文字を持たなかった明治―吉太郎26 「婚姻」

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台にして、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に庶民の暮らしぶりを綴ってきたが、新たに「文字を持たなかった明治―吉太郎」と題し、ミヨ子の舅・吉太郎(祖父)について述べつつある

 ここしばらくは「大家族」をテーマに、6人きょうだいだった吉太郎に家族が増えていく様子を追った(大家族①)。参考にしたのは手元の除籍謄本のうち二番目に古いもの(便宜上【戸籍二】とする)だったが、続いて次に古い謄本(【戸籍三】とする)を眺めつつ書き始めた。

 その中で、吉太郎のすぐ上の兄(四男)・源太郎の妻チヨが、「死亡ニ因リ婚姻解消」されていたことが目に留まり、前々項前項ではその関連について触れた。

 そろそろ吉太郎本人の物語に進もう。

 【戸籍三】には、新戸主となった三男・庄太郎のきょうだいが、それぞれ「弟」「妹」として順に記載されている。「弟」吉太郎の欄には、吉太郎自身にとって、ということは孫娘の二三四(わたし)にとっても極めて重要な事項が記載されている。

 それは、吉太郎の婚姻だ。謄本の追記部分にこうある。
「〇〇〇ハルト婚姻届出 昭和参年参月弐拾七日受附」(註:1928年。元の苗字は伏せた)

 吉太郎のあとには、もともと【戸籍二】に記載されていた成員が続くのだが、その後ろに「弟妻」として「ハル」の欄が追加されている。それによればハルは「明治弐拾弐年九月弐拾弐日」(註:1889年)、父〇〇〇清吉・母コメの三女として出生した。吉太郎より9歳年下だ。

 追記欄にはこうある。
「日置郡西市來村大里〇〇〇〇番地戸主〇〇〇清藏妹 昭和参年参月弐拾七日松島吉太郎ト婚姻届出 同日入籍」

 つまりハル(祖母)は同じ地区の別の集落――歩けば20分くらいはかかる、ちょっと離れた場所だ――から、吉太郎の家へ嫁いできた。戸籍制度的に言えば、吉太郎の兄の庄太郎が戸主を務めるこの一家の一員として「入籍」した、ということだ。ハルの父親と婚姻届け出時の戸主の名が違うのは、父親はすでに死亡し、兄である長男が家督を相続しているためだろう。

 婚姻時いずれも満年齢で、吉太郎48歳、ハル38歳と、当時では相当に晩婚のカップルである。ただしこの場合の「婚姻」はあくまで手続上の名称であり、現代のわれわれがイメージする結婚とは必ずしもイコールではないだろう。その例として、三男(実質は二男)の庄太郎が四男の源太郎より後に「婚姻」し、その妻やすでにいた3人の子供たちが一度に「入籍」したあたりも参考になりそうだ(大家族④)。

 吉太郎とハルも、婚姻届出よりかなり前に祝言を挙げていた――鹿児島弁でいう「ごぜむけ(御前迎え)」をすませていた――と推察される。なぜなら、ハルと同時にもう一人「入籍」した人がいるからだ。続きは次項で述べよう。

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