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常識とはなにか?押し付けてくるやつこそ非常識だという罠

1.「常識がない」ってなんだ?

どうも、こんにちは。
コスプレイヤー ひやニキです。

突然ですが、皆さん
「常識がない!」「マナーを守れ!」

とかうるさく言われたことありませんか?
僕はあります。

そもそも「常識がない」とはなんでしょうか?

天才的物理学者、アインシュタインはかつて言いました。

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「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」

これです。
常識とは存在せず、その個人個人の偏見がその正体と思っているのが結論です。

僕自身も小さい頃から

・空気を読んで発言しろ
・なんで人と同じことができないの
・どうしてそんなことするの!?
・普通の人にならないとまともな大人になれないよ
・校則は絶対!どうして守れないの?

など色々と家でも学校でも怒られました。
「なんで空気読まなきゃいけないの」「周りと同じことしなきゃならない」って何?
なんて思いながら生きてました。

皆さんも一度は「なんで校則なんてあんの?」と煩わしさを感じたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?

その煩わしさも
「思えば、自分がひねくれてるだけ」
「周りと違う、特殊な性格なだけ」

などと思われている方もいると思いますが、僕はそう思いません。

むしろ、物事を鵜呑みにせず自分の頭で考えていらっしゃる方だからこそ、そう考えられるのだと思います。

「常識にとらわれない」とはアナタの素晴らしい思考能力の賜物です。

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正直僕も校則やルールに意味があるのか、一生懸命考えて質問したことあります。
いつも教師の返答は「マナーだから。決まりだから」程度ですけどねw

教師って自分の頭で考える力がないんだな、って思いましたが皆さんどうですかね?

教師や常識・ルールを押し付けてくる人に対し思う方に関してどう思いますか?
ここは皆さんのご意見や分析があれば教えてほしいです。

今回は僕の思う「常識とは?そして常識を振りかざす人とはなにか?」
をお話しようと思います。

2.常識は常に変化する「曖昧なモノ」

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僕の主張を最初に述べると、「常識とは、曖昧で不正確なもの」と考えてます。

冒頭のアインシュタインの言葉

「常識とは、18歳までに積み重なった、偏見の累積でしかない 」

この言葉は的確に「常識」と言う言葉の曖昧さや不正確さを表していると思います。

国や文化、時代が違えば常識は変わります。

・豚を食うのが非常識と言われる文化がある。
・人を沢山殺すことが素晴らしい常識という時代がある。
・髪を染めるのが普通の国がある。

こんなのどこでも起こりうることです。
例えば学校一つとっても隣の学校では、髪染めがOKだったりする場合もある。

そんな曖昧なものに正解はあるのでしょうか?
僕はないと思います。

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確かに2012年の研究で
「男性はピアスをしているとピアスの量が増えれば増えるほど頭が悪く見られる確率が上がる」とか

リバプール大学の研究で
「タトゥーが多い人ほどいやらしく、身体的な魅力が低い印象を与える

みたいな科学的根拠に基づいて正解/不正解があるものはあります。

ですがそのような科学的証拠がない限り、

「こうしなきゃいけない!」
「マナーを、常識を守れ!」

みたいなものをすべて守る必要もないし、守っても来年。下手すると明日には既に世間では非常識になってるかもしれません。

アナタが思っている「常識」「マナー」
それは「誰が決めた」「どんな根拠」のルールですか?

一度考えてみてください。

3.常識を説くことが非常識

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僕の結論は

「常識を説くことが非常識」

これに尽きます。
そんな非常識なことをしていることに本人が気づいていない時点で、そんな人間がマナーとかルールとか常識とか言っているのが既におかしい話です。

勿論「タメ口や悪口」など初対面で不利に大きく働く要素は、現実でもネットでもしない方が賢い、というのは当然あります。

特に人間は初対面で物理的や精神的にプライベートゾーンに踏み込まれると、相手を敵と認識するので、後々の関係や周囲からの人格評価、仕事や年収に響きます。

ですが、一方で科学的根拠のないような「常識」「マナー」は押し付けてくる人個人が蓄積した偏見に過ぎません。

当然です。この世に普遍の真理というのはありません。

「自分を常識人と思っている偏見に満ちた異常者」ほど「エセ常識=その人の偏見」、つまりすでに一般的なルールや法律から外れた考え方を押し付けてるに過ぎないのです。

そんな自分視点だけの偏見に満ちた人間のいう「常識」や「そんなんじゃやっていけない」という言葉に惑わされる必要はあるのでしょうか?

移り変わり、一瞬で変わる可能性のある曖昧な偏見を盲目に信じるのは僕は疲れてしまうな、と思っていますが皆さんはいかがでしょうか?

4.人を制限できるのは「常識」ではなく「法律」

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日本は法治国家です。人を裁ける、ルールを敷けるのは法律や条例だけです。

個人が勝手に決めた「常識」「ルール」「マナー」で人を裁く・叩くのは果たして正義でしょうか。

勝手に決めた「常識笑」から外れた人間を、みんなで寄ってたかって私刑や罵詈雑言で叩きまくる人間の行動は本人らからしたら常識的なのでしょうね。

皆さんが各自で何に従い何を信じるのか、従わないのかご自由に選択ください。

僕は自分の心が本気で楽しいと思う生き方を選択しようかなと思っています。

皆さんはいかがでしょうか?
ここまで読んでくださりありがとうございました。

ここまで熱心に読んでくださった方は、おそらく社会のあり方に思考停止せず疑問を持つ柔軟な思考の方かと思われます。

そのような方の目に触れたことを僕は嬉しく思います。
もし、僕の至らない点がありましたらご指摘なり、「こういう考えもある」のようなご意見もお待ちしております。

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