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午前中で終わる学校14

~型破りを型破る~

世界中の皆さんへ

僕のつくりたい学校は
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
をすべての授業で大人が意識している学校です。

★世界の「COVID-19感染の拡大」「気候変動~温暖化、洪水、バッタ発生~」「IT絡みの米中対立激化」「各国ナショナリズム台頭~コロナワクチン自国優先~」「人種差別」・・・
報道はどこまでが真実?SDGsの方向に向かっているの?世界が動いていく根底にある人々の願いは何なの?
僕らが今考えている「教育」「学校」も、間違いなく、この世界の延長線上にある。

0の章(あきら)「絆は排他を生む」⑬~足並みを揃えられなかった「みやしー」の生き方より~

【ビジョンドリブン】~ちょっと前に学んだ思考法~
「考えてから動く」、「課題=イシューから考える」➡「イシュードリブン」に対して、
「ビジョン思考」はまず自分の中の本当の関心と向き合い、そこから生まれてくる「妄想=ビジョン」を起点に考える「ビジョン・ドリブン」の思考法です。「ビジョン思考」の妄想の基本は「紙に手書きで書き出すこと」らしく、そんなこともあって、僕も手書きではないけど、書き連ねています。


比較的新しいところで言えば、大阪の大空小学校や軽井沢の風越学園、東京の麹町中学校、オランダのイエナプラン等々、たくさんの理念や形が存在しています。どんなことを目指すかは「人それぞれでいい」をベースにしないと息苦しくなっちゃう。「人それぞれ」今生きている場が違うから。お互い、「妄想」を表現して、そこから、寄り添いやすい、目指したい、取り入れたい、カラフルな「理念」や「形」を「応え合えば」いいかな。そんなことを思って、今表現しています。

大阪の大空小学校
http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=e731673
https://www.huffingtonpost.jp/entry/school_jp_5e1eba34c5b673621f6d9e2e

軽井沢の風越学園
https://kazakoshi.ed.jp/

東京の麹町中学校
https://www.fureai-cloud.jp/kojimachi-j/
https://bunshun.jp/articles/-/10831
https://biz-journal.jp/2020/01/post_134627.html

オランダのイエナプラン
http://www.futureedu.tokyo/education-news-blog/2017/7/18/21/jenaplan-seminar-report
https://studystudio.jp/contents/archives/38879

もちろん、「妄想」ではなく「エビデンス(根拠)」が示せたらいいのかも知れませんが、けっこう、世の中、エビデンス(根拠)なしでやっちゃっていませんか(笑)

例えば、「全国(または市)学力学習状況調査」で求められている「学力」を身に付けると、子どもたちや世の中って「幸せ」になれるんですか。どこにその根拠が?だから、現場では(たぶん)(時間もないし)(しかも結果が来るのが遅いし)調査をもとにして、学校作り、授業作りなんてしていない。データをもとに「堅苦しい文書」を作ってプランを立てたふりしているだけ。「調査」に、未来を拓くチカラがあるという「根拠」がないから。

例えば、「板書」。学校文化のひとつに「板書」文化というのがあります。授業の中で黒板に教員が、考えや思いの流れや獲得すべきことを書きますよね。「今日はいい板書だったね。」「もうちょっと分かりやすい板書をするといいね。」などが教員台詞でよくありますが、ほとんど教員どうしの内輪台詞。「板書」と「学び」のリンクについての「根拠」を示されたことはない。世界基準で考えたら、「板書」文化ってどこにあって、どのくらいの効果を生み出しているの?ホワイトボードやらPCやらの登場でも、黒板の存在は永続的なの?僕は小学校にいるけど、中学校、高校、大学の「板書」の在り様との乖離も感じます。僕が言いたいのは、「根拠」もなく、「板書は大事」って、偉そうに他人に押し付けるのが「?」だということです。「えんたくん」をはじめとしたミーティングツールや、グラフィックレコーディングといった興味深い手法もありますし、子どもたちが「板書」するという取組は、僕もずっとやっていて、自分の中には「子ども板書」の効果についての「私的根拠」はあります。でも、人には押し付けません。
「えんたくん」
https://nikkeibook.nikkeibp.co.jp/archive/2018/03/67326
「グラフィックレコーディング」
https://share.jp/work-style/parallel-career/graphic-recording/

だからそれぞれの「妄想」を起点に応え合おう!


