現在の「新自由主義」は、米国の経済学者ミルトン・フリードマンを祖とするシカゴ学派の学説を学んだ所謂「シカゴ・ボーイズ」(シカゴ大学出身の経済学者)たちが世界中に広めたものである。彼らは、ピノチェトが軍事クーデターでアジェンデ民主政権を倒したチリで「新自由主義政策」の実験を行い、その絶大な「効果」を実証した。
この学説が世界に広まる事で巨大な利益が得られる事を知っていたグローバル大資本家層が、彼らを支援した事は言うまでもない。つまり、「新自由主義」は、最初から大資本家層のための「経済学」だった訳だ。
「新自由主義」の基本理念は、次のようなものである。
「日本型新自由主義」は上記の基本理念に「対米従属」という日本の宿痾と復古的な「新保守主義思想」というイデオロギーがセットになっている。
「新自由主義」の本質を知る上で以下の宇沢弘文による批判も参考になる。
「CO2による地球温暖化」を口実にした「排出権取引」も「新自由主義」によって新たに創出された市場である。巨額のマネーが動き、その一部は学会やマスコミにも流れているので、今では根拠が定かではない「CO2犯人説」を誰も批判できなくなっている。
「CO2犯人説」は、原発再稼働や新増設の口実にも使えるので、自由主義主義者たちにとっては真に重宝な学説なのだ。「脱炭素」「持続可能な社会」は誰にも批判できない錦の御旗となり、強欲グローバリストたちが全世界で進めているSDGsの根拠となっている。
この傾向は年々加速度を増し、最近では「持続可能な社会」のためには何をしても許される「脱炭素ファシズム」の様相を呈しており、その行き着く先が「グレートリセット」。世界の強欲新自由主義者たちの総本山「WEF世界経済フォーラム(ダボス会議)」が言い出したもので、地球温暖化を作り出している世界人口の大幅削減、家畜を減らす代わりに昆虫食推進などを提唱している。
日本における「新自由主義」は「レーガノミクス」を日本に移植した中曽根政権から始まっているが、歴代自民党政権による「新自由主義政策」には濃淡があり、特に強力に推進したのが中曽根、小泉、安部の「売国政治家トリオ」。
1980年代後半のバブル時代までは日本経済が絶好調で上り調子だったため、「新自由主義政策」の弊害はあまり目立たなかった。しかし、「バブル崩壊」以後は、日本経済の衰退と凋落に伴ってその害悪が急速に露わになって来る。
「レーガノミクス」や英国の「サッチャリズム」がもたらした弊害から学び、いち早くむき出しの「強欲新自由主義」から転換した一部のEU諸国とは逆に、自民党とそのスポンサーである財界は「バブル崩壊」後も「新自由主義政策」を強力に推し進めて、日本を「先進国」における「強欲新自由主義」の実験場にしてしまった。
日本が北欧の「福祉型社会資本主義」やドイツのような「社会的市場経済」に転換できなかったのは歴代自民党政権が無能だったせいもあるが、仮に転換しようとしても宗主国である米国が絶対に許さないという「対米従属国家」としての日本の特殊事情も関係している。
そもそも日本の経済産業構造を戦後も長く続き、高度成長をもたらした「戦時経済体制」(「1940年体制」)から、全く経済成長しない「日本型新自由主義経済体制」に変えたのは、米国だからだ。
米国にとっての日本はATMか金の卵を産み続ける鶏であり、米国債の世界一の大量爆買い、米国市場へのドル建て投資(本来であれば日本国内に投資されたはずの資本)、米国製型落ち兵器の言い値爆買い、義務でも何でもない米軍への巨額の思いやり予算などの形で日本の膨大な富が毎年、米国に流出し続けている。
特に2022年2月時点で1兆3063億ドルにまで膨れ上がった米国債は、「売りたい衝動に駆られたことがある。」とジョーク交じりに発言しただけで時の総理の首が飛ぶので、実質的には永久に換金できない空手形。
一応、多少の利子配当リターンはあるものの、米国債を買う形で米国に移転した日本の巨額の富に引き合うものでは全くない。二度と戻って来ないのだから、実質的に返済の必要のない「供与」と同じものである。
それでも政府自民党や官僚がもう少し有能かつ良心的で「新自由主義」が国民にもたらす害悪に気付いていたのなら、全面転換できないまでも「面従腹背」を決め込み、「新自由主義政策」の実行を米国からねじ込まれない程度に緩和したり、サボタージュしたりは出来たはずだ。
しかし、「バブル崩壊」後の30年間を見ても政府自民党や官僚がそのような態度を取った形跡はほとんどない。
逆に中曽根康弘は電電公社、国鉄、専売公社、日本航空などの基幹公共事業体を強引に民営化、小泉純一郎は「郵政民営化」(郵貯や簡易保険積立金の米国への移転が狙い)を柱にした「聖域なき構造改革」(官から民へ)をぶち上げて所謂「郵政選挙」に勝利、「小泉改革」を実行に移した。
