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「731部隊」の亡霊と新型コロナ

「731部隊」について

「第731部隊」(正式名称「関東軍防疫給水部本部」別名石井部隊)は、1932年に設置された日本陸軍の実験・実戦機関。細菌兵器・毒ガス兵器の開発、細菌戦・毒ガス戦の実戦研究などを行っていた。

そのために、旧満州で多数の中国人等の捕虜や囚人に対して生体解剖実験、チフス、コレラ、赤痢、ペスト、炭疽、天然痘、梅毒等の強制細菌感染実験、細菌爆弾の効果実証実験、凍傷実験その他の各種人体実験を実施。

この他、イペリットなど毒ガス兵器の開発・実戦実験、ペスト菌やチフス菌等を中国の村落に散布する細菌戦の実戦実験など、数々の非人道的な悪行を実行した部隊として有名だ。なお、梅毒感染人体実験は、戦後になって米国でも行われている。(「タスキギー梅毒実験」)

細菌製造能力は、1ヶ月間に最大ペスト菌300キログラム、チフス菌800~900キログラム、炭疽菌500~700キログラム、コレラ菌1トンに達している。(広中一成「後期日中戦争」)

この内、特に力を入れたのがペスト菌で、ペスト菌に感染させた蚤を大量に空中散布したため中国の住民多数がペストに感染して死亡。
加害者である日本軍も無傷では済まず、前記「後期日中戦争」よると細菌が撒かれた戦場では、731部隊が散布した細菌によって日本兵の間でコレラ、チフス、ペストが流行して日本軍を苦しめ、多数の死者を出した。

石井四郎はこの時の失敗の責任を取らされて、「731部隊」隊長を更迭されている。その、戦局の悪化に伴って「731部隊」への期待が高まり、昭和20年3月に軍医中将に昇格させた上で部隊長に復帰させた。8月のソ連満州侵攻に際しては「マルタ」と呼ばれた人体実験用の捕虜等多数を殺害、実験施設を全て破却した上で日本本土に逃げ帰った。

戦後、「731部隊」の存在は隠蔽されたが、石井四郎死去の2年前に「731部隊」の少年軍属だった秋山浩が「特殊部隊731」を出版しているが、反響を呼ぶには至らなかった。

「731部隊」の名が広く一般に知られるようになったのは、1981年に出版された森村誠一『悪魔の飽食』が大反響を呼び、ベストセラーになったことがきっかけだった。しかし、第2部に誤った写真が掲載されたことを口実にした保守派や右翼の激しいバッシング攻撃を受け、『悪魔の飽食』は回収・絶版に追い込まれてしまった。(後に改訂版が再販) 

その余勢をかって日本の黒歴史を隠蔽したい勢力は、「731部隊」が人体実験や細菌戦の実戦などを行っていたというのはソ連や中国のでっち上げであり、そのような事実はない。」とする歴史修正主義に基づくプロパガンダを全力で展開。「731部隊」の存在は、次第に世間から忘れられて行きました。 

その後、NHKのドキュメンタリーで取り上げられたことはあったが、大変優れた内容ではあったものの、大きな反響を呼ぶ事はなかった。 因みに「NHKスペシャル」の現役プロデューサーによれば、この種の社会派ドキュメンタリー番組の視聴率は、よくて2~3パーセント程度なのだそうだ。

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」( 2017)

「731部隊」と戦後日本医学界の闇

数百人とも言われる「731部隊」に関わった医師や医学者は、戦後、アメリカに実験データや人体標本を引き渡して協力するのと引き換えに「第731部隊」の創設者で初代部隊長石井四郎軍医中将をはじめ、ほぼ全員が戦犯訴追を免除された。

ソ連は満州で捕虜にした731部隊関係者の裁判を始めており、訴追免除には石井たちが持ち帰った731部隊の情報や実験データがこれ以上ソ連側に渡らないようにするという米国の思惑も絡んでいたと見られる。

一方でアメリカは、捕虜殺害や虐待等の戦争犯罪容疑で5000名以上の元日本兵をBC級戦犯として逮捕投獄。横浜やアジア各地で裁判が行われ、約1000名が処刑されている。この中には、ドラマ・映画化されて大反響を呼んだ『私は貝になりたい』(原作はBC級戦犯将校)で描かれていたように、上官の命令で心ならずも戦争犯罪に手を染めざるを得なかった下級兵士も多数含まれていた。

