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ウィーン在住30年の建築家の私がいま伝えられることー【ウィーン】【ヨーロッパ】【建築】【歴史と文化】【人生】【SDGs】?ー「フーテンの寅さん」になる日

ウィーンのMIYAKOです。いつも、ウィーンからの投稿を読んでいただきありがとうございます。

ウィーン在住30年の建築家の私「フーテンの寅さん」の関係。今回はそれをお話しします。

「男はつらいよ」41作目はウィーンで撮影ー寅さんがウィーンに。なぜ?

不朽の名作「男はつらいよ」シリーズにはウィーンを舞台にした回があります。

第41作「寅次郎心の旅路」(1989年公開)

そのあらすじ

"みちのくのローカル線の列車に揺られていた寅次郎は、突然の急ブレーキに座席から投げ出される。心身衰弱のサラリーマン・坂口(柄本明)が自殺しようと線路に横たわっていたのだ。すんでの所で一命を取り留めた坂口を前にした寅次郎は、持ち前の義侠心で優しく諭す。"
"坂口のかねてからの望みは、音楽の都オーストリア・ウィーンに行くことで、金はすべて坂口持ちでいいので、寅次郎に付いてきて欲しいという。寅次郎はウィーンを湯布院と聞き違え、二つ返事で了承してしまう。"  https://ja.wikipedia.org/wiki/ 「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」より抜粋

バーンアウトのエリートサラリーマンが自殺?映画は30年前なのに、いまだ続く日本社会の問題を浮き彫りにしている。すごい映画だと思います。

そして、この疲れたサラリーマンを諭しているうちに、
慕われ、ウィーンに誘われるわけです。

さすが寅さん!ウィーンを湯布院に聞き間違える(笑)

そして寅さんはウィーンに来ることになってしまうわけです。

ウィーンと日本ー「人と風景のつながり」
ツィルク市長が教えてくれたこと

この映画の舞台がウィーンになったきっかけは、当時のウィーン市長ヘルムート・ツィルクさんです。

ツィルク市長が "1986年訪日の際に、飛行機のなかで「男はつらいよ」シリーズの作品を観て、人物や家族模様などの人間関係や背景となった土地柄がウィーン市民の気質とウィーン市郊外の風景に似ており、極めて強い印象を受けたことから" と言われています。(これを機会にウィーン市フローリッツドルフ区と友好都市提携を結んだ葛飾区のホームページに記載されています)

ウィーンと言うと「エレガントな芸術・建築の古都」という印象が強いと思いますが、「実に人間臭い部分」もあります。東京も「先進的な都会」の部分と下町の「村みたいに人間臭い」部分があります。この2面性、いや多様性が「街が生きる」上に一番大切なことなのだと思います。街は人がつくっていますものね。

フローリッツドルフ区は、ウィーン市の北東に位置するドナウ川沿いの自然が多い郊外の住宅地域です。非常に「人間臭い地域」と「開発が行われている地域」とあります。ここにある伝統的なワイナリーでも撮影が行われ、私のオーストリア人の知人たちの何人かがこのシーンに登場しています。

(私は1990年からウィーンなので、残念ながら出演はしていません!笑)

そして「人だけでなく、その風景も似ている!」と気づいたツィルク市長もさすが!

ヘルムート・ツィルク市長は1984年から94年までウィーンの市長を務められ、歴代ウィーン市長の中でも最も愛された市長の一人と言われています。教師や記者を経て政界に入った経験などから、いつもみずから市民と交流し、市民の声を聞くフランクな姿勢がとても愛されていました。

親日家でもいらっしゃったので、ウィーン市や日本大使館主催の数々のレセプションなどでもお会いする機会はありましたが、街中でもばったりお会いすることも多々あり、いつも元気?建築の仕事はどう?と声をかけてくださったのを懐かしく思い出します。

93年に外国人排斥主義者による手紙爆弾で「失った片手」にスカーフを巻いて相変わらず市民に近くをモットーに活動をしていらっしゃいました。無くした片手に巻いたそのスカーフのデザインはネクタイと一緒でというエレガントな面もあり、逆境をプラスに変えて前に進み、様々な人々との交流を亡くなるまでやめなかったツィルク市長。

その「強さ」「人としての温かみ」そして「誰にもオープンであること」を一市民として実感した経験は、ウィーンに来たばかりの外国人の私にとって、ウィーンという見知らぬ土地と文化と人々を近くしてくれた大きなきっかけとなったように思います。

そしてそれは、どこか寅さんにも共通しているのではないかと思います。

ところで、ウィーンに来た寅さんは?というと…

"坂口がウィーンを訪れた事で精気を取り戻した一方で、寅次郎は、慣れない海外・通じない言語にいつもの調子が出せず、退屈極まりない時間を過ごす。"(ウイキペディア「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」より抜粋)

ですよね。だって、湯布院だと思っていたわけですから(笑)

でも、そこで、人と自然と文化にふれあい、また復活するわけです。
そして、こう言う。

"どこの川の流れも同じだなぁ
流れ流れて、どこかの海に注ぐんだろう?"

