49歳で亡くなった兄の膵臓がん発覚から1年8ヵ月の記録 ―妻からの聞き書き④

家での療養生活。最後の1ヵ月

【2018年10月、X-1ヵ月】

家で療養して緩和ケアという段階になって、もう会社に行くのは難しいだろうなと思って、会社のごく親しい人にLINEで状況を私が伝えたんだよね。本人は言いづらいのか言いたくないのかわからないけど、本人からはそういった連絡はしていなくて、「会社の人は知っているの?」と聞いても「気付いているんじゃないかな」くらいの感じだった。8月に、前の奥さんとの子どもたちと群馬に1泊旅行に行っていて、その頃には髪の毛が抜けていたから、がんだとは伝えていたとは思うんだけど、膵臓がんだったというのは亡くなってから知ったみたい。

がん患者の方のブログを読むと、余命がわかった時点で、人生を終える支度みたいなことを残された人のためにもするっていう人を見かけるけど、全然それはなかったね。頑張るからねというのもないけど、弱音もあんまりないし、今までありがとうというのもそんなにないし、クールな感じではあったよね。だから「本当はどうしたかったのかな」とか「本当はどうだったのかな」というのは今でも思うことがある。

会社の人にLINEをしたら、お見舞いに来たいって言ってくれて。本人に聞いてみてもらったら、いいよっていう感じだったから、土日に来てもらったりしたけど、私が知らせていなかったら誰にも会っていなかったと思う。会っておきたい人がいるかどうかをやんわりと聞いたんだけど、特にないという感じだったから。他にも会いたいと言ってくれる人はたくさんいて有難かったけど、本人があまり乗り気ではないみたいだったから、「様子を見て連絡するね」って言ってそのままになった人もけっこういたんだよね。

10月に入った頃かな、一人で家に置いておくのが心配になってきて。バイト先のシフトがもう出来上がっていたから申し訳なかったけど、もう働いている場合じゃないと思って、お休みをもらうことにした。そこでひとつ、自分の中で何かが離れた感じがして、もう看病・介護に専念できると思って、すっきりした感じがした。

10月半ばには、みやちゃんとひとちゃんとお義母さんが来てくれて、泊った次の日には、吉雄さんと麻衣子さん(吉雄の妻)も来てくれて、あのタイミングで皆で集まれて、話ができてよかったよね。夜にしゃぶしゃぶをしたけど、それも食べられるのかなって思ったら、けっこう食べていたし。お義母さんがつくってきてくれた智雄さんの好きな栗のお赤飯も食べられていたもんね。一膳とまではいかなかったけど。人が来ると気が張るんだろうけど、2人でいるときよりも、来客があったときのほうが元気だった気がする。

智雄さんが最後に外に出たのはその数日後、亡くなる10日くらい前かな。天気がよかったから、マンションから3分くらいのところにあるスーパーにお散歩がてら行こうかっていって行ったんだけど、すごくしんどそうで、途中で座って休憩したりしながら何とか行った。それからはずっと自宅で。車椅子ででも外へ出たいとか、そういうのは言わなかったね。

看護師・医師の訪問が徐々に増えていく

【2018年10月、X-1ヵ月】

訪問看護は週に3日お願いしていて、うち1日は先生も一緒に往診に来られるというスケジュールになっていた。看護師さんに経過を伝えるために、最初は携帯にいろいろ書き留めていたんだけど、それだと限界があるから、看護師さんに1日の記録表みたいなもののひな形をもらって、使いやすいように修正して使っていた。何時に服薬、飲食、嘔吐、排便、排尿、睡眠、その他をしたとか。それも智雄さんがパソコンでやってくれたんだよね。こうしたほうが使いやすいかなとか話し合って。今見ても、この頃まではこれを食べていたんだってわかるから、すごい記録だなって思う。

最初の2週間くらいはスケジュール通りに来てもらっていたけど、その後は腰が痛いとかいろいろな症状が出てきて、亡くなる10日前くらいからは頻繁に看護師さんに来てもらうようになったかな。20時や21時でも「今から行きましょうか」と言って来てくれて。医療用麻薬を入れているから眠気は強いんだけど、昼間はすごく眠いのに夜は眠れないとか、バランスが難しかった。こちらとしては横になって寝てほしいんだけど、横になると背中が痛いのと、腹水が溜まっているからしんどいというのがあって、ダイニングの椅子に座って、机に伏している体勢が楽だったみたい。いったんお布団に入っても、夜中にダイニングに行って突っ伏して寝ていたりして、だから肘のあたりに床ずれみたいなのができていた。(⑤に続く)

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