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映画ノート⑫ 日本の戦争犯罪と向き合った映画『スパイの妻』

初めに

『スパイの妻』は日中戦争真っ只中の1940年、軍国主義一色という抑圧された暗い時代に抗い、己の信ずる「正義」を貫こうとした一組の夫婦の「愛」の物語。

もともとNHKのBS8Kドラマとして放映された作品。劇場公開に至った経緯はよく分かりませんが、作品の出来が非常によいと評価されたので、劇場公開したのだろうと思われます。

この映画の主題に関わる重要な要素になっているのが、「関東軍第731部隊」。この部隊と戦後日本医学界との切っても切れない深い関係について、こちらに詳しく書いています。

余談ですが、改めて「731部隊」について調べている内に、日本の医学界、特に「感染症ムラ」と呼ばれる界隈は今でも「731部隊」の亡霊に取りつかれていることがだんだん見えて来て、正直ゾッとしました。

日本映画は日本の加害責任をほぼスルーして来た

太平洋戦争による日本人の犠牲者は、軍人と民間人合計で約310万人とされています。これに対して、侵略戦争によって日本がアジア諸国に与えた人的被害は死者2000万人以上。これに膨大な物的損害が加わりますから、金額に換算すればそれこそ天文学的な被害額になるはずです。

こうした事実があるにもかかわらず、アジア諸国に対する加害者としての日本を描いた映画は、これまで数えるほどしか作られていません。

敗戦直後から今日まで多くの反戦映画が作られてきました。しかし、そのほとんどは戦争の被害者としての日本の庶民や下級兵士を描いた作品であり、はっきり言って、日本の侵略戦争によるアジア諸国の惨禍を主題として真正面から描いた映画は、厳密には一本も無いというのが偽らざるところです。

かろうじて五味川純平の原作を映画化した小林正樹『人間の条件』と山本薩夫『戦争と人間』、小林正樹のドキュメンタリー映画『東京裁判』などが侵略者としての日本を描いている程度です。

日本の加害責任の一端を描いた映画

加害責任の一部を取り上げた映画を探してみても、撃墜されたB29の搭乗員捕虜を生きたまま解剖する熊井啓『海と毒薬』(原作:遠藤周作)、中国における日本軍の残虐行為に触れた井上淳一『戦争と一人の女』(原作:坂口安吾)と若松孝二『キャタピラー』、元日本兵の主人公が、中国における日本軍の鬼畜のような蛮行について生々しく語るシーンがあるドキュメンタリー映画『蟻の兵隊』などわずか数本。

まだ他にもあるかもしれませんが、この問題に対して日本の映画界が非常に及び腰なのは厳然たる事実です。

山本薩夫は晩年、森村誠一原作『悪魔の飽食』の映画化に意欲を燃やしていたそうですが、『あゝ野麦峠 新緑篇』が遺作になってしまったのは返す返すも残念なことです。

最近では、ドキュメンタリー映画『主戦場』が、従軍慰安婦問題をめぐる歴史修正主義との戦いを描いています。

なお、斎藤耕一『凍河』(原作:五木寛之)には、病院長がかつて731部隊で残虐な人体実験を繰り返していた過去を語るシーンがあります。       また、戦後日本の黒い闇を描いた熊井啓の『帝銀事件 死刑囚』は、真犯人が画家の平沢貞通ではなく、「731部隊」の関係者であることを強く示唆した映画でした。

このように加害者としての日本を描いた作品は極端に少ないのが実情です。政治的圧力、右翼からの妨害やバッシング、制作費が集まらない、作っても日本を悪者にした映画では配収が見込めない等の諸問題も確かにあったでしょう。

そうした事情があったとしても、日本の映画人が被害者としての戦争を描くことは熱心なのに、戦争の加害者としての日本を取り上げることには非常に消極的だったことは本当に情けないことです。 

敗戦後の民主主義がGHQから与えられた形だけの「民主主義」(所謂「ポツダム民主主義」) であり、日本人自身が自らの力で勝ち取ったものではないという弱さが、ここにも影を落としているように思えます。      

