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「ゲスいこと」はマイノリティの戦場だ――古賀史健さんのnoteに思うこと


ライターで、『嫌われる勇気』がベストセラーになった、古賀史健さんのnoteを読みました。

ここでは「誰かを責めたてることば、人の失敗をあざ笑うことば、足を引っぱるためのことば、いわゆるところの罵詈雑言」を「ゲスいことば」としています。
「ゲスいことば」の語彙は豊富だけれど、「いいこと」や「あかるいこと」、そして「前向きなこと」は語彙が少ない。
だから、後者のフィールドで文章を書いたほうが表現力が伸びる、という内容です。

誰かを責めたてることば、人の失敗をあざ笑うことば、足を引っぱるためのことば、いわゆるところの罵詈雑言。冷笑、失笑、揶揄の苦笑。これらのことばはおもしろいくらいに多種多様であり、スリリングであり、ゆえに痛快であり、刃物のように機能する。

他方、「いいこと」や「あかるいこと」、そして「前向きなこと」は、なかなか語彙に乏しい。「きょう、こんないいことがあった。うれしかった」を表現することばを人は、おそらく数パターンしか持っておらず、ゆえにどれも月並みで退屈な響きをもってしまう。善良な人に対して「あの人はいつも『いいこと』ばかりを言っていてつまらない」の感想が出てしまうのは、そこで語られることばのバリエーションが乏しすぎるからなのだ。構造としてつまらないのだ。「いいこと」は残念ながら。

(中略)

ゲスいことばのフィールドで、縦横無尽に膨大なことばを操ったつもりになったところで、ことばの達人であるかのように振る舞ったところで、そこで育つ根っこはほとんどないんですよ。それよりも、「いいこと」や「あかるいこと」、「たのしいこと」や「前向きなこと」、そんなもともとの語彙に乏しいフィールドで、その対象や心情をどう言語化するかにじたばたしているほうが、ぜったいに育つ根っこは太いんです。

文章力の育て方を論じたものとしてはとてもよくわかります。
しかし、テーマ論としては「戦わなくて済むひと」の発想だと思いました。「戦わなくて済むひと」とは、たぶんマジョリティか、あるいはマイノリティだけどうまく世界にあきらめをつけられるひと。

私は女性*であり、精神疾患の当事者であり、不登校の経験者であり、そしてノンバイナリー(Xジェンダー)です。つまりマイノリティとして扱われる存在だということ。その立場で古賀さんの文章を読んだとき、これはあまりにマジョリティ的で、私が実行できる方法論ではないと思いました。

世界はマイノリティの戦場だ

マイノリティにとって、世界はほとんどいつもネガティブにあらわれます。世界はマイノリティを抑圧し、搾取します。

たとえば、アンケートでジェンダーの選択欄があり、そこには「男性」「女性」しか選択肢がなかったとします。性自認(自分のジェンダーがなんであるかという認識)がはっきり男性か女性かであれば、答えることは難しくありません。しかし、ノンバイナリーといって、自分のジェンダーが男性でも女性でもないと思っている私にとっては、それはある種の差別、抑圧に見えます。世界には「男性」「女性」に当てはまらないひとがいるのに、それを無視されていると感じられます。

このように、マジョリティがなんの違和感もなく過ごしている世界は、マイノリティにとってはネガティブなメッセージであふれているのです。

その中でなぜ私は書くのか。世界と戦うためです。
批判することが私の戦いです。
そのうちで「誰かを責めたてる」ことは避けて通れない。

ことばを変えるならば、世界がネガティブであるのに、それを無視してきれいなものだけ書くことはできないということです。

戦わなくて済むひとと私

古賀さんが想定する「ものを書くひと」と私とでは、ものを書く目的が違うのでしょう。戦わなくて済むひとと、私とでは。

私もきれいなもの、いいもの、素敵なものだけ書いていたい。
私だって古賀さんの言うとおりにして文章力をつけたいし、そうでなくても、素敵なことだけ考えていられたらどんなにいいことでしょうか。

でも、私には先に批判すべきものがある。

だから、「ゲスいことば」のフィールドで戦ってみようと思います。


*女性は数としてはマイノリティではないはずなのですが、社会的な発言力としては十分マイノリティであるという実感があります。


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