前田みやこ

兵庫県在住のフリーライター。日頃は医療系を中心に書いていますが、ここでは好きに文章を書…

前田みやこ

兵庫県在住のフリーライター。日頃は医療系を中心に書いていますが、ここでは好きに文章を書こうと思います。ご連絡は miyako.mae@gmail.com

最近の記事

なき夫

夫の好きだったところを思い出してみる。 出会ったのは大学卒業後に初めて勤めた職場だった。ロスジェネ世代どまんなかの私は、当時、卒業の迫る1月になっても就職が決まらず、新聞の小さな求人欄で見つけた、吹けば飛ぶような小さな出版社に就職した(実際に数年後、倒産した)。彼はそこの編集長だった。 字がフォントのように綺麗で、わかりやすく地図を描いてくれるところが好ましかった。当時は、表紙写真のポジフィルムをフォトエージェンシーに借りに行く、そのために上司が行き先の地図を描くという時

    • わたし「スー女」?

      「〇〇女子」という呼び名は、女性をバカにする響きを感じて好きになれない。その最たるものが、相撲が好きな女性をあらわす「スー女」だった。相撲を「スー」にしてしまうすわりの悪さ。これはさすがにすぐに消えるだろうと思っていたが、相撲人気の過熱と不祥事あれこれで、すっかりワイドショーの常連ワードになってしまった。 私はというと、SNSで力士の情報を知って相撲を見始めてハマった、バチバチのスー女だ。毎場所の観戦を楽しみにするようになり5年は経つが、「今場所の成績がこうだから来場所の番

      • NHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」がすごかった

        「今日は何年の何月何日ですか? 何曜日ですか?」 「100-7はいくつですか? そこから7を引くといくつになりますか?」 こうした質問から、点数式で簡単に認知症の程度を評価することができる「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発した精神科医・長谷川和夫氏が認知症になった。 そのこと自体は、何かで読んで知っていたのだが、先日放送されたNHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」をみて、認知症研究の第一人者が、認知症とは何であるのかを身をもって伝える姿に衝撃を受けた。

        • 49歳で亡くなった兄の膵臓がん発覚から1年8ヵ月の記録 ―妻からの聞き書き⑥

          看取りの日 【2018年11月1日、X】 亡くなった日は、午前中に体を拭いて着替えをしたね。口が開いて乾燥していたから、看護師さんにしめらせてあげるといいって教えてもらって、スポンジブラシにお茶を浸して口をしめらせた。お昼過ぎくらいに息が荒い感じになって、呼吸が寝息のようではなく苦しそうな感じになったから、先生に来てもらって。 これが病院だと、看護師さんから「危篤なので来てください」という電話がかかってきて、心電図モニターがピーっとなる感じなのかなと思うと、その鳴るかもし

          49歳で亡くなった兄の膵臓がん発覚から1年8ヵ月の記録 ―妻からの聞き書き⑤

          俺、頑張ってるんだけどな【2018年10月28~29日、X-4~3日】 最後の決め手は、若社長さんが来た日だった。亡くなる4日前だったけど、来ることが決まっていて、何とかそこまではという気力だよね。夕方に来ることになっていたけど、朝からずっと横になっていて、寝ているのか起きているのかっていう感じで、「今日、若社長さん来るからね」って言って、本人もわかってはいたけど、意識に体が追い付かない感じで。 若社長さんと話をしたのは10~15分くらいだったと思うけど、これほど大変な状

          49歳で亡くなった兄の膵臓がん発覚から1年8ヵ月の記録 ―妻からの聞き書き⑤

          49歳で亡くなった兄の膵臓がん発覚から1年8ヵ月の記録 ―妻からの聞き書き④

          家での療養生活。最後の1ヵ月【2018年10月、X-1ヵ月】 家で療養して緩和ケアという段階になって、もう会社に行くのは難しいだろうなと思って、会社のごく親しい人にLINEで状況を私が伝えたんだよね。本人は言いづらいのか言いたくないのかわからないけど、本人からはそういった連絡はしていなくて、「会社の人は知っているの?」と聞いても「気付いているんじゃないかな」くらいの感じだった。8月に、前の奥さんとの子どもたちと群馬に1泊旅行に行っていて、その頃には髪の毛が抜けていたから、が

          49歳で亡くなった兄の膵臓がん発覚から1年8ヵ月の記録 ―妻からの聞き書き④

          49歳で亡くなった兄の膵臓がん発覚から1年8ヵ月の記録 ―妻からの聞き書き③

          治験へ望みを託す 【2018年6~8月、X-5ヵ月~3ヵ月】 ゲムシタビン・ナブパクリタキセル療法も5ヵ月くらいで効きが弱くなってきて、次に使える新たな抗がん剤がないから、これまでに使用した抗がん剤の組み合わせを変えるとか、投与量を変えるくらいしかないって言われて、いよいよ厳しいのかなっていう感じがした。薬が効いたからここまで頑張れたんだろうなというのはすごい思うし、副作用はしんどかったけど、ごはんはずっと変わらずに食べられていたから。でも、次の治療をどうしましょうかという

          49歳で亡くなった兄の膵臓がん発覚から1年8ヵ月の記録 ―妻からの聞き書き③

          49歳で亡くなった兄の膵臓がん発覚から1年8ヵ月の記録 ―妻からの聞き書き②

          抗がん剤治療を始める ーフォルフィリノックス療法 【2017年6月~12月、X-1年5ヵ月~11ヵ月】 抗がん剤治療のために、鎖骨の下あたりにポートを埋め込む手術をして、その週に抗がん剤治療をすぐに始めた。フォルフィリノックス療法っていう、4種類の薬を組み合わせたやつ。通常は4つとも点滴で、そのうちの3つは4時間くらい、最後の1つは46時間もかかるんだけど、それを他の薬に代替した治療法だった。代わりの薬は飲み薬で、それを1週間服用するというので。自分で運転して病院へ行って、

          49歳で亡くなった兄の膵臓がん発覚から1年8ヵ月の記録 ―妻からの聞き書き②

          49歳で亡くなった兄の膵臓がん発覚から1年8ヵ月の記録 ―妻からの聞き書き①

          昨年11月、兄が亡くなった。享年49歳。膵臓がんだった。その6年前に父を同じ膵臓がんで見送っていたが、わずか6年後に同じ病で兄の命も奪われることになるなんて、思いもしなかった。兄は東京の自宅で、義姉の看病・介護のもと在宅で亡くなった。最後の3日間は、兵庫県に住む母と私、10ヵ月の娘が駆けつけて、一緒に看取りをした。 父も在宅で看取っており、それは私の人生の中で大きな出来事であったけれど、記憶はどうしても薄れていく。詳細が思い出せない部分も多くなってきた。そのため、兄の闘病と

          49歳で亡くなった兄の膵臓がん発覚から1年8ヵ月の記録 ―妻からの聞き書き①

          納得

          「この世をはかなむといけないから」。 現代に発せられたとは思えないこの言葉は、私の母の口から出たものだ。2ヵ月前まで同窓会の旅行に楽しそうに出かけていた父に末期の膵臓がんが見つかり、余命3ヵ月と告げられて自宅療養に入っていた時だった。 父はもう寝ている部屋から台所までは歩けないようになっていたけれど、母はそれでも家にある包丁やナイフをすべて隠し、そう言った。そんなことを思いもつかなかった私が絶句しているのをよそに、母は淡々と炊事をしながら別の話を始めていた。 3人兄弟の