日本の加害責任を取り上げた『スパイの妻』

このようなていたらくの中で、『スパイの妻』が日本映画としては初めて正面から「731部隊」を取り上げ、長らく等閑視されてきた日本の加害責任に光を当てたことは非常に画期的な出来事でした。

勿論、「731部隊」はこの映画のひとつの素材であり、「731部隊」そのものが主題になっている訳ではありませんが、「悪魔の飽食」写真誤用問題以来半ばタブー扱いされてきた「731部隊」を映画の中で取り上げた勇気は大いに評価したいと思います。

「731部隊」を民間資本で映画化しようとしても、多分、今の日本で資金を出してくれるスポンサーは見つからないでしょうし、自己資金で作っても予算の関係から満足のいく作品にならない可能性の方が高いです。

映画『新聞記者』のように制作前から政治的圧力がかかったり、妨害されたりする可能性もあります。より困難なのは配給と上映の問題で、日本軍の残虐行為を描いた映画を配給してくれる配給会社があるのか、上映してくれる気骨のある映画館が果たしてどれだけあるか、はなはだ疑問です。

このような状況下、NHKから8Kドラマの制作依頼を受けた黒沢清監督が提案したのが、素材に1940年頃の「731部隊」を取り入れたサスペンスドラマ。

民放局だったら、「731部隊」が出てくると聞いただけで、「その題材では、電通様とスポンサー様の同意が得られません。」などの理由で即刻却下になったと思われますが、そこは「国民の視聴料」で支えられている天下のNHK。

「神戸を舞台にしてくれるのならいいですよ。やりましょう。うちでも、最近、『731部隊』のドキュメンタリーを作りましたから。」と、とんとん拍子にめでたく制作の運びとなった次第、かどうかは分かりませんが、発注元がNHKでなければ多分絶対に実現できなかった企画であることは確かです。

NHKの「政治部」が仕切るニュース報道部門が政府自民党の飼い犬同然になって久しいですが、ドラマやドキュメンタリー部門は、まだそこまで堕ちてはいないということのひとつの証しですね。

さすがはNHK「腐っても鯛」です。であればこそですが、これまで数多くの優れた社会派ドキュメンタリーを放映してきたNHKの良心ともいうべき「Eテレ」や「BS1」を潰そうとする動きがあるのが非常に気がかりです。

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「何をどう描くか」脚本上の問題

「何をどう描くか」の「何を」については高く評価した訳ですが、では、「どう描くか」の部分はどうなのでしょうか。これについては残念ながら、問題が山積です。

題材が題材だけにこういうことを書くのは大変つらいことなのですが、結論から言うと演出面で評価すべき点はあるものの、映画全体としては細部の詰めが甘く、脚本にも大きな欠陥があると言わざるを得ません。そのため、序盤はそこそこ勢いがありますが、中盤から後半にかけては突っ込みどころが満載の上に最後は尻つぼみ状態。

問題のひとつは、満州での優作と甥の行動がリアルタイムで描かれず、言葉による回想と記録フィルムによる倒叙法を用いたこと。別に倒叙法という手法自体が問題なのではなく、倒叙の内容や描写があまりにも貧弱でリアリティがなく、優作を大日本帝国の打倒という大それた「国家反逆行為」にまで駆り立てる動機が観客にいまひとつ伝わってこないのです。

劇中で上映される人体実験記録フィルムも情報量が少なすぎて拍子抜け。 もう一本、もっと長い本格的な記録フィルムがあり、それは上海に送ってあるという事ですが、むしろこちらのほうこそ劇中で上映する設定にすべきでした。また、優作が満州の研究施設で目撃した細菌散布実験の惨禍を伝えるのが言葉だけというのは、あまりにも不十分で弱すぎます。

最低限、断片的にでも優作が目撃したシーンをフラッシュバックで挿入すべきでした。会社の倉庫で優作が妻に真実を告白するくだりは光と影をうまく使い、この映画の白眉とも言える大変優れた演出ですが、フラッシュバックの挿入カットがあれば、もっと迫力と説得力に満ちたシーンになっていたはずです。

