なき夫

夫の好きだったところを思い出してみる。

出会ったのは大学卒業後に初めて勤めた職場だった。ロスジェネ世代どまんなかの私は、当時、卒業の迫る1月になっても就職が決まらず、新聞の小さな求人欄で見つけた、吹けば飛ぶような小さな出版社に就職した(実際に数年後、倒産した)。彼はそこの編集長だった。

字がフォントのように綺麗で、わかりやすく地図を描いてくれるところが好ましかった。当時は、表紙写真のポジフィルムをフォトエージェンシーに借りに行く、そのために上司が行き先の地図を描くという時代だったのだ。

私の家族は、母がおおらかな大雑把で父がきまじめの几帳面。体操服に名前を書く、私の爪を切るといった細かさが求められる場面では父が活躍した。私は母に似た大雑把タイプのため、自然と自分にないものを持っている人にひかれたのかもしれない。

付き合っていた頃に好きだったのは、私の突飛な思い付きにいつも乗ってくれたところだ。私は別の出版社に転職して、そこの激務をよく愚痴り、ときに「うどん屋をやりたい」というような思い付きを口にした。昼と夕に働いて、間の時間は休憩するという、うどん屋のめりはりある働き方に憧れたのだ。

夫は、「飲食業こそ厳しい世界だ」という正論を言うことなく、「大阪でやるなら出汁にこだわらなあかん」と言って、一緒にメニューを考えてくれたりした。ホワイティ梅田をほろよいで寄り添って歩きながら、各店の前にあるメニューやディスプレイを見てあれこれ言い合った時間、私は確実に癒されていた。

やっぱり仕事に煮詰まって、土曜日の朝に「今から小豆島に行く」と言い出したときも、夫は「自分も」とすぐに電車に飛び乗って来てくれた。シーズンオフの民宿は他に宿泊客もなく、酒飲みの私たちは何度も日本酒の徳利を片手に台所にお代わりに行った。突然来たうえによく飲むなぁと思ったのだろう、宿の人に苦笑されたのもよい思い出だ。

そして今。2歳児を挟んで向こう側に寝る夫を見て、ふと「なんでこの人はここに寝ているのだろう」と不思議な気持ちになる。親兄弟よりも長い時間を過ごしているけれど、きっと別れてしまえば会うこともない人。

恋人の頃の感情がずっと続くわけがないことくらいわかっている。そんなのむしろ疲れてしまう。けれど今の相手を思う感情には名前がない。それはそのまま私に返ってくる感情なのではないかとも思う。いや、もっと冷めた気持ちでいる可能性だってある。

夫婦ってこんな感じでやっていくものなのだろうか。あと何十年も一緒に暮らすかもしれないのに。父を看取ったときに母が繰り返した「お父さんはどう思ってたんやろか」という言葉を今、思い返している。


#エッセイ #夫婦 #育児

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