また、ナチスの戦争犯罪を裁くニュルンベルク裁判では、ナチスに協力して人体実験を行った医師たちを厳しく訴追していたのだから、「第731部隊」関係者に対する訴追免除はダブル・スタンダードもいいところだ。

「731部隊」というサイトの資料によると、最大人員数は技師や助手等も含めて約3900人。1945年8月の満州からの撤退時、731部隊の博士号をもつ医官は53名。彼らを含め、氏名が明らかになっている関与した医学者の人数は、京大・東大を中心に175人となっている。

重要なのは、これら「731部隊」関係者は米国に協力して戦犯訴追を免れたため、罪を償うどころか、自分たちが犯した残虐行為についての謝罪や自己批判も一切行っていないという事。

医学界全体に目を向けても、日本の「15年戦争」に加担した戦争責任について検証したり、真摯に自己批判したりすることは一切なく、戦後も頬被りしたまま沈黙を続けている。確かに日本医師会は世界医師会に加盟するため、1949年に戦争責任につい て「謝罪文」を一応出してはいるが、当事者意識の全くない形だけのものだった。

731部隊幹部の多くが何食わぬ顔をして元々所属していた大学に戻ったり、旧厚生省の医系技官として採用されたりして、当時の医学界の枢要なポストを占め主流派を形成して行った。

石井四郎が全国の有名大学医学部等から集めた医師や医学者たちには有力なコネがあった上に、それぞれの分野で権威のあるエリートたちばかりだったから、敗戦後、旧厚生省医系技官、国立予防衛生研究所(現国立感染症研)所長、大学学長、学部長、教授、医師会長、自衛隊衛生課・衛生学校、製薬会社の経営者や重役等の要職につくことができたのだ。

例えば、日本における感染症調査研究機関の総本山「国立感染研」の初代所長小林六造は、慶応大学教授で「防疫研究室嘱託」として「731部隊」に協力していた人物。以後も「731部隊」や姉妹部隊の幹部たちが、感染研所長の座を独占し続けた。

「731部隊」の実験で得られたデータで博士号を取得した医学者は、1946年と1947年の2年間だけでも何と21名にのぼりますが、恥知らずとはまさに彼らの事だ。

これらの信じられない事実は、医学界においては人脈的にも道義的にも戦前と戦後との断絶はなく、今日に至るまでずっと「戦前」が続いているということを物語っている。

つまり、「731部隊」やその姉妹部隊が戦時中に行った悪魔の所業を全体の問題として検証したり、自己批判してこなかった日本の医学界は、今でも「731部隊」の亡霊に取りつかれたままその体質を引きずっているという事だ。

彼らは広島・長崎の原爆症の矮小化、水俣病をはじめとする公害事件の原因隠ぺいや政府側の主張に沿った裁判での証言、福島第一原発事故による放射線障害の過小評価等、戦後も一貫して政府の意を受けた「権威ある」御用学者として大きな役割を果たしてきた。(加藤哲郎「『飽食した悪魔』の戦後」)

結局のところ、現在の医学界を牛耳っているのは、「731部隊」に関係した医学者たちの直系の弟子や孫弟子たちなのだ。

医薬品業界にも隠然たる勢力を保持しており、その代表格が薬害エイズ事件を引き起こした「ミドリ十字」(旧名「日本ブラッドバンク」)。

創業者の内藤良一元陸軍軍医中佐は石井四郎の右腕の一人で、金沢に保管してあった多数の人体標本を米国側に提供して訴追免除を交渉。石井に代わって第2代部隊長に就任した北野政次元軍医中将が顧問、取締役の二木秀雄は「731部隊」の班長。二木秀雄は、訴追免責の裏工作や幹部だけの秘密連絡網の事務局長的役割も担当していた。

薬害エイズ訴訟の被告人であった元海軍軍医大尉で帝京大学副学長だった安部英も「ミドリ十字」の創業者内藤良一と深い関係があった人物だった。 血友病患者に非加熱製剤を打ち続けてエイズに感染させた責任を最後まで一切認めず逃げとおしたその厚顔不遜な言動や鉄面皮ぶりが、今でも強く印象に残っている。

