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自分と両思い(魂と私の統合)から一夜明けた。※ただの独り言

なんだろうか。
安心感の質が格段に上がった。
ちょっとブレそうになるけれど、「私は私の魂に愛されている」と唱えれば軸は元通り。

いつも抱えていた不安と不足感は「憶い出そうとして頭に浮かぶ」レベルで、常に頭の片隅にある状態から脱せた。

魂、ハイヤーセルフ、宇宙に対する信頼を持てている。
理由も、根拠もないけれど。
一夜明けて見えたものは、とても美しい朝焼けで、それ以外は何も変わっていない。

唯一の変化は、
いつもはカフェオレだけど、今朝はカフェモカ風を淹れたことだけ。
チョコの風味がとても美味しい。



私は文章を3つの場所に書いている。
ひとつめは、このnote。
ふたつめは、日記アプリ。
みっつめは、手書きのノート。

自分の中で緩いルールがあるけど、明確にはしていない。
書きたいときに、書きたい場所を選ぶだけ。

私にとって文章を書くことは、アウトプット=断捨離・浄化だ。
もう、何度かこの言葉は記している。

手放したいとか、整理したいとか、スッキリしたいとか、次に進みたいとか、自分の成長を促すときに「書く」という作業をする。


noteに関しては、以前は「誰かに見てもらうこと」を前提に書いていたけど、今はもう完全なる自己満足。
だから、公式LINEとかオンラインストアとかの情報を入れ忘れてしまう。
何の生産性もない、ただの趣味としてnoteを楽しんでいるだけだ。

ゆえに、
義務感も、使命感も、焦燥感も、窮屈感も、何もない。
書きたくて書いている。
楽しいから、書いている。

小中学生の時、私はマンガや小説や詩を書いていた。
マンガはノートに何十冊と描いていたし、小説はルーズリーフに書いていた。
マンガはりぼんに投稿したこともある笑
詩は賞を取った。(と言っても市の優秀賞)

夢中になって創作していた。
時間も忘れて夢中になってやっていた。

当時のエネルギーとは異なるし、あの頃と同じ情熱ではないけれど、私は文章を書くことを改めて楽しんでいる。

自分の想い、感情を文字で表現し、文字という形に変換して残していくことが、とても楽しい。
ほとんど、読み返すことはないけれど。


私は創作が好きなのだ。
高校、大学、出産からしばらくという穴はあったけれど、合計で15年くらいは創作をしている・・・らしい。

私が唯一続けられていることが、文章を書くことだ。
しかも、苦なく。
やりたくてやっている。

作家、出版に憧れていたけれど、今はこうやってひとり楽しく文章を書くことが、私にとって価値ある作業になった。
生産性を考えると、すぐに苦しくなってしまうし、大好きなことが嫌いになってしまいそうになるから、考えるのを辞めた。

私は、書くことを楽しみたいから。
「楽しい」をずっと持っていたいから。

そして、
文章を書いている自分が、大好きだから。

なんとも表現しがたいけれど、好きなことを楽しめている自分が好きなのかな?
好きなことがある自分が好きなのかな?
自分の好きを満喫していることが好きなのかな?

分からないけど、「好き」があるって良いことだ。

趣味は文章を書くことです。
って言うと、「・・・へぇ」みたいな反応があるけど、どうでもいい。

好きに理由なんてない。
(これは子どもにも伝えている)
好きだから、好き。

それでいい。


私の魂に愛されている私は、
好きなことを続けてられている私は、
とても幸せだ。

今日も文章を書けて満足だ。
想いをスムーズにタイピングできて幸せだ。
そう想える自分で在ることが、何よりも嬉しい。

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