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神風特別攻撃隊② 特攻作戦の終焉と総括

特攻戦術は確かにフィリピン戦の初期に置いては、米軍が全く予想していなかった事もあり、海軍上層部の期待以上の戦果を上げた。

しかし、米機動部隊が「自殺攻撃」のショックから立ち直り、機動部隊の周辺に配置された駆逐艦による対空警戒レーダー網、高性能レーダーに誘導された大量の迎撃戦闘機による二重三重の強力なピケットライン、近接信管付きの濃密なレーダー管制対空砲火などによって十分な特攻機迎撃態勢を整えた沖縄戦以降は、そうはいかなかった。

操縦員の技量が極端に低下していたのと、使用された機体の多くが重い250キロ爆弾を抱えた鈍足の爆装零戦や隼、艦爆、果ては練習機などの旧式機であったため(新型機は本土決戦用にできるだけ温存)、出撃しても米機動部隊までたどり着く前に迎撃戦闘機群や強力な対空砲火につかまり、途中で撃墜される特攻機が続出するようになる。

命中率もフィリピン戦では27%であったものが、沖縄戦では10数%、それ以降は僅か数%に低下してしまい、甚大な損害の割には戦果はあがらなくなっていた。特攻作戦全体の命中率は11%。

最終的に合計47隻の艦艇を撃沈しているが、1万トン以上の大型艦はゼロ。最大の目標だった正規空母の撃沈はただの1隻もなく(ただし、大破したフランクリなど損傷艦は多数)、沈めたのは空母とは名ばかりの脆弱な7800トン級護衛空母がわずか3隻のみ。               

あとは駆逐艦以下の小艦艇と輸送艦、戦車揚陸艦(LST)、中型揚陸艦(LSM)などの上陸支援艦ばかり。米軍にとってはかすり傷程度で戦局にはほとんど何の影響も及ぼしておらず、貴重な航空兵力を無駄死にさせただけに終わった。

敗戦までに陸海軍合わせて約4千人の若い搭乗員が特攻で戦死したが、他に戦艦大和を中心とした無謀な沖縄特攻やベニヤ張りのモーターボート「震洋」による海上特攻、特殊潜航艇「回天」による水中特攻、空挺部隊を用いたマリアナのB29基地特攻、本土を空襲するB29にへの体当たり攻撃などを加えれば、特攻作戦全体の戦死者は8千人を優に超える。

人権思想のなかった古代や中世はいざ知らず、仮にも近代国家とされる国で、全面的かつ組織的に国家の総力を挙げて、大量の自殺攻撃を長期に渡って継続した異常な国は古今東西日本のみ。その意味では、最近中東などで多発している自爆テロとは本質的に異なるものである。

その上、ご丁寧にも、有人ロケット爆弾「桜花」、特攻だけに特化した特殊攻撃機「剣」、人間魚雷「回天」、小型特攻潜航艇「海龍」、海上特攻艇「震洋」などという専用の特攻兵器までわざわざ新規に開発。もうここまでくると軍上層部が、操縦する搭乗員たちを最早人間ではなく、特攻兵器の部品としか見ていないと考えざるを得ない。

「基本的人権の尊重」という近代国家の基本理念を真っ向から否定する究極の人権侵害ともいうべきこの戦術が大した反対もなく、なぜ日本でだけ大手を振ってまかり通ったのか。

さらに、特攻作戦の「被害者」である搭乗員たちが、確実に死ぬと分かっていながら拒否することも表立って反抗することもせず、自分たちを人間扱いしない命令に、なぜ、唯々諾々と従って飛び立って行ったのか。

姑息にも軍上層部は責任回避のために形式的には「志願」という形をとっているが、内実は事実上の命令や同調圧力による強制以外の何物でもない。

機体の故障で戻ってきた者や途中で不時着した者に対しては上官による臆病者との激しい罵倒や辱め、暴力、強制的に専用管理施設に入れるなどの常軌を逸した制裁が待っており、戦果云々より最早死ぬ事自体が目的化していたとさえ言える。   

明治以降の「近代日本」が75年間に渡って営々と積み重ねてきた、「天皇制教育」(教育勅語や軍人勅諭等も含む)の最終的「成果」が組織的大量特攻を可能ならしめたと考えるしかないが、「教育」とは、これほどまでに恐ろしいものなのだ。

では、日本は一体どこで何を間違えたのだろうか。

特攻という史上最悪の戦術を生み出してしまった諸悪の根源を遡れば、天皇のために万民が奉仕する仕組みを作った明治憲法と大日本帝国を草の根で支えた人権無視の「権威主義的全体主義教育」の問題に突き当たる。

参考までに同盟国ドイツ空軍でも大戦末期、日本の「カミカゼ戦術」を参考に、ドイツ本土を空襲する米英重爆撃機への体当たり攻撃が試みられた事はある。エルベ川周辺に展開していた部隊が実施したので、「エルベ特別攻撃隊」と呼ばれた。

しかし、「エルベ特攻隊」は、体当たりの後はパラシュートで生還することが前提で、一度出撃したら生還が許されなかった日本のような「十死零生」ではなかった。(ただし、日本の場合もB29への体当たり攻撃だけは、例外的に生還が可能だったが。)

また、実施したのが一部の志願した部隊に限られたため、実際に体当たりした機数も百数十機程度と少なく、損害の割に戦果が上がらなかったのですぐに中止になった。

日本のように敗戦までやめるにやめられず、戦果が上がらなくなっても、惰性でだらだらと続けるような愚かで理不尽な真似はしなかった。

記述のように最末期には戦果よりも自殺すること~封建時代のように死して天皇と国家に忠義を尽くす~それ自体が自己目的化してしまったかのような狂信的かつ倒錯的傾向まで見られる日本の特攻と異なり、ドイツの「カミカゼ」は、本質的に「自殺攻撃」と呼べるようなものではなかったのだ。

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