東京保険医協会の「薬害エイズ裁判と731部隊」というWEB記事は、安部英ついて次のように書いている。(太字部分は筆者)

「すでにエイズ・ウイルスが発見され、非加熱製剤の安全性に国際的にも疑問が出ていた1983年以降ですら、目の前の血友病患者に対して、まるで人体実験のようにミドリ十字社製の非加熱製剤を打ちつづけた安部英は、まさに731部隊の実験体質そのまま引きずってきた亡霊であるかのように見える。」

また、化血研(化学及血清療法研究所=血液製剤の不正製造、薬害エイズ事件の被告)、武田製薬、日本製薬なども「731部隊」と深いつながりがあると言われている。

「帝銀事件」と「731部隊」

1948年に銀行員やその家族12名が「青酸化合物」によって毒殺された有名な「帝銀事件」。

犯人が毒物の扱いに手慣れた人物だったこと。行員に赤痢の消毒薬と偽って毒物を飲ませた手順が、「731部隊」で人体実験の被験者に毒物を飲ませる時の手順そのままだったこと。使われた毒物が青酸カリではなく、陸軍の登戸研究所が開発した遅効性のアセトンシアノヒドリン(青酸ニトリール)の可能性が高いこと。

これらの手口から「731部隊」関係者の関与が強く疑われた。石井四郎も「犯人は私の部下かもしれない。」と語っており、当初は、この線に沿った捜査が警察の主流になっていた。

ところが、上層部からの指示により突然捜査方針が変更。「731部隊」関係者の捜査は打ち切られ、犯人が帝銀職員に渡した名刺の線から医学・薬学界とは何の関係もない市井の画家平沢貞通が逮捕、起訴、そして死刑判決。

平沢は公判では無実を主張し、17回もの再審請求を行ったが、すべて棄却。結局、死刑が執行されないまま逮捕から39年後の1987年に獄中死したため、この事件の真相はうやむやのまま、闇に葬られてしまった。あれだけの重罪を犯しながら最後まで刑が執行されなかった事自体が、この事件の「真相」を物語っている。

警察の捜査方針転換には「731部隊」の存在が明るみに出ることを恐れた占領軍GHQの介入があったことは確実で、これ以降、警察、マスコミ共に「731部隊」に触れることはタブー扱いとなった。

この事件については、松本清張の『日本の黒い霧』や『小説帝銀事件』、熊井啓監督の『帝銀事件 死刑囚』が世に出て人口に膾炙しているが、事件の経緯を調べれば調べる程描かれている事件の真相はほぼ事実であり、フィクションによる陰謀論と決めつける事には無理がある。

熊井啓監督『帝銀事件 死刑囚』ダイジェスト版

                                 『未解決事件 帝銀事件の真相』(NHK) 

                                  因みに戦後の「逆コース」及び「レッド・パージ」の過程で、1949年に立て続けに発生した「下山事件」などの所謂「国鉄三大謀略事件」についてもGHQの関与が強く疑われている。

「三鷹事件」「松川事件」では首謀者として共産党員が逮捕・起訴されたが、最高裁で全員無罪が確定。この頃の最高裁は、今と違って随分まともだった。

なお、戦後、アメリカが起こした数々の「謀略(フレームアップ)事件」については、いずれも古い本ではあるが、大野達三・岡崎万寿秀『謀略』、大野達三『アメリカから来たスパイたち』、吉原公一郎『松川事件の真犯人 ジョージ・クレーと九人の男』、『小説日本列島』(熊井啓が『日本列島』として映画化)などが参考になる。

その後、731部隊関係者だけが知る秘密のネットワークを使った組織的な隠蔽工作や情報操作、かん口令等のため、『悪魔の飽食』が出るまで戦後長い間、彼らの悪魔の所業が明るみに出ることはなかった。

厚労省の新型コロナ対策~「731部隊」の伝統を引き継ぐ「感染症ムラ」

勿論、現在の厚労省には731部隊の関係者は一人も残っていない。しかし、新型コロナへの「感染症ムラ」(厚労省・感染症対策分科会・アドバイザリーボード・感染研・感染症学会等)の対応ぶりを見ていると、「最も大切なのは人命よりも、実験データや疫学データ」とする「731部隊」由来のDNAが今も脈々と受け継がれているように思えてならない。

