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たんぽぽの綿毛が飛ぶように

 深夜、居間に一人でテレビを観ていると、祖母が入ってきた。

「親方は? ねぇ、親方は?」

 祖母の口から親方なんて聞いたことがなかった。思い当たる人もいない。何のことを言っているのかわからない。
 こんなとき、どうすればいいのだろうか。
 返答に窮する間に、祖母の注意は切り替わる。少しバランスの悪い歩き方で、暗い廊下を歩き、玄関の方へ向かっていった。
 
「親方はここにいないよ」

 慌てて祖父母の寝室へ連れて行く。
 深夜に居間にいると、しばしばこのようなやりとりをしなければならなかった。中学生の私には責任が重すぎる。私の生活を邪魔しないでくれないか。
 居間に戻ると陰鬱な空気に満ちていた。

 もう二十三年くらい前になる。
 中学三年生のとき、祖母が認知症になった。

 その頃、私は日記を書いていた。担任の先生からの返事や感想が楽しみで、寝る前にノートの隅までびっしりと綴っていた。
 もう読み返すことはないが、振り返ってみると、思春期の悩みや葛藤を、よくここまで吐露したものだと思う。
 
 先生は私の部活に関する記事が好きだった。特に陸上大会に出場した話は、格別である。
 百メートル走のたった十秒の時間が、「まるでスローモーションのように、情景がありありと浮かぶ」と、文章を褒めてくれたことをよく憶えている。

 あるとき、先生から、「部活のことについて、作文を書いて朗読してくれないか」と依頼があった。地方のラジオ局で放送するというのだ。
 あまり自信がなかったが、学級委員という立場であり、先生の期待に応えることを大事にしていたため、二つ返事で引き受けることにした。

 だが、作文となると、日記と違って急に肩肘を張ってしまう。思っていることを素直に書くにはどうしたらよいのか。何度書いても脚色してしまい、言葉と心が乖離しているようで、筆が進まなかった。文章にまったく手応えを感じることができないのである。
 無理矢理に書き上げて原稿用紙を提出すると、「日記のときの臨場感がない。どうして作文だとこんなに堅苦しいの」と、先生から書き直しを命じられた。

 宿題や予習復習を終えた夜、家族が寝静まった頃に一人で作文に向き合うことになった。
 が、何も思いつかない。かち、かち、と、時計の針ばかりが居間に響く。
 すると、少し離れたところから、扉が開く音が聞こえた。足音が廊下の床を僅かに軋ませながら近づいてくる。
 居間の戸が開いた。祖母だ。眉間に皺を寄せた、険しい表情をしている。辺りをきょろきょろするが、目は合わない。こちらに気づいていないようである。

 祖母の笑顔を最後に見たのは、いつだっただろう。
 思い出の中の祖母は、笑顔ばかりだ。
 近くにいけば、いつも変わらずに寄り添ってくれる。どんな話をしても、自分のことのように受け止めてくれる。祖母には境界線など存在しないようだった。
 幸せを噛み締めるように、嬉しそうに頷く顔。時折見せる、涙が溢れそうなほどに心配する顔。
 たくさんの時間、祖母のそばにいたのに、私が知る顔は、概ねそのどちらかだった。
 祖母の顔のしわは、この二つの表情が刻まれたものなのかもしれない。
 この世の悲しみや苦しみを、たくさん引き受けてきた重みがあった。
 祖母が怒っている姿を一度も見たことがない。両親も怒られた記憶がないと言う。気性の荒い祖父が怒鳴り散らすのをいつも庇ってくれた。
 何があってもじっと耐え、自分の欲も押し殺し、ただひたすらに愛を与えることに生きた人なのだ。

 祖母は再び、玄関に向かって歩を進める。仰向けになっていた体を起こして祖母の背中を追った。
 何でこんなときにも祖母の心配をしなければならないのか。
 そう考えてしまう自分に、悲しくなって目を閉じる。
 少し、苛々していた。

 文章を何度も書いては消して、一週間が過ぎた。
 最後に提出した原稿は、構成をずいぶんと変えたが、表現したいこととは大きく異なるものだった。先生も完成を許したが、妥協したような、いまひとつ納得のいかない顔をしていた。
 締め切りの都合により、これ以上は手を加えることができなかったのだ。
 
