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“ズレ”違う男女〜飯でもどう?を了承するリスク〜


日常会話に潜む罠


『また今度ご飯でも!』

人付き合いする中でまぁまぁの頻度で登場するこの台詞。

例えば

・愛想笑いをしながらの先輩や後輩との会話終わりのタイミング
・特に親しいわけでもない女友達との別れ際
・異性との探り合いをしながらの会話の最中

などの場面で使われるでしょう。
その約束は本当に果たされることもあれば、建前としての役割を無事果たして霧散することもある。所謂“本音と建前”、その両方で使える言葉と言えます。
この慣習が良いか悪いかはひとまず置いておいて…学校やアルバイト先、職場などで、散々その言葉を聞いてきたし私自身も使ってきました。
むしろ大人になればなるほど便利な言葉として使うようになったかもしれません。

ただこの言葉は時として思いもよらない結果をもたらすことがあるのです。


ここからは私が実際に体験した出来事です。
なかなか長い話になると思うので結論が気になる方は最後まで飛んでショートカットしてください!笑



新社会人時代の悪夢

20代半ば。当時私には彼氏がいた。
知人の紹介で知り合った他職種、年上の彼氏。もちろん親しい友人は知っていたが、わざわざ職場の人間に言うようなことでもないだろうと大々的に彼氏の存在を口にしてはいなかった。

そんな折、仕事の関係である1人の男性と知り合った。
ここではMさんとしよう。

Mさんは当時50歳前後だったと記憶している。親と同じくらいの年齢のMさんはクライアントという立場でありながら、まだまだ働き始めたばかりの私のことを気にかけてくれて、仕事に関するアドバイスをくれる厳しくも面倒見のいい人、という印象だった。

私は仕事で迷惑をかけてはいけないという気持ちと、面倒を見てくれるMさんをがっかりさせたくない一心で仕事に打ち込んだ。

ある日、仕事で関わっている他社の人も交えて昼食をとっている時、Mさんが「今度おいしい焼肉屋に連れていってやるよ」と言いだした。
盛り上がる皆と同様、私も「ありがとうございます!」とだけ答えた。
なんてことはない世間話。日常の1シーン。そのつもりだった。


数日後Mさんから届いた一通のLINE。
そこには
「昨日話してた焼肉屋、明日の夜予約取れたけどどう?」
の一文。


正直、胸騒ぎがした。
あの場では皆で行く、という流れだったのに何故個人LINE…?
一人一人誘っているのか、それとも私だけが誘われているのか……既読がついてしまった画面を前にしばらく考え込んでいると、新しい通知音。


「毎日一人で外食するのも味気ないし一人で焼肉屋は恥ずかしいから、付き合ってくれるとありがたい。」


100%その言葉を鵜呑みにしたわけではないが、お世話になっているかつクライアントからの誘いとあっては断れない。
一応直属の上司へご飯に誘われて同行する旨を伝え、私はMさんに了承の返事をした。

その後のラインのやり取りで何となく確認したところ、やはり誘われたのは私1人だったのだが、翌日のご飯は和やかに進んだ。

いかにも高級そうな外観の店前で待ち合わせ、一枚一枚店員さんが肉を焼いてくれる食べたこともない焼肉のコース料理を食べ、今やってる仕事の話やMさんの昔の話に相槌を打ちながらおいしいお酒を飲んだ。

考えすぎかという自意識過剰な自分への恥ずかしさと、疑いすぎたなという若干の罪悪感を抱えつつ、Mさんがデザートを食べようと誘ってくれた二軒目のバーに向かった。
なかなか客席の多いその店でカウンターの席に通され、バーテンダーにおススメされたデザートを食べていたその時。


「ところで、みや子はどこまでOKなの?」


頭の中を?が駆け巡った。
直前の話題は何だったか、そんな質問をされる内容だっただろうか?
考えども考えども答えは出ない。
正直に「何がですか?」と答えるとMさんからは「彼氏いるの?」との質問が。

流れが舞った分からないまま、とりあえずその質問に対する答えは持ち合わせていたので正直に「います。」と答えた。

するとMさんは「そうなんだ。じゃあ、俺とはどこまでOKなの?」と再度同じ質問をしてきた。


この時、ずっと抱いていた不安が的中したと確信した。
Mさんは“そういう意図”があってご飯に誘ってきていたのだ。

それ以降は一貫して話の通じない、察しの悪い女のフリをした。

「ご飯はご一緒できます!」
「いや、そうじゃなくて。」
「あれ?違いました?」
「じゃあ、お前なんで誘われたと思ってるの?」
「え…Mさんが前に焼肉のお話しされた時に私もその場にいて、たまたま今日予定があいていた暇な私に声かけてくれたんじゃないんですか?」
「…鈍いなぁ、お前。」
「あれ?違いました?すみません!」
「じゃあ、彼氏以外の男とはどこまでできんの?」
「彼氏以外ですか…?うーん、手をつなぐ、とかですか?」
「なんだそれ。子供か。」
「また違いました?すみません…」


