49歳で亡くなった兄の膵臓がん発覚から1年8ヵ月の記録 ―妻からの聞き書き①

昨年11月、兄が亡くなった。享年49歳。膵臓がんだった。その6年前に父を同じ膵臓がんで見送っていたが、わずか6年後に同じ病で兄の命も奪われることになるなんて、思いもしなかった。兄は東京の自宅で、義姉の看病・介護のもと在宅で亡くなった。最後の3日間は、兵庫県に住む母と私、10ヵ月の娘が駆けつけて、一緒に看取りをした。

父も在宅で看取っており、それは私の人生の中で大きな出来事であったけれど、記憶はどうしても薄れていく。詳細が思い出せない部分も多くなってきた。そのため、兄の闘病と看取りについては書き残しておきたいという思いがあった。しかしそうなると、ずっとそばでみていた義姉に詳細を聞かなくてはならない。今も悲しみと向き合っている義姉にさらなる負担をかけるのは本意ではない。

迷いながら相談すると義姉は、「すごくよいことだと思う」と諸手を挙げて賛成し、気丈に一部始終を語ってくれた。そして話をしてくれた晩、義姉の夢には兄が出てきたそうだ。そういえば兄は、そういったフォローを忘れない優しい人だった。2人に感謝しながら、以下に膵臓がん発覚から1年8ヵ月にわたる、義姉からみた兄の最後の日々の記録を綴る。

膵臓がん発覚

【2017年3月~4月、X-1年8~7ヵ月】 ※Xは死去の日

膵臓がん診断のきっかけは会社の健康診断だった。オプション検査として腫瘍マーカーをいくつかつけていて、お義父さんが膵臓がんだったから、消化器系の腫瘍マーカーの「CA19-9」も入れていたんだよね。CA19-9の正常値は39U/mL以下なんだけど、400U/mLくらいの値だった。すぐに病院に行ったほうがいいっていうので、家から車で10分くらいの総合病院に行って検査をしたら、やっぱり膵臓があやしいって言われて。それでより精密な検査をするために別の病院にPET-CTを受けに行った。

ただ、仕事で中国と日本を行き来していてマイルが溜まっていたのもあって、フランスへ旅行に行く予定にしていたの。だから、結果が出る前にモヤモヤしながらパリに行って。帰ってきてから、診断を聞きに行くのに「一緒に行こうか」って聞いたんだけど、一人で大丈夫だからって一人で行ったのね。LINEで「どうだった?」って聞いたら、「帰ってから話すよ」って。帰ってきたときにいつものように「お帰り~。頑張ったね」ってハグをして、抱きしめたまま「どうだったの?」って聞いたら、「やっぱり膵臓がんだった」って。「そっか」って。「大きさは?」「2㎝くらい」「転移はしていないの?」「肝臓があやしいって」って。そのときは特に取り乱したりもしていないし、私もその場では泣いたりはしていなかったね。

CA19-9はもう800U/mLくらいまで上がっていたけど、全然、自覚症状はなくて、食べたときに少し胃がもたれるような感じがするかなくらいだった。私よりもよく食べていたし、ラーメンだって食べるし。でも、今はよくも悪くもネットで調べたら何でもわかっちゃうから、転移が確定していたらステージ4なんだよね、切除がもうできなければ抗がん剤っていうのは、今はすぐに調べられるから。先生は、「膵臓がんは自覚症状が出てから見つかることのほうが多いから、転移の可能性は高いけど、若くて体力もあるし、可能性として抗がん剤が効いて腫瘍が小さくなったり、転移がなくなれば切除っていう道もあるから」と言ってくれて。だから、最初は抗がん剤治療をして腫瘍を小さくして、手術をめざしましょうという感じだった。

確定診断~親類への報告

【2017年5月、X-1年6ヵ月】

診断された総合病院では、使用できる抗がん剤が限られているから転院を勧められて、会社の人がよくお世話になっている東京医科大学病院に行ったのね。そこは手術の症例が多いんだけど、智雄さんの場合は抗がん剤になるから抗がん剤治療に強い病院を紹介しますって言われて、その足で杏林大学医学部付属病院に行った。そこで2泊3日で細胞診をして、改めて膵臓がんと診断されて。そのときも自分で聞けるからって一緒に聞きに行くことはしなくて、もらってきた資料を一緒に見ながら、2つの治療法のうちどちらを選択するかっていうのを決めたかな。

本人は淡々としていたけど、どうだったのかな。5年生存率がステージ4だと一桁%だから。口に出しはしないけど、お互いにネットで調べてたよね。でも、食欲も全然落ちないし、痩せたりもしないから、本当にこの人は病気なのかな?っていう感じだった。落ち込んだ様子はみせなかったけど、神戸のお義母さんとうちの親に言わないといけないから、そのタイミングをいつにしようかっていうのちょっと悩んでいたね。まず、みやちゃんと吉雄さん(弟)に言ったんだよね。次にお義母さんに言ったのかな、うちの親には、病院が決まって治療法が決まって、こういうかたちで治療をしていくというのがしっかり決まってから話そうということになっていたから。うちの親も、私がつとめて暗くならないように話をしたから、びっくりはしただろうけど、おろおろするようなことはなくて、ちゃんと支えてあげなさいという感じだった。印象に残っているのは、智雄さんが「せっかく大切な娘さんを託してもらったのに、お義父さんとお義母さんには申し訳ない」って言ったのね。ああ、そういうふうに思ってくれているんだなと。会社の人には、関係の深かった若社長と中国で一緒に働いていた人には伝えたみたいだけど、同期の人とかには言っていなかったね。(②に続く)

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