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日本最大の謀略事件 NHKスペシャル「全貌 二・二六事件 ~最高機密文書が明かす真実~」

軍首脳部はクーデターを知りながら放置していた!

新発見の極秘文書によって、海軍や憲兵隊が、陸軍皇道派青年将校の反乱計画を事前に知っていたという衝撃の事実が明らかにされるNHKドキュメンタリー「全貌 二・二六事件 ~最高機密文書が明かす真実~」。

2019年に「終戦関連番組」の1本として放映された社会派ドキュメンタリーだが、これまで知られていなかった驚愕の事実を白日の下にさらした衝撃的なスクープ番組だった。 

未見の方は、こちらで。                       Nスペ「全貌 二・二六事件 ~最高機密文書が明かす真実~完全版」

番組の流れは、以下のようになっている。

〇海軍は、反乱軍の動きを監視し、二・二六事件(1936)の経過をリアルタイ ムで詳細に把握していた。                      〇海軍も反乱軍鎮圧のため、陸戦隊に出動命令を出していた。       微温的な陸軍と違って、海軍が本気で鎮圧行動に出れば、日本の首都が皇軍相打つ内戦状態になることは必至だった。(状況次第では、海軍が反乱軍側に加担する可能性もないではないが。)                  〇反乱軍鎮圧のために戦艦長門以下の強力な艦隊を東京湾に廻航して、首都 を艦砲射撃できる体制をとっていた。                 〇海軍は、陸軍第一師団の皇道派若手将校がクーデターを起こすことを1週 間も前から知っていた。                       〇首謀者の将校たちの氏名や襲撃対象である政府・軍の要人たちが誰かも事 前に掴んでいた。                          〇軍首脳部が、事前にクーデター計画を知っていた事実は隠蔽され、闇に葬 られた。

番組では、クーデター情報が、東京憲兵隊長から海軍次官にもたらされたと言っているが、憲兵隊は陸軍の組織だから陸軍も事前にこの計画を把握していたことは確実だろう。

日本軍は中国・満州で数々の謀略事件を起こしているが、もし、このスクープが事実なら 「二・二六事件」の発生をわざと放置していた訳で、戦前の日本で仕組まれた最大の謀略事件ということになる。

以上のような内容だけでも、このドキュメンタリーが調査報道番組として大変優れたものであることは確かである。

放置した理由を追究しないNスペ

しかし、視聴後、ひとつ大きな疑問が残った。             それは、この重大なスクープを、なぜか、ラストの5分で明かしたこと。

そのため、事前に計画を知っていた陸海軍首脳が、なぜ、何の手も打たずに漫然とクーデターを放置し、重臣たちが殺害されるのを傍観していたのか、その理由については何も語らないまま番組は終わってしまうのだ。

せっかく知られざる重大な事実を明らかにしながら、もう一歩踏み込ことをせず、明らかに原因の究明から逃げていると言わざるを得ない。     反乱軍を放置した原因を追及すると、何か不都合なことでもあるのだろうか。

この衝撃的な事実を取り上げた以上、NHKには、軍首脳部がクーデターを野放しにし、泳がせておいた理由を究明する義務があると思うのだが。   その後、時間を延長した「完全版」も放映されたが、この疑問に関しては相変わらずスルーしたままだった。

戦前の陸軍と海軍の関係

仕方がないので、自分で考えてみることにした。
まず事件の前提条件として、

〇戦前、陸軍と海軍は非常に仲が悪く、犬猿の関係であったこと。    〇陸軍内部でも統制派と皇道派が対立し、激しい派閥抗争をしていたこと。
 二・二六事件の前年、統制派の大物永田鉄山軍務局長が 陸軍省内で白  昼、 皇道派の相沢中佐に軍刀で惨殺された事件は有名。(相沢事件 1935  年)                                 〇1932年に相次いで起こった血盟団事件や五・一五事件で、右翼のテロや 実力組織の恐ろしさを思い知らされた政財界人や官僚などの「文民」たち は、その再現を恐れて、軍部に対して弱腰になっていたこと。