劇中では具体的な部隊名には触れられず、映画パンフレットにも「731部隊」に関する解説は見当たりません。これでは優作たちが行った研究施設の本当の正体を知らない観客は、彼らをあそこまで思いつめさせた原因が何なのか切実感をもってつかむことができず、共感することが難しいのではないでしょうか。

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もうひとつの問題は、いくら医薬物資の契約交渉のためとは言え、内地から来た民間の商社員に研究施設に入ることを許可したり、ましてや厳重に管理された国家機密が漏洩したりするなど、普通に考えればあり得ないことです。内部告発しようとしたために処刑された軍医の愛人であった「看護婦」を軍がやすやすと内地に脱出させるはずもありません。

そういう「通念」を覆すためにはそう思わせないための仕掛けや工夫が必要なのですが、満州で「731部隊」の秘密を知り、「看護婦」を連れ出す顛末が全く描かれないので説得力がなく、リアリティが感じられないのです。 

また、大切な生き証人である「看護婦」が何の役割も果たさずに、呆気なく殺害されてしまうという設定も不自然です。妻の聡子を嫉妬させたり、疑心暗鬼にさせ、結果的に彼女を主体的に行動する女性に変えるために配置された人物なのかもしれませんが。

また、逮捕された聡子の尋問シーンで、最高度の国家機密が写っているかもしれないフィルムを憲兵隊職員がぞろぞろ集まって来て、映写会よろしく皆で鑑賞するなどあり得ないことです。しかも、尋問と上映場所が大きな階段の下のオープンスペースというのもびっくりです。

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二つのどんでん返し~妻の密告と夫の密告

中盤から後半にかけて、二つのどんでん返しが描かれます。       最初のどんでん返しは、聡子が夫を裏切り憲兵隊に密告したこと。すべの罪を甥の文雄ひとりにかぶせるために進んで密告した形ですが、聡子と憲兵隊長とが幼馴染の関係にあるという特別な「温情」に頼っている甘さが気になります。聡子にとっては、それも計算ずくの行動なのかもしれませんが。

この密告は聡子が夫を守るため、さらには夫の目を自分の方に向けさせるためにうった芝居ということのようです。つまり、聡子は国家機密を夫と共有することで、受動的な「妻」としてではなく一個の自立した人間、主体的に行動する「同志」として、正義を実現するためにどこまでも夫と行動を共にする決断をしたという訳です。

後半は、夫婦の密出国計画の成否がひとつの見どころになっていますが、 密航の序盤で、聡子だけがあっけなく逮捕されてしまうのがもうひとつのどんでん返し。聡子は憲兵隊長から密告の手紙が届いたことを告げられます。劇中でははっきりとは描かれませんが、彼女の密航を知っているのは船員を除けば夫だけであり、聡子は密告者は夫だと気付きします。

一度は夫を密告した妻に対して、今度は夫が妻を裏切って密告し返した形ですが、聡子が想うほど夫は自分を愛してはいなかった事実を突きつけられて彼女は卒倒します。夫は妻である自分よりも日本の国家犯罪を世界に告発するほうを選んだと確信したからです。

常識的には憲兵隊の注意を聡子のほうに引き付け、そのすきに確実に脱出できるよう勇作が仕組んだと考えられますが、この解釈には必然性がありません。そもそも憲兵隊に密告などしなければ、二人とも無事に密出国できたのでは?と言う突っこみが可能なのもこのドラマの脚本の弱さです。

まあ、日本を脱出した後に待ち受ける苦難を考えた優作が記録フィルムをすり替え、安全に配慮した上でわざと妻を日本に残した、それは彼女を愛するが故の計略だとする解釈もできなくはないですが。

