49歳で亡くなった兄の膵臓がん発覚から1年8ヵ月の記録 ―妻からの聞き書き⑥

看取りの日

【2018年11月1日、X】

亡くなった日は、午前中に体を拭いて着替えをしたね。口が開いて乾燥していたから、看護師さんにしめらせてあげるといいって教えてもらって、スポンジブラシにお茶を浸して口をしめらせた。お昼過ぎくらいに息が荒い感じになって、呼吸が寝息のようではなく苦しそうな感じになったから、先生に来てもらって。

これが病院だと、看護師さんから「危篤なので来てください」という電話がかかってきて、心電図モニターがピーっとなる感じなのかなと思うと、その鳴るかもしれない電話を家で待つというのが怖いし、考えられないから、本人も家にいたがっていたし、私もいてもらってよかったなって思う。

息が苦しそうになってきて、先生にみてもらって、血圧とか血中酸素濃度とかが弱まってきているからもう今夜だと思うっていう話があった。耳は聞こえているから話しかけてあげてください、いったん帰りますからって。最後に家族の時間をどうぞって感じだったんだろうね。何を話しかけたかな。なんか、なんだろうな、意外とそのとき何を話したかはあんまり覚えていないね。皆でベッドの周りにいる感じだったよね。そのときに私が一番いい場所を占領していたから、お義母さんに申し訳なかったなって、あとから思った。母と息子の時間も必要だったのかなって思う。あのとき、朝ご飯から夕ご飯まで全部やってくれて、本当に助かったし。そうだね。そこまで気を遣えなかった。特等席にいるので精一杯。

息が止まった瞬間のことはやっぱり思い出すし、忘れないよね。あの瞬間は。すぐに何をしたかは覚えていないけど、時間はお義母さんがみてくれた気がするんだよね。何時何分っていうのは。それで先生に電話をして、けっこう冷静に話をしていた気がする。吐血をして血が口の中に溢れていたのが見えたから、それを電話で伝えたら掻き出してくださいって言われて。スポンジブラシで一生懸命掻き出してビニールに入れて、けっこう必死だった。苦しいよね、頑張ったねって言いながら。

そのあとは、家だったから自分たちで服を着替えさせたりとか、髪の毛にジェルをつけてセットしたりして。あのときは悲しかったけど、本当に必死だったから、泣いて何もできないというよりは、淡々とじゃないけど、話しかけながら、「こっちの服のほうがいいかな」とか智雄さんに聞きながら。あれはいい時間だったなと思う。「どうしようか? 髭も剃る? みんな来てくれるから格好よく整えておこうか」とか、そんな話をしながらやったよね。

病院だったら、付きっきりで小まめにはみられなかっただろうから、ずっとみてあげることができて自分としてはよかったかな。看護師さんだと複数の患者さんの中の一人になるから、家で最期までっていうのが本当によかったと思う。急に交通事故とかで亡くなってしまった人とかよりは、徐々にそうやって弱っていく姿がみられたし、できることはやり切ったみたいなのもあったよね。ここまでやった、看取ったっていうのはあるから、それは本当に幸せなことだと思う。だからこそ冷静に、じゃないけど。

その後。四十九日を終えて

【2018年12月、X+49日】

四十九日を終えた頃に、看護師さんがお手紙と写真を送ってくれたんだよね。そのあと、お線香をあげたいと言ってくれて、家にも来てくれた。

写真は、10月26日くらいに看護師さんから「事務所のスタッフがどんなご夫婦か知りたがっているから写真を撮ってもいい?」って聞かれて撮ってもらったものだったんだけど。後で考えたらそれは口実で、記録として残してくれたのかなって思う。その写真がまた、すごいよくて。なんとなく笑っていて、おだやかな顔をしていて。智雄さんが自然に私に寄り添ってくれている感じがあって、あの写真はすごい嬉しい。肩のあたりが痩せてしまっているし、病気の顔をしているんだけど、最後の2ショット写真だよね。手紙に書いてくれたこともすごいよくて。看護師さんは、訪問看護のときにも「智雄さんは紳士ですよね」って言ってくれてた。意識が薄れているときでも、話しかけると対応みたいなのに性格が出るのかな。

本人は、本当に気持ちを言わない人だったから、小さいことが嬉しかったよね。写真も、腰に手を回してくれてるじゃんって(笑)。あと、亡くなった後にパスワードを入れないといけない機会がたくさんあったんだけど、それが2人の誕生日に設定されていたり、パスワードを忘れたときの秘密の質問みたいなのが「妻の誕生日は?」とか「妻の名前は?」とかだったり、そういうのが後からわかってなんか嬉しかったりした。小さな喜び(笑)。「今までありがとう」とかはなかったけど、小さいありがとうはたくさんあった。冷蔵庫から飲み物をとったりして、ありがとうとか。そういう小さいありがとうが最後の1ヵ月は本当にいっぱいあって。冗談ぽく「千晶さんがいないともう生きていかれませんわ~」って言ったりとかして。

やっぱりよかったっていうか、恵まれていたっていうか、どう思ってたんだろうって本当にそればっかりはわからないけど、お家にいたいって言っていて、最期までお家にいれたし、よかったなって。皆がみんな希望通りに家でみられるわけではないから。本当にいい先生といい看護師さんで心強かったし、みやちゃんとお義母さんが来てくれて本当に、何よりも私が救われた。会社の人がみんな「智雄さんは幸せ者だよね」って言ってくれたから、後悔がないっていうわけではないけど、ほんとやりきった。よくやったと思うよ、本当に。結婚生活は中国と日本とで離れている時間が多かったから、24時間ずっと一緒にいるみたいなのが、かけがえのない時間だったよね。(了)

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