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納得できる「終わらせ方」

時は90年代初頭の格闘技界のお話。

新興勢力のK-1はまだまだ黎明期。アメリカの総合格闘技UFCもようやく産声を上げ、第一回目が1993年に開催。アルティメット大会と呼ばれていたそんな時代、日本のキックボクシング界には前田憲作や立嶋篤史といった後楽園ホールのスターが居た。

函館に住む格闘技好き田舎少年Mの耳にも届くくらいのスターで、「オラもいつかは後楽園ホールに!」と思ったもんだ。

この二人を思い出すと、何となくボクシングの畑山隆則と坂本博之の二人が脳裏をよぎる。あるいは、K-1だと魔裟斗と武田幸三のような。

華のあるルックスの前田憲作は選手としても人気があったが、「チームドラゴン」を設立し、後に王者となる様々な選手を育成。K-1のプロデューサーにも就任したり、裏方としても活躍。

一方、泥臭くリングにしがみついて生きる立嶋篤史は99戦して何と五分五分の勝敗。普通ならとっくに引退してる戦績。

しかし、栄養管理士や最新の技術を教えるトレーナもつけずに、前時代的な型落ちのスタイルを貫き通す。独学で(笑)。良いところまで行っても押し切れずに逆転KO負け、みたいなコケかたも多かった。

そんな「現役キックボクサー」が、06月05日放送分のクレイジージャーニーに登場。時を経て51歳になった立嶋篤史は、目標としていた100戦目に挑む。

(※以下、番組のネタバレ含みます※)

いつレフェリーにストップをかけられてもおかしくない状況で残り1秒まで粘り続けたが、TKO負け。

「次の目標は何か?」と問われると、

「次も100戦。階級を変えずにフェザー級で100戦目を目指す」

人間・立嶋篤史として、
選手・立嶋篤史として、
何を目指すか。

いや、果たして、、、
何かを目指さなきゃならないのだろうか?
という問答にもなって来そうな。

納得とか、満足とか、
そういうことじゃない、ナニカ。

僕はズブの素人だから何となくだけど、本当に目の前のグローブとサンドバッグ、ロードワークする道、次の試合の予定しか見えていないんじゃないか?と感じた。

とても大きな輪となっている人生のルーチンをひたすらコツコツ泥臭くこなし、目の前に壁が現れたらぶち壊すためにまた練習、、、を繰り返しているように感じられる。

次の壁を求めたくて、壁を壊してる、というか。
何か、、、言葉にするの難しいな。

僕自身はただ本当に何も考えていないチャランポランなだけなので同じ土俵で語ることはできませんが、僕は目の前の仕事や被写体しか目に入っていなくて、中長期的な大きな目標もあるんだかないんだか、といったダメ人間。

が、いつの日か撮れるであろう「最高の一枚」を追いかけて今日も目の前のモノ・コト・ヒトを残しています。

全然納得できなくて、シワッシワのジジイになってもカメラを持ち続けてるような気もする。

いや、もしかすると、
もう撮れているかも知れない。

「ああ、あの時の一枚が
 結局は最高の一枚だったなぁ」

と、偏屈ヘリクツ写真クソジジイになった時に、
そうボソッと呟いているかも知れない。

最高って、最後って、引き際って、
何なんやろね??


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