こんな感じで。

それこそ本音で答えさせてもらえば
彼氏でもない“俺”とは手もつなぎたくありません。
今日のご飯は「外食ばかりで味気ない、一人で焼肉屋に入るのは恥ずかしい」というアラフィフおじ様のご飯のお伴。それ以上でも以下でもないし、彼氏以外の男とどうこうなるつもりもありません。


もちろん当時の私はこんなものではない、それはそれは人様にお見せできないほど罵詈雑言1000%な本音を心の中で繰り返していたけれど。


これ以上長居してはいけない。
そう思った私は親戚が家で待っているので終電までには帰らなければならない、と嘘をついてその場をなんとか逃れた。


次の日から当たり前のようにMさんからの当たりが強くなった。
同僚や上司から聞いた話では
「みや子は礼儀がなってない。使えない人間だ。」と会議で話題に出されたらしい。

万が一、とバーからの帰り道上司に事の顛末を報告していたのであらぬ誤解は防げたが(信じてくれる上司と同僚に心から感謝した)、Mさんの会社関連の仕事からは外されることとなった。


その後も定期的にお誘いのラインが来てはやんわり断り、結果嫌がらせをされるという流れが2年間ほど続いた。

今は私が職場を変え、接点がほとんどなくなったので平和な日々を過ごしている。



Mさんがたまたまそういう人だったのかも。
運が悪かったな…。


そう思っていたのだが、その後も同じような男性に次々とぶち当たった。


そこで私は悟ったのです。

ご飯の誘いをOKする女子=ワンチャンいける女子

という謎の図式を持つ男性が一定数(或いは大多数)この世の中にはいるのだということを。


男女間の“ズレ”が招く理不尽


ここでの“ワンチャンいける女子”とは、自分に気(又は好意)があり、恋愛関係ないしは肉体関係へ発展する見込みのある女子を意味します。

…自分で書いていて腹が立ってきました…(笑)

そもそも。
女子がご飯の誘いをOKする理由はざっくり
ただ単に友達としてのご飯のつもり
意識している異性とデートのつもり
仕事上(又は人間関係上)の付き合い
のように分けられます。

しかしどう考えても③の理由でのご飯だとしても、何ならキスくらいはさせてくれるだろうと考えている男性が一定数(或いは大多数)いるのです。

そしてそういう男性の多くが
①自分より遥かに年上(親の方が歳が近い)
②上司やクライアントなど立場が上(断わりにくい)
③妻帯者(論外。最低。)
など、何故そんな思考に至ったのか説明をしてほしい立場の人ばかり。

※個人的には恋愛に歳の差は関係ないと思っているので恋愛感情がある前提での“自分より遥かに年上”は大きな問題ではない。

さらにアラサーになってからはご飯を断れば
「そんなんだから行き遅れるんだ」
と言われ、ご飯に行き、その先を断れば
「何を勿体ぶっているんだ」
と言われるようになったのです。


全くもって余計なお世話。


第一、こちらにも選ぶ権利がある。何故一方的に値踏みされなければならないのか…
お金では買えない大切な“自分の時間”と“自分自身”を使いたいと思う選択肢の中に貴方との時間がないだけなのに…

彼らは“自分だから断られた”という考えはなく、“お高くとまって可愛げがない奴”とあくまで女性に非があるような言い分で、ちっぽけな自尊心を守ろうとしているように見えます。

そんな自分勝手な理由で女性を貶めてくるような人に可愛げを見せなければならないなんて…もったいない…

そう思うのです。


もちろん!
全ての男性がそうだとは思っていないし、そうじゃない男性も知っています。(ここ大事!)
女性の中にも、思わせぶりな言動でうまく利益を得ようとする人はいます。(これも大事!)

ただ、10年以上の社会人生活の中で私自身や友人知人が実際に体験した事例をあげていくと、そういうズレた思考の男性が少数派でないことも紛れもない事実なのです。


リスクとの共存


こんな場面に遭遇する度に思っていました。
どうやったらうまく躱せたのだろうか?と。

当時は気付いていなかったのですが、私は無意識に“うまくあしらえなかった自分が悪い”という前提で自問自答を繰り返していたのです。

こちらには何一つ、落ち度はないのに。

Mさんの行為はパワハラであり、セクハラに該当するでしょう。
でもこの一件があるまで、彼は本当に良き人生の先輩だったのです。
他にもまさかこの人が…と思うことが多々ありました。

「ご飯に行こう」の誘いが意味する本音がなんなのかを、いつ、どのタイミングで、どうやって判断すればいいのか…。
これが本当に難しく、そして更に厄介なのは、その本音が分かったところで回避できない場合があるということです。

仕事の関係性が絡むと複雑になりがちな上に、むちゃくちゃな論理を振りかざす理不尽な人には正論など通じません。
そんな恐ろしい魑魅魍魎が蔓延る社会で、私達はこれからも“本音と建前”を上手く使い分けながら生きていかなければならないのです。

「飯でもどうかな?」
「ご飯くらいいいじゃないか。」


この台詞を文字通りに受け取ると、とんでもないリスクを背負うことになるかも…?

便利な言葉の裏には、思いもよらない理不尽な本音が隠れているかもしれませんのでご注意を…。

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