みすゞ、都内で戦前の旅館に泊まる
もう夏なのではないか、
というくらいに蒸し暑い2024年6月の終わり。
新宿駅から丸ノ内線に乗り、銀座駅乗り換えで日比谷線築地駅を降りる。そこから徒歩8分ほど歩くと、四角いビルがひしめく街の中にひっそりと大宗旅館はあります。
戦前の木造建築でつくられた大宗旅館は
昭和5年生まれ、築90年以上。
今からわたしはここに泊まるのか…!と少しドキドキした気持ちで、大きな玄関をガラガラと開ける。
すみません〜!と声をかけると、
「はいはい〜どうぞ上がってください〜」
と遠くから女将さんの声。
さっそくお部屋へ案内してくれ、
少し急な(それが良い)階段を登りながら
「どこから来たの?まぁ都内から!困っちゃうわ〜」
と話しかけてくれる女将さん。
今回わたしが泊まるお部屋は2階の2号室。
今使われているお部屋は3部屋?あるみたい。
まるで昭和にタイムスリップしたかのような空間。
素敵〜幸せ〜ときらきら目を輝かせていたら、女将さんは笑って「物好きね〜」と言いながらほかのお部屋も見せてくれた。
鏡に扇風機、椅子やテーブルなど昭和生まれのものに囲まれ、畳の上に寝そべる幸福感。女将さんのあたたかさも相まって祖父母の家に遊びに来たような安心感。最高すぎる!
お部屋を見せてくれたあとは、女将さんとおしゃべりタイム。女将さんの話によると、過去に作家の赤瀬川原平さんや、東大の藤森先生 (調べるとおそらく建築家の藤森照信先生?定かではない)、モダンガールの浅井カヨさんご夫婦などもいらしたそう。
特に興味深かったのは、テレビ番組「ブラタモリ」で築地がテーマだった回に大宗旅館が取材された話。今は亡き女将さんの亭主さんは、写真や無線ラジオなどが好きで、取材時は物知りなタモリさんと話が弾んだそう。ただ、内容は旅館の話そっちのけな映像になってしまったようで、編集時にカットされる予定であったところをタモリさん直々にこの旅館は放送して欲しいとの声があり、無事放送されたとの裏エピソードも教えてくれた。
女将さんは亭主さんのお話をとても楽しそうに話してくれて、なんか、愛だな〜とわたしも心がじーんとなる。
そんなこんなで1時間近くお話していたらもう夜の21時頃になってきたので夜ご飯を食べに外へ。
「帰ってきたらお風呂沸かしておくからね、なんか買って部屋で食べてもいいし、気をつけてね」
優しすぎる(泣)
夜ご飯は旅館から歩いて2、3分の居酒屋「鳥椿」さんに行きました。
旅館に戻ると
「おかえりなさい、お風呂温めといたから入りなね」
と女将さん。
ありがとうございます、早速入らせて頂きます。
お部屋に戻ると御布団を敷いてくれていた。
階段を降りて、1階にあるお風呂へ向かう。
お風呂はこんな感じ。
床のタイルや天井など繊細なデザイン。
シャワーヘッドなど細かい部分は新しく使いやすく改造されているけれど、全体的に当時と変わっていない印象を受ける。建物自体、旅館業の前は民家だったらしい。
お風呂からあがって、女将さんから借りた(宿泊客から貰ったらしい)浅井カヨさんの本を読んでひと休み。小型のTVも付けてくれているけど、必要ないくらい豊かで充実した気持ちになる。
あっという間に時間は過ぎて日をまたいでしまったので、読みかけの本を閉じ、宮城 気仙沼への1人旅ぶりの敷布団でぐっすりと眠りました。
おはようございます。
起きたら少しぼーっとしたあと、顔を洗って館内を探検。
9時すぎ、旅館を出る支度をしていると
「一息ついてゆっくりしなね」と女将さんがお茶をくれた。
そろそろ出よう。と玄関に向かうと女将さんがお見送りしてくれる。わたしがこの旅館で過ごす時間が楽しくて終始にこにこしていたから「そんなかわいい顔してにこにこ笑ってお話してくれたらわたしもついつい喋っちゃうわ」と女将さんが言ってくれた。褒め言葉だ。
「ありがとう、気をつけてね」
「こちらこそ、また来ます!女将さんも体調には十分気をつけてください」
そう言って旅館を出ると、外はマンションや高層ビル。一瞬で見慣れた景色に引き戻される。本当の昭和を生きたことはないけど、かなり昭和の雰囲気に飲み込まれてたみたい。
「周りは高い建物だらけでここは取り残されたのよ」と女将さんは言っていたけど、わたしはこの旅館が今もまだ存在してくれているからこそ、女将さんに出会えたことを心から嬉しく思う。出来ることなら亭主さんにもお会いしたかった。
また、女将さんに会いに行きたいと思います。
昭和の建築や亭主さんのラジオの話など、詳しい人により教えて頂きたい、有識者の方、コメント待ってます。そして、昭和など今も残る古き良き文化やマニアックなものが好きな人はわたしと友達になってください。
また書きます。
みすゞ