安倍晋三は大規模な「規制緩和」やTPP、日米FTAなどの売国協定締結、使い物にならないポンコツ金融政策に過ぎない「アベノミクス」(官製相場による実体のない株価つり上げ政策と円安誘導)、などによってむき出しの「売国新自由主義」を強引に押し進め、米国に尻尾を振り続けた。
同時に安倍晋三が「日本会議」(中核は「成長の家」原理主義者)、「神道政治連盟」(神社本庁)、「世界平和統一家庭連合」(旧「統一教会」)その他の極右カルト宗教団体をバックに「美しい日本を取り戻す」などと大見得を切って「教育基本法」や指導要領、教科書を改悪。戦前回帰型の「新保守主義」を広めた罪も非常に重い。
また、第1次安部政権で掲げた「戦後レジームからの脱却」とは、「日本国憲法からの脱却」を指す。「平和主義」「国民主権」「基本的人権」を憎悪し、憲法を「改正」して日本を「外地で米国と共に戦争が出来る国」にすると同時に、「緊急事態条項」導入などで憲法を「政府を縛る鎖」から「国民を縛る鎖」に変えようとした事も重大。
「鯛は頭から腐る」の例え通り、安部が振りまいた「強欲新自由主義」の毒素は全身に回り、現在も継続している「2012年体制」によって日本を腐敗した「三流後進国」にまで落ちぶれさせてしまった。
「対米従属国家日本」については、こちらに詳しく書いている。
「バブル崩壊」以来、延々と今日まで続く「失われた30年」によって日本における「新自由主義」の失敗は誰の目にも明らかだが (ただし、1%の支配階層にとっては大成!) 、本稿では、その実験の結果、日本がどのような社会に作り変えられてしまったのか具体的に見て行く事にする。
※米国からの要求や日本における「新自由主義」の司令塔「経団連」による自民党への「提言」(指示)は、次の二つの記事を参照願いたい。
日本における「強欲新自由主義」政策とそれがもたらした社会的害悪
※〇は「新自由主義政策」の具体目標 網掛け部分はその結果
〇政府の介入を最大限排除した市場原理主義による弱肉強食、優勝劣敗の競争社会の実現。 そのためには自由放任の「小さな政府」が望ましい。
〇大企業や大資本家の利潤の最大化のためには手段を選ばず、何をしてもよいと考える。だから、彼らは政府による「規制」を忌み嫌う。 大幅な規制緩和によって企業が好き勝手に自由に活動できるのがネオリベにとっての理想社会。市民の権利の保護や公共の福祉などより資本の自由な活動を優位に置く。
この項目の関連記事
〇あらゆる国営企業・公共部門の聖域なき民営化
〇格差社会の固定化と更なる推進→国民の貧困化
〇大企業や富裕層の大幅減税による再分配政策の否定
〇非営利部門である社会保障や福祉の削減と切り捨て
〇労働者の権利を主張する闘う労働組合やストライキの敵視
〇「新保守主義思想」による保守的道徳観の復活強化
最高裁の問題については、こちらを参照願いたい。
〇公教育や公務員の間に競争原理を導入し、採算性や効率性を競わせる 国立大学の独立行政法人化、公立学校の学区制廃止や広域化、公務員の人事評価方法の改定、など
「国立大学の学校法人化」の弊害や「ポスドク問題」は、こちらのドラマ評で取り上げている。
最近、大人気の「日本維新の会」の正体は自民党以上の極右「強欲新自由主義政党」。「維新」を支持する事は非常に危険で、「自分で自分の首を絞める」に等しい。
「維新」に関する最近の記事
〇「グローバル新自由主義」への門戸開放による売国
以上、日本における「新自由主義政策」を総合的に概観して来たが、反反国民的政策のオンパレードであると同時に、しつこい位これでもかと「内需減少政策」ばかりやってきた事に改めて気づかされる。
米国のエージェントで日本における強欲新自由主義の司令塔竹中平蔵は、新自由主義者たちが散々に食い荒らしてボロボロになった日本を見て、さぞ満足している事だろう。
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忌野清志郎「LOVE ME TENDER」(放射能はいらねぇ!)
エルビス・プレスリーの代表曲のブルース調アレンジによるカバー。 1988年発売予定のRCサクセション「COVERS」の収録曲だったが歌詞が反核・反原発だったため、アルバム発売予定の2年前にはチェルノブイリ原発事故が起きていたにもかかわらず、政府と電力会社に忖度した東芝はアルバム自体を発売中止にしてしまった。
アルバム「COVERS」の10年後、「君が代」をパンクロック風にアレンジした曲も発売中止になっている。
残念なことに忌野清志郎は、福島原発事故の前年に死去。清志郎がもし生きていたら、何と言っただろう。菅原文太、加藤剛、なかにし礼、大江健三郎、坂本龍一、みんなもっと長生きていてほしかった。
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