 それからは録音する日に向けて、原稿の朗読を練習した。
 音読すると、書いているときに気づかなかった文章の粗が目立ち、不快な気分になった。この作文をどうしても好きになれない。それでもこの文章は多くの人の耳に入るのだ。そう考えると嫌でたまらない。投げ出したくなる。
 あまり練習できないまま、本番を迎えた。
 マイクの前で気持ちを込めて読もうとしても、緊張ばかりで声が上ずってしまう。何度もつっかえてしまった。
 こんなものがラジオで流されると思うと憂鬱で、存在意義を深く削り取られたような気持ちになった。

 帰り道、家の前の通りを一人で歩く、祖母の背中を見つけた。きっと勝手に家を出て、帰れなくなったに違いない。すぐ隣に並んで歩いた。まじまじと祖母を見る。
 こんなに小さかったのか。私が大きくなったから、そう感じるのかもしれないが、相対的に見てもやはり祖母は小さいのだ。そのことに初めて気がついた。
 染めなくなった髪も真っ白になって、以前に比べてずいぶんと老いを感じる。
 祖母は私に学校のことをいくつか尋ねると、こう言った。

「孫はいくつになっても、かわいいよ」

 私はなんて言葉を返したらよいか、わからなかった。川の水がちょろちょろと流れる音が聞こえる。
 胸に鈍い痛みを感じた。
 無言のまま、二人で門をくぐった。

 ラジオの放送は、ちょうど夕食の時間であった。
 母がラジオを居間に持ってきて、チャンネルを合わせる。音量も上げて放送を待った。
 私の声がいつ流れ始めてもわかるように、家族は黙々と食べながら耳を澄ませる。静かな食卓に、祖母のきゅっきゅっと咀嚼する音が響く。
 事前に伝えられていた時刻ぴったりに、私の朗読が始まった。

 拙い。駄目だ。聴いていられない。
 自分のことが嫌になる。
 この放送をいったい誰が聴いているのだろう。耳が熱くなるのを感じた。
 早く時が過ぎ去ってほしい。こんな苦痛に耐えるのは我慢できない。

 ラジオからようやく私の声が消えると、母は笑顔で私を見た。兄たちはまるで聴いていなかったかのように、箸を動かし続ける。
 誰とも視線を合わせないようしながら、夕飯の残りを食べ始めた。何も感想を聞きたくなかった。傷つくのをわかっている。
 すると、テーブルの向こうから、すすり泣く声が聞こえてきた。祖母だった。

「みつる、本当によかったええ……本当によく頑張ったええ……」

 しわくちゃの顔に涙がぽろぽろと溢れていた。

「ありがとう……」

 家族の視線を気にして、気持ちを素直に伝えることができない。
 なんとなく、目を逸らしてしまう。涙を拭いている祖母の姿を見ないようにしながら、ご飯を口に運んだ。
 
 この作品にどれだけの意味があったのか、私にはわからない。でも、作品に取り組んだ私に意味があるのかもしれない。祖母が喜んでくれたのだから。

 そう思えたとき、一つの答えが見えてきた。

 私はこれまで、祖母に苛立っていたのではない。
 祖母をわかることができない自分に苛立っていたのだ。

 幼い頃のように、祖母に認めてもらいたかった。受け入れてもらいたかった。
 どんな私でも。あなたでも。

 わがままだろうか。

 愛を与え続けることに徹したあなたのように、私はなれない。いつまで経ってもなれそうもない。

 視界が不明瞭になる中、祖母の生き方と私の未熟さだけが明瞭に見えた。
 誰にも目元を見られないようにしながら、自分の部屋の扉を開けた。
 堪えていた涙が溢れた。
 しばらく涙は止まらなかった。

 細い道を紫色の自転車が軽やかに走る。
 右側には小川、左側にはどこまでも続いていそうな水田が、空を映して広がっている。
 そして、えんじ色の服を着た、私より大きな背中が目の前にある。
 後ろのシートに座る私に、やわらかい声で話しかける。
 
「みつる。人間はね、笑ってる顔がいちばんいい顔なんだよ。だからね、いつも笑っていようね。そうすれば、幸せになれるから」

 ほわっと、たんぽぽの綿毛が飛ぶように、やさしさが心に灯る。
 あなたが言うなら、疑わない。
 
 私は少しでも、あなたに近づいているだろうか。

 今日はもう少し、笑っていこう。


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