親ガチャ、毒親育ち。
うちは過保護、過干渉でした。
母は私を支配したかったんだと思う。
自分の思う通りに動く人形なら、ここに居てもいい、と。
むしろ、人形で居続けなさい、ってことだった。
私は、自分の気持ちを知ってもらうための努力はしたんだと思ってる。
小さい頃は我慢ばかりだったけど、言わなきゃ伝わらない、と。
頑張って伝えてみたことがある。
一蹴されただけだけど・・・
「理屈はいいから、私の気持ちに寄り添って。私はあの子が憎いの!消えて欲しいの!」
中学校のとき、いじめられていた。
ぞうきんを投げつけられ、お弁当はゴミ箱に捨てられ、靴はなくなった。
だから、母親に相談したのに・・・
母は、こう言った。
「弱い人間でどうする?そして人をそんなふうに言うもんじゃない!」
なんで、いじめっ子の肩をもつの?
私の気持ちに寄り添ってくれないの?
母は、どんなときも私の気持ちを聞いてはくれなかった。
「お腹いっぱい」と、食事を残そうとすると・・・
「食べられない国の子を見てみろ!お前は贅沢だ!」
私が食べ物を無理して食べたら、その国の子たちは救われるんだろうか?
「しんどい」と言えば、
「私が子供の頃は戦争で生きるか死ぬかだった。お前の悩みなんて、悩みじゃない!」
私のどんな悩み事も、戦争をもってこられたら、太刀打ちできない。
成人して大人になってからも、本気でぶつかったことがあった。
「お母さん、私の気持ちを聞いてよ!」
「じゃあお前は、私の気持ちがわかってるのか!」
ある日、母の写真立てを叩き落した。
ガシャンと音がして、割れた。
私はそれを踏んだ。
ガラスで手を切った。
血が出た。
もう、あのときから、母親は大嫌いだったに違いない。
どうやっても愛してくれない、私を見てくれない母親を、憎むしかなかった。
親ガチャは、外れたんだよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?