文字を持たなかった明治―吉太郎24 妻死亡ニ因リ……

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台にして、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に庶民の暮らしぶりを綴ってきたが、新たに「文字を持たなかった明治―吉太郎」と題し、ミヨ子の舅・吉太郎(祖父)について述べつつある

 このところは「大家族」をテーマに、手元の除籍謄本のうち二番目に古いもの(便宜上【戸籍二】とする)を参考にして、6人きょうだいだった吉太郎に家族が増えていく様子を追った(大家族①)。

 前項では、「前戸主」仲太郎の死去を受け、次に古い謄本(【戸籍三】とする)では三男の庄太郎が戸主になったことについて述べた。吉太郎のすぐ上の兄、四男・源太郎の家族については、妻が【戸籍二】の時点で亡くなっていたため【戸籍三】には記載がないことも。

 その終わりに書いた【戸籍三】に記されている「意外なこと」というのは、源太郎の欄に追記された次の一文だ。
「大正七年拾壱月拾参日妻チヨ死亡ニ因リ婚姻解消」(註:1918年)

 「妻が亡くなったので婚姻関係を解消した」ということだが、ここにはどんな意味があったのだろう。チヨと同じ女性としては考え込んでしまう。

 チヨが源太郎たち一家の一員であった痕跡を消すとともに、チヨの実家との関係も解消した、とも考えられる。妻を亡くした源太郎が今後新たに妻を迎えるときにごたごたしないよう、戸籍もすっきりさせておいた、ということか。だが、チヨとは死別なのだからそこで「後妻」さんやその実家と揉める可能性は低そうだ。わざわざ「婚姻解消」を宣言するほどでもなかろうと思うが、当時では「よくある話」だったのだろうか。

 【戸籍三】に含まれる源太郎・チヨ夫婦の子供たちの両親の欄には、ちゃんと「父源太郎 母亡チヨ」と記載されてはいる。しかし、なんだかもやもやする。

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