このことは、同時期に放映されたNHKスペシャル「かくて“自由”は死せ り~ある新聞と戦争への道~ 」でも指摘されていた。

NHKスペシャル「かくて“自由”は死せり~ある新聞と戦争への道~   〈編集ダイジェスト版〉

なぜ、軍首脳部はクーデターを意図的に放置したのか

以上を前提に、放置した理由についての私見を以下に述べる。

〈海軍側の思惑〉
1 海軍は陸軍にわざとクーデターを起こさせ、可能なら海軍の手で反乱軍  を鎮圧する。(天皇の態度如何によっては、反乱軍側に立つ可能性も?その場合は、完全に内乱状態となり鎮圧軍側を艦砲射撃することになる。)     2 鎮圧の功をもって当時、犬猿の仲であった陸軍の責任を追及し、陸軍よ  り政治的に優位に立とうとした。

〈陸軍側の思惑〉
3 陸軍内にはクーデターを心情的に支持する皇道派も多く、うまく成功す  れば、当時、劣勢だった皇道派が陸軍の主導権を奪還し、統制派を追い落とすことができる。                          4 逆に統制派はクーデターを起こさせた上でこれを鎮圧し、クーデターが  皇道派の責任であることを追及して、陸軍から皇道派を一掃する口実に使おうとした。(実際に皇道派陸軍幹部は、事件の責任を追及されて、詰め腹を切らされている。)                           5 天皇がどちらを支持するか分からないので様子見の者も多く、また、事  前に首謀者たちを逮捕して、皇道派の恨みを買いたくなかった。
(つまり誰も火中の栗を拾うことで、火の粉をかぶりたくなかった。)

〈陸海軍共通の思惑〉                        6 もう一度武力クーデターを起こせば、例えそれが失敗したとしても文民  (政治家・財界人・官僚)をさらに震え上がらせることになり、 萎縮して統治能力を失った彼らに代わって軍部が実権を握り、総力戦に向けた「国家総動員体制」を作る早道となる。

クーデター未遂という「ショック・ドクトリン」によって軍部独裁を確立

反乱を故意に放置した軍部の思惑はものの見事に図に当たり、事件後の経過は思惑6の狙い通りに進展した。文民たちに遠慮する必要がなくなった軍部は、事件処理のどさくさに乗じて念願の軍部独裁による「国家総動員体制」の構築に着手する。

その後の「粛軍」で皇道派を追放した統制派は、「軍部大臣現役武官制」を復活させて政治権力を完全に掌握。大正デモクラシーでようやく芽を出しかけた日本の民主主義や自由主義を根こそぎ壊滅させ、国家体制を一気に戦時ファシズム体制に作り変えて行った。

青年将校たちの小さな反乱を「ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)」として巧妙に利用して、軍首脳(特に陸軍統制派)は自らの手を汚さずに国家規模のより大規模なクーデターを成功させたと言える。       そういう意味で「二・二六事件」の意図的放置は、日本の軍部が起こした最大の謀略事件であったと言っても過言ではない。

陸軍は翌1937年、待っていたかのように、太平洋戦争へと続く日中全面戦争に突入。                              1938年には、念願の「国家総動員法」が成立する。

悲惨な太平洋戦争へとつながるその後の経過を顧みる時、歴史の深い闇に暗澹たる思いを禁じ得ない。                      

日本社会に忍び寄る「デジタルファシズム」の脅威

だが、「二・二六事件」は、80年以上も前の戦前の話だからと高をくくってはいけない。現代日本とて、「コロナショック・ドクトリン」、顔認証システムやマイナンバーカードなどのIT技術などの悪用による「監視社会」化や「新国家主義」の脅威と無縁ではないのだ。

国民全体が権威主義的で民主主義が脆弱な日本が、高度なITシステムによって、国家が国民一人ひとりを徹底的に管理・監視する中国のような「超監視社会」(デジタルファシズム国家)にならないという保証はどこにもない。

「デジタル庁」が、その司令塔。 

遠くない将来、あらゆる個人情報が紐付けられ「国民監視システム」に変貌していく可能性のある「マイナンバーカード」の取得率がじりじりと上がり、スマートな未来都市をうたう「スーパーシティ構想」も現実のものになろうとしている。

武力を使わない穏やかで一見スマートな顔をしたクーデターが、水面下でゆっくりと静かに進行しているのかもしれない。

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