49歳で亡くなった兄の膵臓がん発覚から1年8ヵ月の記録 ―妻からの聞き書き③

治験へ望みを託す

【2018年6~8月、X-5ヵ月~3ヵ月】

ゲムシタビン・ナブパクリタキセル療法も5ヵ月くらいで効きが弱くなってきて、次に使える新たな抗がん剤がないから、これまでに使用した抗がん剤の組み合わせを変えるとか、投与量を変えるくらいしかないって言われて、いよいよ厳しいのかなっていう感じがした。薬が効いたからここまで頑張れたんだろうなというのはすごい思うし、副作用はしんどかったけど、ごはんはずっと変わらずに食べられていたから。でも、次の治療をどうしましょうかという期間で、どんどん悪くなっていった。

7月になって、受けられそうな治験があるっていうので、築地の国立がん研究センター中央病院を紹介してもらった。本人も抗がん剤治療はしんどいからもうやりたくないと言っていて、治験はワクチンによる免疫療法だったから希望を持っていたみたい。治験は何人か待っている状態という話だったけど、若かったのもあってかすぐに参加できることになって、嬉しかったね。可能性があるかなって。完治とまではいかなくても、新しいアプローチの仕方が見つかって、光がそこにはあった。

治験の治療は注射を打つだけだったけど、効果や副作用の出方を見るために、入院が必要で。最初は外出許可をもらって銀座でランチをするくらい元気だったんだけど、2回目の注射をする前に戻してしまって。そこから食べたものの消化が難しくなって、十二指腸がつまっているというのでステントを入れたのね。それと、それまでは痛みをロキソニンで緩和していたんだけど、「痛みを我慢するのはよくないから医療用麻薬を使いましょう」と言われて、私はそこではじめて、もうそういう段階なんだと思った。飲み薬だったけど、それを飲み始めてから急激に戻したりし始めたから、私も智雄さんも最初は医療用麻薬が体に合わないんじゃないかなと思っていた。ただ今考えると、癌も同時に進行していたんだろうと思う。

父の七回忌のために神戸へ、最後の遠出

【2018年9月、X-2ヵ月】

治験はもうそれ以上、継続できないから退院ということになったのだけど、退院予定の2日後に神戸のお義父さんの七回忌の予定が入っていた。病院では通常食が食べられていなかったから、新幹線に乗って神戸に行くなんて大丈夫なんだろうかって心配で、気持ち悪くて途中で戻しちゃったりしないかとエチケット袋を常に準備していて。ただ、あんなに食べられていなかったのに、神戸ではお寿司なんかを美味しそうに食べていたから、気力というのもあったと思う。七回忌に行くことがひとつ目標みたいな感じになっていた。思い返せば、どこかに行くとか、誰かが来るからとか、そういう近い目標はすごく大事だったなと思う。

帰り道、神戸のお家からJRの高架沿いを駅まで歩いているときに、荷物をガラガラ押しながら、「神戸に帰るのはこれが最後かもしれない」と思って。隣で歩いている智雄さんも同じことを思っているのかもしれないなと思った。9月だね、まだ暑かったな。

神戸から帰ってきてからは、吐き気がひどくて、何かを食べても戻してしまうことが多くなって、小さなゴミ箱を常に持っている状態だった。でも、ゴミ箱以外のところに吐いてしまうようなことは全然なくて、本人も「俺、うまいでしょ」と冗談めかして言っていたけど、本当に上手で。それは有り難かった。トイレも最後まで自分で行っていたし、汚しちゃったりとかいうのが一切なかったから、そこはやっぱり生き様を見せてもらった気がするよね。えらかったなと思うよね。

その頃は、うどんとかパンとか、「何が食べたい?」って聞いて本人が食べたいものを用意する感じだった。ぶどうや梨なんかの果物がおいしい季節だったから、車で少し遠出していいスーパーに行って、本人がおいしく食べられそうなものを買ったりとか。9月29日の結婚記念日には、ケーキを1カットは食べたんだよね。

緩和ケア病棟に登録し、在宅ケアを開始する

【2018年9~10月、X-2~1ヵ月】

遠出は神戸が最後になって、もう病院にも自分では行けなくて、私が代理で何回か行った。先生にどうしたいか聞かれたから、家の近くで緩和ケアができる病院に紹介してほしいとお願いして。私も智雄さんも病院を調べていて、よさそうな病院2箇所に紹介状を書いてもらった。そのうちの綺麗でよさそうなほうの病院に私一人で行って、医師、看護師、ソーシャルワーカーの人と1時間くらい面談をした。

今どのような状況で、どういう状態になったら入院させたいかという話し合いをして、そのときは、「オムツを変えたりという下のお世話が必要になったら一人でみるのは難しい」って言ったかな。そこで「余命は聞いていますか?」と聞かれて、聞いていませんと言ったら、「紹介状に1~2ヵ月と書いてあります」と言われた。そうなんだ。思ったよりも早いなって。年を越せるかなと思っていたけど無理なのかって。そこでは緩和ケア病棟を案内してもらって、入院希望者のリストに名前を入れておいてもらうことになった。

ただ、智雄さんが「もう入院はしたくない」「家にいたい」というふうに言ったから、ひとまず神戸のお義父さんみたいに往診に来てくれる先生を探そうってなって、インターネットで見つけた訪問診療に特化したホームケアクリニック青梅に連絡して、すぐに来てもらった。いい先生で、看護師さんも信頼できる方だったから、智雄さんも私もここにお願いしようって。(④に続く)

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