隣の芝生よりも、”自分の芝生”を輝かせる3つの方法
「隣の芝生は青く見える」
あなたは、他人の持つモノを
羨んだりしませんか。
「いいな~、キレイな顔立ちで」
「俺も金持ちの子供に生まれたかった」
「どうせ、あいつのほうが評価が高い」
そんなふうに、他人と自分を比較して
落ち込んだりしていませんか。
比べてもキリがないと分かっていても、
どうしても気になる”他人の芝生”。
じつは、隣の芝生が青く見える相手は
限られています。
比較の対象となるのは、
”身近な存在で自分と大差のない人”です。
「いいな~」と思う相手でも、
目上の方や社長、有名人といった
自分とかけ離れた相手には使いません。
なぜなら、「羨ましい」という感情に
”憧れ”が潜むからです。
「身近で自分と変わらない人」を
例で挙げると…
・会社の同僚
・歳の近い兄弟・姉妹
・同級生
・友達
・ママ友
などが挙げられます。
さて、本題に入りましょう。
ここでは、隣の芝生よりも
”自分の庭を輝かせる方法”をお伝えします。
他人の持つモノを気にせず、
過ごすためにはどうすればいいのか。
自分の持つ真の価値に
気づいてもらうために…
ぜひ、読んでいただけると幸いです。
では、いきましょう。
✔他人を気にしない
「3つの方法」
「隣の芝生」を気にせずに、
有意義な時間を送るために
”3つの方法”をお伝えします。
①他人と自分を比べない
②感謝する
③課題の分離をおこなう
以上の3つです。
ひとつずつ解説します。
①他人と自分を比べない
隣の芝生を気にしないためには、
他人と自分を比べないことです。
そうはいっても…
それができれば苦労しない
と反対意見が出るでしょう(;^_^A
そもそも、どうして
他人と自分を比べてしまうのでしょうか。
一番の理由は、
「自分の優位性を確かめたい」からです。
つまり、
相手よりも自分のほうが立場が上だ!
と決めつけたいのです。
でも、考えてみて下さい。
この世に、自分とウリ二つの容姿で
考え方も同じな人間が存在する
と思いますか?
育った環境は、ひとりひとり違うもの。
それぞれの個性(能力)の違いは、
とうぜんながら出てきます。
同じ屋根の下で育った兄弟ですら、
まったく違う考え方を持つのですから。
そういった原理原則を無視して、
自分の価値観だけで
「あなたは私より下です」と決めつけて
楽しいのでしょうか。
面白いのでしょうか。
わたしからすれば、
ずいぶん心の狭い小さな人間だな~
と感じます。
どうしても
他人と自分を比べてしまう人は、まずは
相手は自分とは違う存在と考えましょう。
「人は人、自分は自分」と考えれば
他人と比べる思考は減らせます。
②感謝する
さきほどお話ししたように
他人と比べる人は、
自分の優位性を確かめたがる人です。
こういった方は、物事の判断の基準に
「当たり前」がベッタリ付いています。
「○○するのが当たり前」
「それが常識」
「普通は、こうするでしょ?」
自分の価値観を疑わず、他人に
”自分の当たり前”を強要します。
そうすることで、相手の常識を否定して
自分の立場に満足しようと考えます。
正直、当たり前に囚われていると、
いつまでも隣の芝生を気にして
生きなければいけません。
では、どうすれば
「当たり前」の呪縛から解放できるのか。
それは「感謝する」ことです。
相手の行動ひとつを見ても
「それは当たり前だ」と考えずに、
「ありがとう、○○してくれて」と
思考を変換します。
「助かるよ」
「ありがとうね」
「気を使ってくれて」
そうやって「感謝」の気持ちを持てば、
おのずと相手への当たり前の視点は
消えてなくなるはずです。
「感謝する」は、
ほかにもメリットがあります。
それは、他人の芝生の成長を
”心から喜べる”ことです。
気にするどころか
「もっと成長してほしい」と
考えるようになります。
そうした考えは、
かえって自分の成長につながります。
「感謝の気持ち」ひとつで、あなたは
一回りも二回りも大きな人間として
成長できるのです。
③課題の分離をおこなう
「課題の分離」とは、
課題(取り組むべき行動)にたいして、
”誰の課題なのか”判断することを指します。
自分の課題であれば、
全力で課題クリアに取り組む。
かりに、
自分以外の課題であれば関与しない。
そうやって課題を明確に分けて、
私情を混乱させない方法です。
たとえば、
「遅刻常習犯の後輩と
それを改善したい上司がいた」とします。
どんなに「遅刻をなおしたい」と
上司が考えても、
後輩の遅刻はなおりません。
なぜなら、”遅刻をなおす”という課題は
後輩の課題だからです。
後輩が「遅刻をなおさなきゃ」と
自身の課題として捉えないかぎり、
いつまでたっても遅刻はなおりません。
上司がやるべきは、
「なんで遅刻するんだ!」と
遅刻した後輩を怒ることではありません。
「遅刻したら、こういった不利益があって
あなたにとって損するよ」
と気づかせることです。
そうやって、後輩が
「遅刻は自分の課題だ」と考えれば、
その後は遅刻しないための対策を
取るでしょう。
課題の分離では、
「誰の課題なのか?」と
明確に判断するには
シンプルな基準を設けています。
それは…
その課題の最終責任を
”誰が背負うか”です。
さきほどの遅刻の後輩は、
遅刻した責任を背負うのは後輩です。
だから、遅刻をなおすのは後輩の課題です。
けして上司の課題ではありません。
(間接的に見れば会社の不利益につながり、
結果、上司の教育ミスとなるので
一部は上司の課題・責任ともいえます)
”課題の最終責任者”を判断すれば、
無意味になんでもかんでも
責任を感じる必要はなく、また
他者の課題に必要以上に
踏み入らなくて良くなります。
つまり、隣の芝生を気にすることは
”無意味なこと”と気づかせてくれます。
「課題の分離」を上手に利用して、
自分の課題だけに集中するように
思考をシフトしましょう。
* * * * *
✔隣の芝生は、
所詮は”隣の芝生”
わたしは、ぜひ皆さんに
隣の芝生ばかりに気を取られずに、
自分の庭(芝生)を輝かせてほしい
と考えています。
なぜなら、隣の芝生を気にする人は
「ないものねだりで、
行動を起こさない方ばかり」だからです。
「人生をより良くしよう」と考えるなら、
行動を起こすことは必要不可欠です。
でも、ヒョイと隣を見ては
「いいな~」と羨んで地団駄を踏む。
あげくの果ては、
「あいつはズルをした」
「絶対に正当な評価ではない」
そんなふうに…
考えたところで何の生産性もない思考に
時間ばかりを使います。
そもそも、
他人の芝生を見ている余裕なんて
ないものです。
自分は自分。
他人は他人。
隣の芝生は、所詮は隣の芝生。
あなたの芝生ではないのですから。
そして、
あなたの芝生を育てる人は
ほかの誰でもありません。
あなた自身が育てるのです。
あなた自身の手によって育てなければ、
”あなたの芝生”は
荒地へと変わり果てるでしょう。
丹精込めて育てれば立派な芝生となり、
ステキな庭になります。
あなたは、どちらの庭をご賞味ですか。
もう答えは決まっていますよね(^^♪
隣の芝生を気にせず、
自分の芝生を丁寧に育て上げてください。
では、また。
失礼します。
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