4の章(あきら) 評価~謎ルール:相対評価を加味した絶対評価~②

前回の「疑問&謎」からつなげての結論
【現行の評価は不要~リフレクションを大切に】
★授業内や授業後のリフレクション(振り返り)を充実させることに注力する。そのことで、子どもたちも教員たちも絶えず変化成長する。リフレクションの即時性は物理的に大切。その時間の目指しているものに対応したリフレクションと、副産物的に生れ出てきたことへのリフレクションの両方に価値がある。自分に対するリフレクションと仲間に対するリフレクションの両方に価値がある。リフレクションから次の授業展開や学びを子どもたちと一緒に創造していく醍醐味を!
★教員は、子どもたちのノート(プリント)等へのレスポンス(コメント)等をすることで、教員自身のリフレクションになる。日々、学級通信等を作成することもよいリフレクションになる。これらは、「授業の評価」の時間であり、「午前中で終わる学校」なら、その時間を日々設けることができる。「あゆみ~成績表」作成の時間が削減されれば、その分、さらに時間確保ができる。※「午前中で終わる学校2・3・4」

https://note.com/miyashii/n/n472d6f260465
https://note.com/miyashii/n/nbb4af3eecc4e
https://note.com/miyashii/n/n3253be3187f9

★ノートやプリントへのレスポンス、学級通信等の配付で保護者にスピード感をもって子どもたちの変化成長を伝える。電話等で変化成長を伝えるのもいい。保護者は、学校からかかってくる電話にマイナスイメージをもつことがよくあるが、僕は「よいこと連絡電話」をよくしていた。「えっ!?今日の電話の内容ってこれなんですか?」笑い声を伴った保護者の反応が面白い。また、定期的な保護者面談で、保護者の育ての成果として変化成長を伝えて、保護者を温める、そして教員自分自身も温まるのがいい。保護者は、日々の中で子どもたちの変化成長に敏感に気づき「●年生になってから、目に見えて成長したんですよ!」と伝えてくる。学校で、よい授業や活動が行われていれば、家庭や地域での子どもたちの姿が「評価」として保護者と共有できるということである。
★現実的なところでは「あゆみ~成績表」の中で「評価(評定)」だけして、「所見文章なし」という方法も、時間確保と授業の質向上に寄与する。特に小学校で「あゆみ~成績表」「評価(評定)」で人生が左右されるなんてことはあるのかな。なくてもいいんじゃない?

不要の理由
・極端に言えば「4月の評価を10月にもらう」ことに意味はないに等しい
・業者が作ったテストの点数で振り分けた評価(評定)は授業とのリンクが怪しい
 ※業者テストとリンクした日々の授業じゃ味気ない・・中学校、高校は違いますね。
・評価規準は子どもにも保護者にも分かりにくく、評価基準は場当たり的な怪しさがある
・評価集計や評価確定、所見文章作成に気を使い、膨大な時間を使う
・誤記載があるとメディアに叩かれるので、誤記載防止のために職員室がつまらない空気感に包まれる
・所見文章の基準が管理職によって検閲され、書きたいことが書けない
 ※「この子の●●という言葉や■■という行動で、担任の私が生きる勇気をもらいました」みたいな「臭い」やつは、絶対ダメ。
・言葉の使い方基準がくだらないような気がする
 ※「気持ち」では「持」という字を使ってよい。「力をもっている」では「持」という字を使ってはだめ等、笑えるほどたくさんあります。これらの修正でもかなりの気と時間を使います。
・行動評価まで、一人に付ける「〇」の数が多いと、制限を受ける
※素晴らしい変化成長をしたのに・・それを目指してきたのに・・

【おまけ】
僕は、子どもたちに、よくこう言います。
「成績や点数がよくなかったら、授業をコーディネートした『先生』の責任だと思って、自分を責めないでね。そして、次に向かって、一緒によいプロセスを積み上げよう!」
「成績や点数がよかったら、自分の努力を誇り、一緒に学んだ仲間たち、育ててくれたお家の方々のおかげと思って感謝しよう!」

「成績やテストの点数なんかで、君たちの存在の価値は左右されない。」はベース。


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