うまく行けば一石二鳥です。さらに国家機密を持ち出したとなれば、妻の肉親や親族も国賊との汚名を着せられ、ただではすまないでしょうから。

しかし、この場合でも優作を心から愛し、どこまでも夫と苦楽を共にしたかった聡子に対する裏切りであることは変わらないのですが。

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憲兵隊の描き方

物語には「主人公に対する敵役が強く有能であるほど、作品の質が高まる」という「正反合」の弁証法的鉄則がありますが、この映画にはまったくあてはまらないようです。敵役である憲兵隊があまりにも無能すぎるからです。

まず妻の密告があった後の憲兵隊の動きが非常に不自然です。関東軍による人体実験の秘密ノートと言う物的証拠がある以上、家宅捜索もせずに国家反逆罪の容疑者である優作を無罪放免するなどあり得ないことです。

人権意識の欠片も持ち合わせていない憲兵隊ですから、一度目を着けた以上、文雄にしたように優作に対しても拷問でも何でもして、徹底的に真相を自白させようとするに決まっています。

次に夫婦の密出国の準備についても、普通の憲兵隊であれば二人を要注意人物として24時間厳重に監視するはずですから、夫婦の不審な行動に気が付かない訳がないのです。神戸の繁華街で優作は憲兵隊の尾行を警戒しますが、この間、肝心の憲兵隊の動きが何も描かれないので、尾行がついていたかどうかも不明のままです。

特高と並んで鬼より怖い日本の憲兵隊がこれほど間抜けなはずはないので、リアリティが全く感じられません。

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人体実験のフィルムの行方や優作の消息についても曖昧なまま終わらせているのも余韻というにはお粗末すぎます。

全体的に虚構としての物語を支えるために必要な細部のしっかりした描写が不足しているので、終盤になってもさっぱり盛り上がらずに終わってしまうのです。

演出面は優れている

ここまで不本意ながら批判的な事を書き連ねてきましたが、評価できる点がないわけではありません。

精神病院に収容された妻が、訪ねて来た懇意の医師に「私は一切狂ってはおりません。ただ、それがつまり私が狂っているという事なんです。きっとこの国では。」と語る場面は、2回出てくる「お見事!」と言う台詞と共に狂った軍事独裁国家「大日本帝国」に対する皮肉と風刺が効いていてなかなか強烈でした。

憲兵隊での取り調べの場面で、記録フィルが余興のプライベート・フィルムにすり替えられていたことを知った時の優子の泣き笑いの表情、そして突然スクリーンの前に飛び出して行き、「お見事!」と叫んで倒れるまでの一連の演出が素晴らしく、蒼井優も迫真の演技でこたえていました。

また、このシーンにおける伏線の回収ぶりは、まさに「お見事!」と言っていいほど完全に決まっています。

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国防婦人会が振る旗の波に見送られて神戸の通りを行進していく出征兵士の隊列にただ一人無言で背を向ける優作。その構図によって、大日本帝国に対する彼の姿勢がさりげなく間接表現されているのもうまいと思いました。

映画の色彩設計も冒頭から終幕まで鮮やかな色調の画面はほとんどなく、基本的に暗くて重苦しい薄茶色系の色調(軍服の色に近い)が使われており、1940年という時代の「空気」をよく映し出していました。

劇中で山中貞雄監督にオマージュを捧げていたのも嬉しい限りでした。

終わりに

子どもの頃、戦中派の母がしみじみとした口調で「日本は戦争に負けてよかったんだよ。もし、勝っていたらその後もずっと戦争をしていて、お前たちだってそのうち兵隊にとられて、戦地に行かされるかもしれない。今のような平和や何でも言える自由なんかなかったはずだよ。」と言っていたことを思い出しました。

99.99%あり得ない話ですが、仮にもし日独が米英に勝利していたら、フィリップ・K・ディックが『高い城の男』(アマゾンに連続ドラマがアップされています)で描いたようなディストピア・ファシズム国家「大日本帝国」が現代まで続いていたかもしれません。

優作の大日本帝国に対する思いも私の母の感慨と一脈通じるものがあるような気がしますが、違うのは優作が日本共産党などの反戦勢力が全て壊滅してしまった後の天皇制絶対主義下で大日本帝国への反逆を企て、実際に行動したということです。

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