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写真のマネタイズ

「芸大ではアートのマネタイズを教えないから、卒業後に食って行けない子をどんどん増やしている。非常に大きな問題なんだけど、昔から変わっていない」

みたいなことを、誰の何で聞いたんだっけか?? 日比野克彦さんだっけかなぁ、いや違うな、誰だっけか。まぁそれは良いんですけど、、、

写真の専門学校でもそうだったっすね。

「写真」そのものは教えてくれるんですが、
「写真」を武器にして稼ぐ方法は教えてくれない。

まぁ学校で学んだ程度ではまだそのスタートラインにすら立っていないってこともあるとは思いますが。

在学中の2年を経る間にスタジオカメラマンを目指す子もいるし、アートに走る子もいる。そのふり幅は結構大きいから、稼ぎ方を教えて変なクセを付けたくないってこともあるのか、、、な? よう分からんけど。

写真のお勉強はもちろん一生必須だが、
「稼ぎ方」についても独学必須。

ただ、「アート」をお金に変換するのは、どうしたら良いのだろうか?

さっぱり分からん笑

以前、とある芸人さんが言っていたように、「晴れた日でも傘を差し続ける。誰に何と言われようが、いつか雨に当たるまで」的に、信念を持ってやり続けるしかないのだろうか??

前職のプログラマやSEだと、大学や専門学校でよほど意識高くやっていないと、会社に入った瞬間は何の戦力にもならない。

仕事しながら育ってどんだけ技術があっても、PCに向かってキーボードをパチパチ打ってるだけでは、技術書や参考書をペラペラめくっているだけでは、1円にもならない。

どの業界・どの会社に何が足りていないか、そこに何をどうぶつけるか。目には見えない自分の技術を高く買って貰える術を考える必要がある。つまり営業力。もちろん技術力も足りなければさらに学ぶことは必須。

写真も、アート系はちょっと置いといて、取材・ファッション・ライヴなどなど方面は色々とありますが、Webや雑誌をザザザっと眺めれば、「どこでどんな写真が使われているか」は分かるので、自分のレベルに見合ったやりたいトコロに売り込むだけの話なんですが(僕はほとんどやらないけど「to C」もありますしね)

残念ながら僕はカメラマンになる王道の一つであろうスタジオのカメラマンアシスタントも何もやらないままフリーカメラマンになってしまったので、若人たちがどうやって稼ぐようになって行くのかが分からないんですが。

自分の写真学校の同期ですら現状写真だけで食ってる人間が何人いるのやら??って感じですしねぇ。

しかも、「アート」で飯を食うってのもまた全然違う話か。。。芸術作品は見えない技術って訳でもないし、それはそれで、どうやって飯を食えるようになって行くんだろう??

ひたすら作り続けるしかないのだろうか?

全然アートじゃないけど、スナップ写真だけで飯を食う方法なんて想像も出来ないなぁ……

そういえば、、、
(※下記に朝ドラ『舞いあがれ』の直近のネタバレがあるのでご注意を※)




主人公の岩倉舞の幼馴染で、最近短歌の大きな賞を受賞した歌人・梅津貴司の歌集を商業出版できるかどうか、の流れ。

凡人には何とも表現しがたいファッションや言語のセンスの持ち主の担当編集さんがついて、打ち合わせを重ねる。

それまで書き溜めた300首からさらに「今までとは毛色の違う短歌を10首!」と編集さんに言われ、絞り出して絞り尽くす、、、死ぬほど苦戦しながら提出したが、、、「これではダメ」とバッサリ。

目下の舞のライバルで、今にもストーカに変貌しそうな追っかけ?の秋月史子が、「私には伝わっている」というと、「じゃあ二人で通じ合っていなさい」と。

「何か、伝えることを諦めているような気がする。自分だけの狭い世界で満足している」と担当編集は続ける。

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そうなんですよねぇ。商業のルートにのせるってことは、当たり前だけど自分の中だけで完結していてはならない。「観てくれ!俺様の写真ってば最高だぜー!ヒャッハー!」とか言ってる場合じゃない。

出版社や担当編集者、クライアントや代理店の意向を汲む必要がある。時代時代の流行り廃りもあるだろう。色んな場面・方面で譲らなきゃならない場合も多い。それがイヤならWEB上でも自費出版でも良い、個人で自由にやってなさいってこった。

ただ、今の時代は先にSNSでバズらせて数字を持たせた状態で商業へってルートもあるのだろう、というか、悲しい話だけど今やもうそのルートじゃないと本は大きくは売れない気もする。村上春樹先生や池井戸潤先生などなどのクラスになったら別だけど、ナニモノでもない人間は、って話ね。

話題先行って言われたって、数は強し。まずはとにかく見て貰えないと、注目して貰えないと、どうにもこうにも話にならないというか。

閑話休題
という訳でドラマの続き↓
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梅津貴司センセのやることでちょっと気に入らないことがあればファンからストーカに変貌しそうな秋月史子が、「人目を引くための10首ですよね? 本を売るための短歌なんてアナタのエゴです」というと、

担当編集は、「君のほうがエゴイストだよ。自分好みのキレイな短歌だけを書いていてほしいんでしょ?」と、返す。

「美しいソプラノを聴きたいがために少年の成長を止めるような残酷さを感じる」とも。

「自分の殻を破って初めて歌人は成長する。自己満足の歌はもう要らない」で、トドメを打つ。

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写真だって、好き勝手出来る「趣味」と、クライアントの意向に沿う「仕事」じゃ大きく違う。

でもね、、、ノビノビやっているように見えて実のところ殻に閉じこもってやってるような趣味の写真ってちょっとモッタイナイなぁとか思ったりもする。外から見てるとね。

仕事にしちゃえば良いのにってレベルの人も多いですし。

「たった一人のために写真を撮る」から
「不特定多数の誰かのために写真を撮る」に変わる。

小さいことのような、
とっても大きいことのような、
でもほんのちょっとの違いのような。

でもね、ゴールに向けて「写真の照準」を合わせて行く作業って苦労もあるけど、物凄く楽しいんですよ。外部からのプレッシャーって、自分が思っている以上にチカラを引き上げてくれますしね。

でもね、でもね、ストレスのたまるような相手と仕事し続けるのはどうかと思う。どんだけやりたいメディアだとしても、ヒトがダメならすべてダメ。ストレスためこんで自身の体にダメージを与えるくらいなら、納品までカチっとキレイに終わらせてサラッと逃げるが吉。

でもまぁ「好きなコトを仕事にしよう!」とかいう、世に蔓延るアッチ系のコンサルさんの言うことを聞くのも人生、聞かぬのもまた人生。選択するのが人生。意外と自分の人生って自分で選択した結果がまんま現れてますよね。

僕は「挑戦してみて損はないかな」くらいの感じです。結局、好きなコトはできるけど、好きなコト”しか”できないってことではないですしね。

ちなみにカメラマンやモデルさんもそうなんですけど、フォロワー数が少ないとそもそも候補選定のスタートラインにすら立てません。広告系は特にだと思うんですけど、選定の基準としてフォロワー何人以上とかがありまして。

写真の機材揃えて、技術力を上げて、営業して、SNS頑張って、稼ぐ場を作って、、、稼いだお金で新しい機材を買うという、何の輪廻か循環か……

にしても、文芸の編集者ってあんな感じだっけか??
なだぎ武さんのコントのようなあのスタイル。
何となく広告代理店には居そうな気もしないでもないが笑

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