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白檀の香り

お盆の頃だったと、記憶している。

日が傾き始め、街は夕暮れへと向かうが、
まだ陽は高く、人の往来が途切れることはない。

ぼくは、どういうわけかふらりと靖国神社へ。
何かきっかけがあったはずだけど、いまとなっては思い出せない。

市ヶ谷駅で降り、交差点を渡る。靖国通りにそって南へ進む。
ゆるやかに傾斜のかかった坂を進み、また、ゆるやかに坂を下っていく。

こんなことなら、九段下で降りればよかった、なんて思いながら、
大鳥居をくぐり、今度は境内を北へ上がっていく。

参拝を終えた人の波に逆らい、大村益次郎の銅像を左に見て、
第二鳥居を目指す。

昼間の喧騒の残りなのか、
街はまだ、夕暮れにはすすめども、夜へたどり着くことはない。

第二鳥居、神門、中門鳥居をくぐり、拝殿へ。
ラストスパートで押し寄せるの人波にのまれ、身を任せる、流れのままに。

靖国神社の参拝をすませたぼくは、あてもなく歩いた。
ぐるぐるぐるぐる、あてもなく歩きつづけた。

気が付けば日は落ちて、
あたりは、いつの間にか、夜の気配が近づいてきていた。

街灯には火が灯され、行きかう人がなんだか、ぼんやりと。
どことなく、あいまいな世界が広がっている。

ぼくは、このあいまいな世界が好きだ。
街はまだ昼間をひきづり、熱を帯びたままだ。

ぼくたちは、とかく、ものごとに意味を持たせようとする。
意味を、見出そうとする。それに意味はあるのか。

宵の口の市ヶ谷を九段下を、答えのない問いを投げかけながら。
キミは、逍遥学派なのか?アリストテレスだって、きっと答えは出せない。

靖国通りを、九段下から、ゆるやかに傾斜のかかった坂を上り、また、ゆるやかに坂を下っていく。

靖国神社南門あたりに差し掛かったとき、
少し前を、着物の女性が歩いていることに気がついた。

周りの人との装いの違いが、このぼんやりとしたしたあいまいな世界の中、
急に輪郭を帯び始める。

ぼくはその女性の顔をみてみたい。なぜかそう思ってしまった。
その女性の顔を見たいという欲求にかられ、歩くスピードを上げる。

女性に追いつき、追い越しざまにということも考えたが、
それはあからさますぎるよな、と思いなおす。

そうだ、追い抜いて、靴ひもを結ぶふりをしよう。そして、自然な感じで振り返るなんて言うのはどうだろう?

ぼくには、名案に思えた。アリストテレスも2000年以上先の世の、
逍遥学派の弟子が、そんなくだらないことを考えていたなんて思うまい。

実践知と形式知のどちらが大事か?と問われたら、どちらも大事だ、と答えるが、ぼくにとってはの真実は、実践知の中にしかない。

歩くスピードを上げたぼくは、すぐ女性に追いつく。
そして女性を追い抜く。追い抜き際に、白檀の香りがしたような気がした。

追い抜いて、少し前に行き、靴ひもを結ぶ。結ぶふりをする。
そして、うしろを、振り返る。

うしろを、振り返ると、
そこには誰もいなかった。

誰もいなかったのだ。
着物を着た女性など、そこにはいなかったのだ。

一瞬わけがわからなくなり、ぼくは、あたりを見回す。
見回したところで見つかるわけもないのだけれど。

自分だけが取り残されてしまったのか。
少し、寂しいような気持ちになった。

そのとき、ふっ、と白檀の香りが、風に舞い、消えたような気がした。
あぁ、、、今日は、終戦記念日か。

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