納得

「この世をはかなむといけないから」。

現代に発せられたとは思えないこの言葉は、私の母の口から出たものだ。2ヵ月前まで同窓会の旅行に楽しそうに出かけていた父に末期の膵臓がんが見つかり、余命3ヵ月と告げられて自宅療養に入っていた時だった。

父はもう寝ている部屋から台所までは歩けないようになっていたけれど、母はそれでも家にある包丁やナイフをすべて隠し、そう言った。そんなことを思いもつかなかった私が絶句しているのをよそに、母は淡々と炊事をしながら別の話を始めていた。

3人兄弟の末っ子である私が独立して家を出てからは、相手の愚痴をそれぞれ私にこぼしていた両親。でもやっぱりいなくなってほしくはないんだな、と当たり前のことを思いながら、父の最期は父だけではなく、母も納得しなければいけないものなのだと悟った。

父は医者の余命宣告をきっちり守り、闘病3ヵ月で逝った。在宅医療のお世話になって父を自宅で看取ったことを、周囲の人は皆ねぎらって「自宅で亡くなるなんて一番幸せやね」と言ってくれ、母は少し誇らしそうにしていた。心配する友人にも「最期に尽くしたから今は泣くことはないんよ」と気丈に言っていたが、私に何度もこぼした「お父さんはどう思ってたんやろか」という疑問への答えはかえってくることはない。

12月12日が結婚記念日だった両親は、いつも決まってルミナリエを見に行って食事をしていた。せっかちな父はゆっくり歩きながら見るというのが性に合わず、東遊園地のイルミネーションを覗くだけだったけれど、毎年欠かさず見ていた。

今年は、私が母とルミナリエを見に行った。それも、点灯のセレモニーを見て、元町側からルミナリエをくぐり、東遊園地で一緒に写真を撮って、親戚に送るという土産物を試食を重ねて選んだ。「お父さんとやったらこんなゆっくり見られへんかったね」と軽口をたたく私に、母は「ほんまそうやわ」とはははと笑った。


#エッセイ

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