見出し画像

村田沙耶香さんの小説の超越ぶり

数日前の記事で、村田沙耶香さんの小説を読んでいると書きましたが、『コンビニ人間』に始まって、何作か読んでみました。 とはいってもまだ5作品未満の程度ですが。

私がよく読むのは、比較的女性の作家さんが多いような気がします。意図的に好んでいるわけではないけれども、そういうテーマのものに興味があるというか、そのテーマを扱って書いている作品が女性作家さんに多いというか。

男性作家さんでも好きな作家はいます。 村上春樹さんに始まって、東野圭吾さん、重松清さんは好んで読みました。

歳とともに感性が変わってくるというか、価値観や興味の対象も変わってくるというか。最近では遠藤周作さんの作品が味わい深く、その奥深さがよくわかるようになり多くの作品を読みあさりました。

話は戻って・・

女性では、角田光代さん、吉本ばななさん、森絵都さん、三浦しをんさん、山本文緒さん、そして村田沙耶香さん。あとは、作家というより直木賞や芥川賞で話題になった作品などを対象に読んだりしていますが、これもまた女性作家さんの作品が多いです。

たぶん私が興味を持つようなテーマの作品を扱っているものがたまたま女性作家だったのかもしれません。特に日常を扱った作品や共感できるような作品が多い気がします。

村田さんの本に限らず、私が読んだ最近の作品では「生きづらさ」を感じている主人公が出てくるものが多く、『推し、燃ゆ』『おいしいごはんが食べられますように』『コンビニ人間』『むらさきのスカートの女』 などにみられる主人公は何か問題を抱えていたり、そういう人間関係に置かれていたりします。

その中でも村田沙耶香さんの作品は特にエグイ。そんなやわらしい生きづらさではありません。

というか、主人公そのものが人格形成において外的要因によって歪めさせられているようにも思えます。その歪んだ、奇異な人間のつくられたバックボーン(たとえば家庭環境)も描かれています。

最近読んだ村田沙耶香さんの本は『地球星人』。

『地球星人』(新潮社)


地球星人は、 24時間休むことなく人間を作る工場の中で暮らしている。働くこともセックスするのも本当は嫌いなのに、 催眠術にかかって、それが素晴らしいものだと思わされている。「私はポハピピンポボビア星人である」と思っている主人公・奈月の物語は小学5年生から始まる。

小学生の奈月が通っている塾の大学生の先生・伊賀崎からは「お勉強」といわれ性被害を受けている。
奈月は、お盆休みにだけ長野の秋級(あきしな) で会える同い年の従兄の由宇 (ゆう)と、自分たちだけで 結婚することに 。(奈月が「結婚したい」と由宇に切望した) 

結婚する際に由宇と交わした三つの約束のうちの一つが 「なにがあってもいきのびること」。
奈月には、地球の、この世界が「人間を作る工場」に見えている。

〝ここは、肉体で繋がった人間工場だ。私たち子供はいつかこの工場をでて、出荷されていく。〟
〝ここは巣の羅列であり、人間を作る工場でもある。私はこの街で、二種類の意味で道具だ。一つは、お勉強を頑張って、働く道具になること。
一つは、女の子を頑張って、この街のための生殖器になること。私は多分、どちらの意味でも落ちこぼれなのだと思う。〟

家族との関係性、 性被害のこと、いろいろな苦痛を抱えきれなくなった奈月は恋人の由宇と結婚したらこの先を終わらせようとしていた。それはまだ小学6年生の頃のこと。

村田沙耶香さんの作品に登場する主人公は一見普通じゃない、「変わった」 特性を持つ子。
でもそれは生まれながらにして持った特性というわけではなく、ある程度は特性として備わっていたものとはいえ、家族との関係性から次第に歪んでいく (もしくは壊れていく⋯)というものだったりする。

そう思うと、「普通」の範疇にありそうな一人の人間といえども、その過程(外的要因)で狂気にも思える思想と行動に駆り立てていくあたりが他人事ではないし、そういう、親との関係性によっても人格が違った方向に作られていく(もしくは分離していく) 危うさが変にリアル・・。

普通の子が、普通じゃない風に扱われ、逆にその子から見たら、周りの人間のほうが普通じゃない、という、視点が逆転することによって読者は不思議な感覚に見舞われる⋯。

日常のニュースの中で、ささいなニュースから一大事件まで日々報道されている。 殺人事件に関しては、自分の身の回りの事柄とは「別もの=理解しがたいもの」として私たちは認識していますが、村田さんの作品では、その理解しがたいような当事者の心理が、主人公の視点を通してなんとなく見えてくる、そして読者はそんなシーンを疑似体験する⋯。『地球星人』は、本当にぶっとんだ、クレイジーな作風。

もしかして村田沙耶香さん自身がポハピピンポボピア星人で、この本を通じてポハピピンポボピア星人の繁殖を試みているのでは⋯という気にさえなります。

『地球星人』だけでなく『ギンイロノウタ』も同様。主人公の思想と行動が異様すぎて衝撃なのだけど、これはもしかして誰もが内面に抱いているものではなかろうか、とか、こんなふうに見えている人もいるんだ、とか、もしかしてこれは笑い飛ばすタイプのユーモア小説なのか?など、いろんなテイストが混じっているので言葉に表すのが難しい。

幽体離脱も作品内に出てきますが、村田さんは客観的に捉えることを通り越し、俯瞰で見ているどころか、本当に地球の外から、宇宙からわれわれ人間を冷静に見ているようにも思えます。

レビューにも「ぶっとんでいる」「クレイジー」とか良くも悪くも書かれているけど、本当は村田さんこそが「クレイジーでぶっとんでいるのはどっちなんだい?」と微笑んでいるのかもしれません。

一言で言うなら

彼女の世界観はものすごい。

ちなみに、遠藤周作さんの作品は「人間」「信仰」「神」のテーマが多く、慈悲深さにつきます。
どんなに未完全な人間でも、愚かさや醜さや弱さを持っている人間にでもひとすじの光が与えられる。生きづらさを抱えている人たちをも抱擁する懐の深さがあり。

作家さんの作風やテーマはそれぞれで良さがあり、一概に比較はできないけれど、これからも時間の許すかぎり多くの本を読んで、学ぶなり癒されるなり疑似体験するなりして楽しんでいきたいと思います。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?