【感想】ザ・ファブル【マンガ】
「日本の映画やドラマを観ていて
どう思います?
オナカをドーンと撃たれてドサっ……
袈裟切りでバサッと切られて
『ぐわぁ!やられたぁ……』
失神から死ぬまでのタイムラグ、
放送時間的に短縮したいんでしょうけど、
アタマでも吹っ飛ばされない限り、
正直なところ、人間って
すぐに死なないですよね」
医療系の取材前、先生との立ち話でふと原作の方の『ザ・ファブル』の話になって、そこからの流れで人間の生き死にを表現する映像作品、特に日本の作品では人がアッサリ死に過ぎる、と。
「韓国の作品はようやっとると思うよ。
割と死に方がリアルというかね。
徴兵制度とかも関係あるのかねぇ?」
なるほどなぁ。。。
エンタメ作品一本でも
読み解き方は人それぞれ、職それぞれ
そっちの方も興味深い。。。
「ファブルの原作の方も
なかなか死なないのが良いよね。
映画は観てないけど、
プロ対プロなら
そうそう死なないと思うんだよ。
作中で殺された人は
大体アタマぶっ放されてるけど
縛られている相手か、
もしくはアタマを撃つ前に、
胸や腹、脚なんかを撃って弱らせている。
でも弱るだけで死なない。
なかなか死なないから、
そのせいで展開が遅い
ってのもあるけどさ、
でも長い期間、楽しめるし
良いかなぁって」
と言う訳で、第二部である『ザ・ファブル The second contact』が、第三部への香りを残しながら完結しました。
きっと先生も楽しんで読んだことでしょう。
プロとして———
あ、でも単行本派って言ってたかな。
なんだか先生の感想の転載になっちゃった笑
分け隔てなく立ち話にも付き合ってくれる、ざっくばらんな良い先生に感謝!
さて、「ザ・ファブル」の原作についてちょっとだけ。なかなかクセのある画だし、セリフのうしろに謎の罫線がついてるし、設定が設定なので読む人を選ぶが、褒め言葉の意味で下らなくて好き。
謎の罫線ってのは、「プロとして———」みたいなやつ。何だよー!的な伸ばし棒じゃなく、作者の南勝久先生曰く、セリフの「間」を表現したモノみたいです。
さて、今さらながら内容をザックリ書くと、、、
どんな敵でも6秒以内に倒せ、と殺し屋として育てられた主人公の”兄”『佐藤アキラ』と”妹”『ヨウコ』。
彼らが属する暗殺稼業組織のボスが、「仕事」をし過ぎたアキラに対して命令を下す。
「一年間、暗殺の何もかもすべてを忘れて、一般人になって一般社会に溶け込むこと」
身の回りを見渡せば、街なかやスマホのカメラだ、Nシステムだ、通信通話記録だ、と時代が変わり、なかなか「仕事」がしにくくなってきた昨今。
どんな環境・状況でも適応し、臨機応変に対応できるようになること、を命ずる。
コレが後々明かされるボスの真意、命題に繋がっている。
「休業」して、殺し屋だとバレないように一般人になるべくボスが選んだ行先は大阪。
南勝久先生の天才的な手腕で、殺し屋とヤクザモンの「日常」の中に、フツーの一般人のほどよいヌルさの「日常」を上手いコト混じり合わせる、良い具合のアクセント。
フツーの一般人の日常にジワリじわりと侵食しながら、シリアスとコメディのバランス感覚が不思議な世界観を作り上げている。
序章のファブルの自己紹介パートで名も無きヤクザモンを5人ほど殺してるけど、大阪入りした後のアキラはボスの言うことをちゃんと聞いて、人が死ぬシーンは思ったより少ない(言うことを聞かないとボスに殺される)。
銃のスライドを引いて———
弾を装填!
アタマじゃなく
これはカラダに染み込ませる
この辺り、カメラも一緒だなって。
カメラを構えて———
被写体を決めながら———
構図を決めながら———
露出を合わせながら———
ピントを合わせて———
シャッターを切る!
この一連の流れを
アタマじゃなく
カラダに染み込ませる
プロとして———
淡々と、シッカリと、仕事しなきゃな———
気配も痕跡も残さずにスナップしなきゃな———
プロとして———
そう思う日々ですよ。ええ。
そして最後に、、、
「経験は思考から生まれ———
思考は行動から生まれる———ってね!」
ヨウコのセリフですが、元ネタはイギリスの元首相ベンジャミン・ディズレーリからの引用、、、かな。
フツーは、
思考⇒行動⇒経験
だろう。
充分に思考してから行動するのも大事。だけど、命のやりとりではその一手の遅さ、一瞬の迷いが致命的になる。
スナップに限らず、写真撮影では構図がどうこうアレコレ思考するよりまずシャッターを切る行動が必要になる瞬間がある。
「あ、この瞬間だ……ったな……しまった……」
と、撮れずに終わる致命傷を喰らうくらいなら、まずは一歩踏み出して行動するべし!
思考や経験は、行動の後から黙ってついてくるもんです。
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