と同居している鹿児島市内のそれではなく、生まれ育ち、結婚後も住んでいた農村部の、しかも昔の鹿児島弁で話しているうちに、ミヨ子さんの脳はどんどん活性化してきたようだ。すみちゃんとの会話も淀みない。たまに時間関係が矛盾するのは仕方ないとして。前項で触れた小学生時代の桜島へのバス旅行など、二三四(わたし)は一回も聞いたことがない。
すみちゃんがふいに言う。
「姉ちゃん、ますますばあちゃん(母親)に似てきたね」
「そうかしらね」とミヨ子さん。
「わたしもそう思う。だいぶ前から、そっくりになってきた、と思ってた」と二三四。
ミヨ子さんたちの母・ハツノさんは熊本からお嫁入りしてきた。鹿児島にはちょっといないタイプの顔立ちで、浅黒いものの美形だった。ミヨ子さんはその血を濃く引いている、と二三四は思う。
「姉ちゃんや兄ちゃんたちはばあちゃん似の小顔じゃない? あたしはじいちゃん(父親)似の丸顔で、やっぱりじいちゃん似だった勝っちゃん(すぐ上の姉)と、いつも羨ましがってた」
5人いるきょうだいは、たしかにおもしろいほど顔立ちが分かれていた。それでも、姉妹二人並んで座るとそこはかとなく似ている。血縁とは不思議だ。
会話がはずむうちに時計はいつしか6時半を回った。秋空の下にくっきり見えていた桜島も、夕暮れにぼんやり浮かんでいる。そろそろ晩ご飯に行く支度をしなければ。
風呂上り、室内着のパジャマのままだったミヨ子さんと二三四。まず二三四が着替えて、急いで化粧する。旅館と違って、ホテルはこれが面倒なところだ。次にミヨ子さんをトイレに行かせる。車椅子のままトイレに入れるのはありがたい(が、車椅子の座席から便座への移動はけっこう苦労する)。着てきた服に再び着替えさせて準備OKだ。シングルルームに隔離(?)された家人に、そろそろ出るよと声をかけた。
出発前から気になっていた排泄方面については、入浴後紙おむつに敷いた吸水パッドを取り替えた程度で、ちゃんとトイレにも行けているから心配するほどのことはなさそうだ。
――と感じた状況は激変するのだが、それはもう少しあとのことである。
※前回の帰省については「帰省余話」1~27。
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