見出し画像

ミツキの自己紹介

初めまして、ミツキです。
機能不全家族で育ちました。
いわゆる毒親という過保護・過干渉のある家庭です。

父は、私が12歳のとき自殺。
母へのうらみつらみの遺書がのこされていたと聞いてます。

遺骨は、そんな母に恨みをもった父の遺族が、地元へと引き取っていきました。

その後、私たち母娘は縁を切られています。
私は父のお墓がどこにあるかも知りません。

ただ私は、母が正義だと信じていたので・・・
母を守るために生きました。
母を支えようと、二人きりの生活が始まりました。

成人した私は、母の理想通りの結婚をしました。
けれど、母が離婚を望みだしたため別れました。
理解できないですよね?

でも、当時の私は、母を守ること、母を裏切らないこと、母が喜ぶこと。
ただただ、母のための人生を歩んでいました。

母が幸せなら、私はそれで良かったのです。
私はただの操り人形でした。

そんな母の洗脳も、徐々に抜けていきました。
(なぜ抜けたかは、どこかで書こうと思っています)

私はそこに気づくのが遅い方でした。
人生は半分をとうに超え、後半にさしかかっているからです。

42才の時、我慢ならずに家を出ました。
離婚したとき、子どもがいたので、子どもを連れて出ました。

後々記事には書きますが・・・
異様な家族関係でしたので、私の子どももすでにおかしくなっていたのです。
ひきこもり、警察沙汰、色々ありました。

そんな中、母親から財産放棄の裁判をされ・・・
自分の中で、いつかもらえると思っていた家、財産など。
失う恐怖に、家に戻らなくては・・・と思ったほどです。
本当に弱い自分でした。

裁判の通知がきた同じ日、子どもは警察に捕まったのです。
未成年ということもあって児童相談所に保護されました。
「お子さんを預かりました」
と、警察から電話があり、児童相談所の人からも電話があっただけです。

保護といっても、どこに居るのかも知らされず、会うことも許されず。
着替え一つ渡すことは出来ませんでした。

私は一人で母と戦いました。
二重苦でした。
毎日、家で泣き叫んでました。
そのまま気が狂ってしまいたかったです。

裁判は、財産を放棄する代わりに、親子の縁を切る、という私の提案で終わりました。
しかし、その後も母は、執拗に私に嫌がらせをしてきたのです。

接触してはいけない、と裁判所で書類を交わしたにも関わらず・・・
母は私の会社に乗り込み、みんなの前で暴言の数々を吐いていきました。
詳しいことは、後日、日記に書いていきたいと思っています。

そんな気が狂いそうな中、私が正気を保てた理由は、今の夫の支えがあったからです。
一番苦しい時、そばに居て、私を見捨てずにいてくれました。

それなのに、5年たった今、私は愛情に枯渇し、死にたくなっています。
毒親育ちという、搾取される側の人間は、どんなに人が変わっても搾取され続けたのです。

私の被害者という意識とか、アダルトチルドレン思考とか、二児利得とか。
色んなものが重なり合い、ダブルバインド状態で、身動き出来なくなっています。

現在、心理セラピーを受けながら、生きる道筋を見つけようと頑張っています。
今はまだ、死にたい、という感情に日々飲み込まれています。

何かを書くこと、心の声を書くこと。
やってみるといいと言われたので、ここで書いてみようかと思いました。

親ガチャという言葉が流行っています。
私は親ガチャに外れたんだと思います。
それでも、幸せに生きれるように、その道へ行けるように。

私がもし乗り越えられたら、今、悩んでいる人の道標になるかもしれない・・・
こんな不遇な家庭に生まれたって、諦めずに生きて生きたい。
いつか、負の連鎖が断ち切れますように・・・

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
イイネ、フォロー励みになります。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?