49歳で亡くなった兄の膵臓がん発覚から1年8ヵ月の記録 ―妻からの聞き書き②

抗がん剤治療を始める ーフォルフィリノックス療法

【2017年6月~12月、X-1年5ヵ月~11ヵ月】

抗がん剤治療のために、鎖骨の下あたりにポートを埋め込む手術をして、その週に抗がん剤治療をすぐに始めた。フォルフィリノックス療法っていう、4種類の薬を組み合わせたやつ。通常は4つとも点滴で、そのうちの3つは4時間くらい、最後の1つは46時間もかかるんだけど、それを他の薬に代替した治療法だった。代わりの薬は飲み薬で、それを1週間服用するというので。自分で運転して病院へ行って、血液検査を受けて、状態がよければ抗がん剤治療をして、夕方に帰ってくるという感じ。

副作用は、髪の毛については少し抜けるだけで。手足がぴりぴりしたり、冷たいものを飲むとぴりぴりする感じがあったり、味覚がちょっと変わって、生野菜が土臭い感じがするって言っていた。食欲が少し落ちて、熱も37度後半~38度くらい出たね。副作用を抑えるために解熱剤や吐き気止めをもらっていて、それを飲んでいれば何とかという感じで、治療から1週間くらいはしんどいんだけど、次の週にはけっこう元気になるから、その週に旅行やゴルフに行ったり、仕事のミーティングを入れたりとか、自分で予定を調整していた。旅行には行けるときに行っておきたいみたいな感じがあって、抗がん剤治療を始めて3ヵ月後に宮古島に行ったね。海で泳いだり、ゴルフをしたり、島一周を車でまわったり、のんびり過ごした。計画も予約も、そういうのは全部、智雄さんがしてくれていたね。

月の1週目と3週目に治療をするように予定していたけど、白血球が正常な値に戻らなかったりして、もう1週待つとか、予定通りにはなかなかいかなかった。でも、途中で腫瘍マーカーの数値が下がって、CTでも腫瘍の成長が抑えられているって言われて。肝臓の転移についても、消えているものもあるし、判別がつかなくなっているところもあるって言われていたから、「効いているんだな」っていう印象があった。

別の抗がん剤治療に変更 ーゲムシタビン・ナブパクリタキセル療法

【2018年1月~5月、X-10~6ヵ月】

フォルフィリノックス療法を7ヵ月くらいしたところで、効きが悪くなってきたからお薬を変えましょうという話になって、ゲムシタビン・ナブパクリタキセル療法っていう2種類の薬を点滴する方法に変えることになった。1月の終わりに熊本へ旅行して、神戸の智雄さんの実家に寄ってみやちゃんの赤ちゃん(ひとちゃん)に会いに行って、それから。

副作用は前の療法よりも少ないって言われていたけど、本人は前よりもしんどかったみたい。それが単純に副作用によるものなのか、がん自体が進行してきていたからかはわからないけど。これは髪の毛が抜けるって言われていたその通りに、枕にたくさんの髪の毛がついていたり、お風呂でもわーっと抜けて。1週間くらいで眉毛までなくなって、本人がネットで検索して、医療用のニットキャップを買ってかぶっていた。2月には、恒例の北海道へのスノボ旅行にいつものメンバーで行って。それもいつもと変わらずに予約してくれて、髪の毛が抜け始めていたから、皆に気付かれるかなどうかなって心配したけど、ニット帽をかぶっていたからバレなかった。4月にはタイのプーケットに行ってるから、ほんと行けるときに行っておこうっていうのがあったよね。

ゲムシタビン・ナブパクリタキセル療法は、発熱や倦怠感があって、それから吐き気止めで出されていたステロイドの影響と膵臓の働きが弱っているのとで、血糖値が上がってきたから、5月くらいからインスリン注射を打ち始めた。それも自分で打って、携帯で数値を入力したらグラフになるようなのを使って自分で管理をしていた。あとは、お腹の張りと便秘にも苦しんでいたかな。本来、快便の人だから、1~2日出ないこともすごく苦痛だったみたいで。その治療は1週間に1回、毎週火曜日みたいな感じでやっていたけど、これも血液の状態が戻っていないから延期しましょうとか、なかなか予定通りにはできない感じだった。

始めの頃は外科手術をって思っていたけど、1つ目の抗がん剤治療が効かなくなって、2つ目の治療に移ったときくらいから、もう肝臓への転移が消えて外科手術というのは考えられなくなってきて、進行を少しでも遅らせるっていうようなイメージになっていった。本人がどこまでどう思っていたかはわからないけど。

治療をどうやって進めていこうかという話はたくさんしたけど、気持ちを話すということはあまりしなくて。ただ、5年生存率が一桁%だから、長くはないのかもしれない、完治は難しいのかもしれないというのは、最初の頃から頭の片隅に何となくはあった。だから、玄米とか野菜ジュースとか、体にいい食べ物について書かれた本もたくさん見たけど、ご飯は食べられていたから、あまり本人が好まないものを無理に食べさせるというのもよくないのかなと。本人が食べたいものを食べて、働いて、遊んでっていうのがいいのかなって。そのへんがすごく難しかったよ。野菜ジュースを飲んで治ったみたいなのを目にすると、本人が嫌がっていても飲ませたほうがいいんじゃないかとか、あったし。ただ、そういうことを積極的にしたいという感じが本人になかったから、自然とそういうのはなくなっていったよね。あとは漠然と、東京オリンピックは無理かなって思っていたから、先の話はしなくなっていた。(③に続く)

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