ウィーンのドナウ川に立って、柴又帝釈天の江戸川を思い出したのかなぁ…
どこまでも、等身大の寅さん(笑)

川の規模は違えども、これは寅さんの正直な「心の情景」なのですね。

そして「流れ流れている」のは、寅さん自身も。
なぜなら、寅さんは「ノマド」ですから。

そう、一期一会の出会いを、暖かい出会いに変えていく「さすらい人」

そんな活動を私もしたいんだ

と心の声がいいました。見知らぬ土地ウィーンに来て30年以上。その前は、アメリカにも住みました。世界各地のにプロジェクトをつくらせていただいた経験。だから私もノマドなのです

オーストリア、日本、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ベルギー、チェコ、スロベニア、ハンガリー、ポーランド、ウクライナ、ロシア、エストニア、アザベイジャン、トルコ、アメリカ、カナダ、中国、香港、台湾、シンガポール、オーストラリア、アラブ首長国連邦…

そして、そこにはいつも一緒にプロジェクトをする仲間がいました
力を合わせてゴールを目指す仲間です。

「フーテンの寅さん」になろうと思った

ここウィーンで30年以上建築の仕事をしている私は、様々な機会でその専門の経験をお話ししたり、書いたりする機会も少なくありません。建築家としての実務の合間に、建築・都市計画の専門的交流や展覧会をオーガナイズしたり、大学やセミナーなどで建築の学生さんや建築家を教えたりもします。

そんな私が、昨年5月から「ウィーンと私と建築と」と称して、ここnoteに書き始めました。

"ウィーンと建築と私を近くする"ことをしたくて。
今の、ウィーンをお伝えしたくて。

noteでは専門家同士の情報交換から一歩でて、様々な方にウィーンのこと、ヨーロッパのこと、歴史と暮らすこと、こちらの地域づくりのこと、そして、こちらで暮らしている私の経験、仕事、人生の経験、教育・子育て、様々なことをお届けするようになりました。

そうしたら、それを楽しみに読んでくださる方が増えていきました。スキをしてくださる方が増えていきました。そして、読んでくださる方は、建築の専門家の方ばかりか、小説家、舞台監督、編集者、学生さん、社会に出たばかりの方、主婦の方、地域づくりに関わる個人や自治体の方、芸術家、写真家…様々な方に広がっていきました。

実は、一年前、でもまだそのころは漠然と、「フーテンの寅さん」のようになれたら、と思っていた私。頭で考えるのではなく、心が漠然とそう言っていました。

でもこうして、等身大で、自分ができることをお伝えしていくなかで分かり始めたことがあります。人と人との等身大の心の触れ合いの中で、育まれていくものだけが未来の幸せな私たちをつくっていくんじゃないかって。

海を越えて遠いウィーンから、いま私はデジタルでそんなコトを伝えています。リアルじゃないけど、それでも、いろんな皆さんと緩やかにつながっている。

で、その距離は人によって違って、だから心地よい。

もしかしたら、将来私は、自分の知識、経験と人生を使い古した皮のカバン(スーツケースかも)に入れて、本当に日本を流れ流れているかもしれません。

そして、そこでの一期一会の人々とプロジェクトの出会いが、少しでも多くの人の暖かい未来をつくっていけたらいい。

これからも、寅さんの私と、いろいろな場所で、いろいろな距離でお付き合いをよろしくお願いします。

ウィーンより MIYAKO

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4/21(木)22時-23時 カラフルスペース放送局に出演します「自分の専門・人生の経験を必要とする人に届けたいーフーテンの寅さんのように」

そんな私といろいろ語ってみたいなー、聞いてみたいなーと思われる方がいらっしゃったら、ぜひこちらを覗いてみてください。来週の木曜日夜10時から、カラフルスペース放送局さんに出演します。

私が「フーテンの寅さん」になって何をしたいのか、何をするつもりなのか、をお話しできると思います! (限定8名だそうなのでお早めにお申し込みください。アーカイブ公開はありません。)

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『Miyakoについて』
早稲田大学建築学科を終了後、米国ペンシルバニア大学大学院へ。生まれて初めて外国の地を踏む。大学院で建築修士を取得後、日本の恩師からかかってきた電話。「ウィーンの建築家が日本人建築家を探しているが興味あるか」と聞かれふたつ返事で「はい!行きます!」と答え、決まっていた米国の大企業就職先を断りヨーロッパ・ウィーンの建築事務所へ就職。ウィーンで結婚し息子一人をもうけるが、離婚。家族も親戚もいない異国の地でシングルマザーとなる。同時にお金も仕事もなしで元夫と営んでいた事務所から独立。幸い昔手掛けたプロジェクトのクライアントたちと「Miyakoは絶対今より幸せになる!」と応援してくれた友人たちに助けられ、現在ではオーストリアと日本で建築事務所を持ち、世界25都市以上でプロジェクトを設計。2021年1月より自らの経験やウィーン、建築、地域つくりなど、様々なテーマの生情報をウィーンより発信。建築家としての実務の傍ら、執筆や講演などを行う。

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ミヤコ・ナイルツ・アーキテクツ
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