新型コロナに限らず感染症対策のスタンダードは大量のPCR検査による感染者の発見・隔離保護・治療だが、「要」の検査について医療ガバナンス研究所理事長上 昌広氏は、知人の厚労省関係者の話として次のような事例を紹介している。

「行政検査の拡大を主張しても、実現することはないでしょう。厚労省は検査を拡大する気がないからです」という。この人物は、その理由として「感染研と保健所に大規模な検査を遂行する実力はなく、検査拡大を認めれば、彼らの情報や予算の独占体制が崩壊するから

PCR検査実施件数WS000395

 現在のPCR検査能力1日最大約17万件だが、実施数は何故かその半分以下

以前からなぜ、世界の中で日本でだけ行政PCR検査が増えず、検査数が圧倒的に少ない(人口当たりの検査数は、発展途上国以下)のか疑問に思っていたのだが、最後の一文を読んでなるほどと腑に落ちた。

敗戦後の731部隊幹部たちにとって蓄積してきた情報や実験データは、千金に値するほど貴重なものだった。彼らは戦犯訴追免責、アメリカへのデータ資料高額売却、医学界の重要ポストへの「天下り」、政府予算の獲得などにそれらの情報や実験データが絶大な力を発揮したことを身をもって学んだ。

今日でも感染症の情報やデータは権力の源泉であり、それさえ囲い込んで独占し続ければ、今後も学会や政府における権威やポスト、予算配分、天下り先等で「政治的」優位に立ち続けることが出来るのだ。現に元朝日新聞記者佐藤章が、 「保健所は医系技官、地方衛生研究所は国立感染研の天下り先だ。」と指摘している。

また、「新型コロナ感染症対策分科会」の尾身茂や岡部信彦等には、政府予算から3千万円~6千万円以上の研究費が下りている。
このように「感染症ムラ」の中でポストと予算を回す利権の構造がしっかり出来上がっているから、絶対に手放したくないのは当然だろう。

現在のコロナ禍においても、厚労省は1年も前から政府与党に検査抑制を強力に働きかけ続けてきた。全国の大学の研究施設や民間研究検査機関には大量のPCR検査能力があるのに、それを活用しないのは新型コロナ情報の独占が崩れることを恐れているからだ。

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       厚労省が政府中枢に配布した極秘内部文書

新型コロナを「風邪のようなもの。」とか、「インフルエンザとたいして変わらない。」などと矮小化したり、「PCRは偽陽性が多い」「PCRを増やすと医療崩壊する」等のデマを流して最強の武器であるPCR検査拡大に強硬に反対したりする医師・医学者(医療右翼=医クラ)が多い事も「731部隊」を源流とする医学界の「黒歴史」と決して無関係ではない。

彼らの常軌を逸したPCR検査抑制論は、「現代戦」をレーダーなしで戦えと言っているようなもので、少しでも科学を学んだ者の言説とはとても思えまない。まともなレーダーなしに戦って惨敗した戦前の旧日本軍と同じことを繰り返しているのだ。

PCR検査抑制論の司令塔 政府「分科会」を牛耳っている尾身茂、 岡部信彦、押谷仁、脇田隆字(国立感染研所長)、舘田 一博(日本感染症学会理事長)等は、その利己的で誤った新型コロナ対策のために日本を「コロナ敗戦」に導き、死ななくても済んだはずの1万人以上の国民を塗炭の苦しみのうちに病死させた「A級戦犯」だと言っても過言ではないだろう。   

                                  これらの事例が象徴しているように、現在も継続中の「失われた30年」によって既に日本は「後進国」に両足を突っこんでいる。未だに日本を「先進国」だと勘違いしているのは、NHKニュースや民放の「ワイドショー」、「ニッポンズゴイ!」系番組などで洗脳された夜郎自大の日本人だけだろう。

日銀が意図的にバブルを崩壊させてから30年余。自公政権は医療に限らずあらゆる分野で、今もリアルタイムで着実に日本を破壊し続けている。

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