梶川卓郎『信長のシェフ』第37巻 未来の料理が伝える無限の可能性の世界へ

 連載開始から13年、37巻にして、ついに物語が終幕を迎えます。ケンの奮闘虚しく、ついに起きてしまった本能寺の変。その一方で生まれた大きな歴史の変化は、この先どのような結末をもたらすのか――?
(この先、できるだけネタばらしはしないように努力します――できる範囲で)

 光秀の挙兵の理由を理解し、本能寺の変を未然に防ぐべく奔走するケンと、その動きを察知した光秀――挙兵を目前に、二人の間で繰り広げられる頭脳戦。しかしこと戦いにおいてはやはり一枚上手だった光秀は、ついに京に攻め込み、本能寺は炎に包まれます。
 その一方で、ケンが全てを打ち明けて協力を要請した秀吉が、史実よりもはるかに早く京に到着。はたして歴史は未知の領域に踏み込むのか……

 この巻は、そんな何ともクライマックスに相応しい展開から始まります。はたして信長は本当に本能寺で討たれたのか? 仮に逃れたとしたらどのようにして? いや何よりも、全ての手段を封じられたケンがどうやって危機を伝えたのか?
 いくつもの疑問が浮かびますが、その一つ目については、まあここで触れるのも野暮というものでしょう。むしろ問題は三つ目ですが――ここで鍵となるケンの料理には驚かされます。まさかの初期も初期から持ってくるとは……

 思えば本作においてケンの料理は、難局の打開と、人の心を動かす/救うこと、そしてケン自身のサバイバルに(もちろん、この三つはそれぞれ重なることも多かったわけですが)役立って来ました。
 ここでまず難局の打開にその力を発揮したわけですが、しかしそれだけにとどまりません。中盤以降、思わぬ展開を見せる物語の中で、ケンの料理は再び、いや三度活躍するのです。

 二転三転する状況の中、ある人物を連れ、京を離れることとなったケン。失意と悲しみ、そして喜びという複雑な感情を味わい、死を目前としながらも自分の信念を決して曲げないこの人物に、ケンは料理を作らせてほしいと申し出ます。
 その料理を通じてケンがこの人物に伝えようとしたこと――それは、未来から来たケンだからこそ語ることができる、この世界が持つ無限の可能性を告げるメッセージであります。

 既に「結果」である未来から来たケンが、それを不確定なものにしてしまいかねない可能性を肯定する――一見矛盾したものに感じられますが、しかしこの場合は違和感がありません。
 何よりも、この料理が、他の誰よりも頑なであった人物の心を大きく動かす様は、クライマックスに相応しいと感じます。

 そしてその人物の願いを背負い、単身秀吉軍に立ち向かうケン(こう書くと嘘のようですが、本当なのだから仕方がない)。ここでケンが繰り広げるのは、これまでも幾度がケンが戦場で見せてきた、料理を、料理法を生かしたサバイバル術であります。
 いやはや、最後の最後までのこの大盤振る舞いには、快哉を叫ぶしかありません。

 正直なところ、物語の結末としては、個人的にはちょっと苦手な展開ではあります。特に最終回は、戦国転生ものか! と思わないでもありません。(いや、元々そういうものだと言われれば返す言葉はないのですが)

 しかし、本能寺の変を越えた先で、ケンがいなければそこになかったはずのもう一つの命の存在を描く――それによって、この世界の大きな歴史と、個人の小さな歴史の変化を結びつけて物語の実質的な終幕とするのは、本作ならではの、まことに後味の良い結末というべきでしょう。
 また大きな謎として描かれた、現代から来た箱の正体も、一瞬「ん? これだけ⁉︎」と思わされますが――ケンがこの箱の中身を知っていれば、それを受け入れて結末が変わったかもしれないことを思えば、粋な使い方と感じます。

 色々な意味で決して平坦ではなく、紆余曲折を経てたどり着いた物語の結末。それは人を食ったように意外で、しかし納得の行くものでした。先に述べた私の小さな拘りなど、「様を見ろ」と言われてしまいそうな……

 タイムスリップ時代劇として、まさに歴史に残る作品の大団円であります。

 ちなみに連載誌のサイトでは、単行本未収録のおまけ漫画が二編掲載されています。実に楽しい内容で(必ず本編を読んでから!)、こちらも必読です。


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