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【読書録・『バッテリー』あさのあつこ】白いボールと赤いイチゴ

おすすめの野球小説、といわれて必ずといっていいほど書名が挙がる『バッテリー』。児童書のカテゴリにありながら、大人からも多くの支持を得ている、今更わざわざ言うまでもない有名小説だ。

今15歳の息子が、保育園に通っていた頃、少年野球をしていた小学生の頃、主人公と同じ中学生になった頃。と、過去に何度か繰り返し読んだ小説だ。

近年読んだ折に、それまであまり気に留めていなかった「赤いイチゴ」が大変印象的だったので、そのことについて記してみる。

◇◇◇

白いボールと赤いイチゴ


主人公は孤高の天才ピッチャー原田巧。自分がピッチャーとしてマウンドから真っ白なボールを投げる、それ以外は心からどうでもいい。齢十二にしてあまりにも一途で頑なだ。

普段は、自分のピッチャーとしての天賦の才能と、手の中の白いボール以外の何かを、羨むことも称えることもありえない、天上天下唯我独尊俺様状態の巧。

そんな巧が、中学入学を目前にした春、はじめて出会い、チームメイトとなったうちの一人、沢口の家で栽培しているイチゴを「うまい。」と言いながら食べる。食べてしまう。

そして、沢口に向かって「こんなうまいもの食べられるなんて、いいな」という言葉が、口をついて出る。こんなうまいイチゴをつくれることは自身の才能より凄いものだったりするのかと、ふと思う。

新田に越してきて、高校野球の監督であった祖父との再会、キャッチャーの豪との出会い、自分には扱いかねるほど弱いと思っていた弟の青波の本当の心のうち。そんなはじめてのものに遭遇するうち、これまで自分には必要ないと拒絶していた甘く柔らかなものを、知らず識らずのうちに、飲み込みそうになっていたのではないか。

結局、巧は「赤いイチゴ」を、吐いてしまう。まるで血を吐くみたいに。

そして自分とは正反対の、柔らかな心を持つ青波と豪の前で、自分の心も体も、そしてボールさえも思うようにならない、と、泣きじゃくる。

巧にとって、野球の硬く真っ白なボール以外のものを受け入れることは、容易いことではない。それが「赤いイチゴ」を通して痛いほど伝わってくる。

このときは、まだ、そうだった。

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けれど、1年がたち、次の春が訪れた頃。物語も終わりに近づく頃。

ユニフォームを着たまま、樹の上に登った巧たちに、イチゴをとってきて食べさせてくれようとする沢口のことを「いいヤツだな、あいつ。」と、言える。

その後、イチゴを食べるシーンは無い。けれど巧はもう、甘く柔らかなイチゴを吐く必要は無かったと、思えるのだ。

◇◇◇

読むたびに、そのつど印象が変化する。それはきっと、この小説の登場人物や世界が、読んだ人それぞれの中に”生きてしまう”からではないだろうか。

たぶんこの先もまた、何度も読み返して、そのたびに、巧や青波や豪、さらには海音寺くんや瑞垣くんが、私の心の中を、グラウンドがわりにして走り回るんだろう。



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こちらは、昨年某クローズドなコミュニティに記載した原稿の、大幅改変です。

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