わたしが始まる(短編小説)
『何者かになる人生と何者にもなれない人生、どっちがいい?』
「……え?」
ふいに、誰かの声が聞こえた気がした。
「んー?」
気のせいかな? と思って周りを見渡してみるけど、わたしの周りに人はいない。
じゃあ、どこから声がしたんだろう? 不思議に思って、首を傾げていると――。
『……なにになりたい?』
また、声が聞こえてきた。今度はさっきよりもはっきりと。
でもやっぱり周りには誰もいないし、人の気配もない。
(う~ん? )
空耳、だったのかなぁ? よくわかんないや……。
だけどなんだか妙にその言葉が頭から離れず、しばらく考え込んでしまう。……そういえばわたしは今までの人生、なりたいものなんて考えたことなかったかも。だって、わたしがなれるわけがないって、みんな言うから。
だから、わたしもなんとなく諦めて、言われるままに生きてきちゃったんだけど……。
(もしなれたとしたら……)
それはそれでちょっと面白いかもしれない。うん、そうだね! せっかくだし、なってみようかな!? わたしは心の中で決心すると、大きく息を吸って吐いた。そして目を閉じながら両手を広げて―――。
「わたしは、わたしになる!」
高らかに宣言すると同時に、全身に強い光が駆け巡る感覚があった。
眩しくて思わず閉じた瞼の裏まで白く染まっていくような強い光に、体が包まれていくのを感じる。…………どれくらい時間が経っただろう? 数秒だったのか数分なのか数時間だったのか、時間の経過もよくわからないまま不思議な浮遊感に包まれていたわたしは、やがてゆっくりと目を開ける。
目の前にあったのは、さっきまでの景色とはまるで違う場所だった。……ここは、どこ? 見渡す限りどこまでも広がる真っ白な空間の中、わたしは一人ポツンと立っていた。
足元を見てみると床らしきものはあるみたいだけれど、どこまで続いているのかわからないほど白い地面が続いているだけで、ほかには、なにも見当たらない。……あれれ? わたしはどうなったの?
辺りを見回しても見える範囲には、なにもないし、本当にここがどこかもわからない。……えっとぉ~。困ったぞ? ……と、とりあえず歩き回ってみるしかないよね! ここにいても仕方ないし、まずはこの空間を調べないと始まらないもんね! そう思って一歩踏み出した瞬間――。ピリッ! 静電気のような刺激が足裏に走り、反射的に足を戻してしまう。
(いったぁ~い!! ……もう、なんなのよぅ)
わたしは涙目になりながらも再び前へと進み出す。ピリッという刺激とともにまた足を止めてしまうけど、またすぐに前に進んでみてを繰り返す。そんなことを何度も繰り返しながら歩いているうちにだんだんコツを掴み始めたわたしは、なんとか普通に歩けるようになってきた。
それからしばらく歩いてみたけれど、特に、なにも起こらない。……これってもしかして、ただ歩くだけじゃダメとか? ……だとしたら、ほかに、なにかすることあったりするのかなぁ? ……う~ん、全然思いつかないや。
こういう時は、いつも誰かに相談してたっけ……。そっか、相談すればよかったんだ……。でも今は誰もいないし、自分で考えるしかなさそうだなぁ。
う~ん……。
わたしは思考を加速させる。
――そうだ。
これは、わたしの中の世界なんだ。
この世界では、きっと、わたしは、ずっと、ひとりぼっちのままで、誰にも会うことはできない。
つまり、この世界から出るためには、扉を見つけなければいけない。
――扉……扉……どこ……どこ……?
本当は、わかっているはずなんだ。
扉の場所は、わたしがよくわかっているって。
「わたしの扉よ、開いて!」
扉が出現した。
その扉を開け、入っていく――本来の世界へ戻っていく。
そして、わたしは、わたしになれたのだ。
誰かにとっては、何者で、誰かにとっては、何者でもない存在……それが、わたしなんだ。
夢から目が覚めると、わたしは、わたしである日々を過ごしていくことで、この現実の世界を生きていく――たった、それだけの……わたしが始まる。
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