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絵を描いたり舞台に立ったり写真を撮ったりいろいろしている、教育学部の大学生です。よろしくお願いします。 https://profile.coconala.com/users/1799943 ↑ココナラでお仕事募集中です。

マガジン

  • ウィズコロナ・アフターコロナのなかで教育を考える

    このコロナ禍のなかでたくさんのことが変わりました。たくさんのことを考えました。 教育はどうなったのか。どう変わるのか。どうなっていくべきか。ただ私という個人が自由に考えたことを、思ったままにまとめました。こちらの記事は大学の課題の一環で執筆したものです。

最近の記事

髪を切った話。

ずっと髪を長く伸ばしていた。そして、その髪を切ろうと思った。 私の通っていた小学校では、校則で肩に髪がついてはいけなかった。平成も半ばの時代のことだったが、前髪も眉にかかる程度まで、ヘアピンも結ぶのもダメ。今は変わっているのかもしれないけど、おかげでショートカットかボブカットかベリーショートしか選択肢が無かった。 半分くらいの同級生は同じ中学に上がって、時代錯誤な校則に解放されると同時に髪をみんな伸ばし始めた。ショートと伸ばすのとどっちが似合うかはさておき、6年間縛られ続

    • 私の苦手なこと。

      真面目な話をするのって苦手だ。 正確には、真面目に真剣に重たいことを話すのは適当な雑談とは違ってまた好きなんだけど、そんな空気を作ったり話を切り出すことが私はすこぶる苦手だ。特に誰か特定個人とそうやって話すのは、空気や話題が変わってくれないとできない。 聞かれたり、近い話になればペラペラと喋れるけど、聞かれても無いのに言えない。「いや、知らねーよ」って思われるのが嫌で、それならまだ良いけど「面倒くさいな」なんて思われた日にはそのまま消え去りたいくらいの気持ちになるからだ。

      • 時を文字として重ねるという話。

        私は手帳をつけるのが好きだ。学校で手帳が配られた中学一年生の時から毎年続けている。 先生はスケジュール管理を習慣づけるために生徒たちに配っていたようなので、まんまとその魂胆にハマったと言える。 毎年度の切り替わりになると、手帳コーナーで浮き足立ちながら今年はどんなものにしようと考えるのだ。 手帳をつけるというのは記録であり、情報の管理であり、記憶の蓄積だ。 予定や課題を忘れないために書き込み、また思い出や思考の流れをそこに連ねる。 何冊にもなったそれは私が過ごしてきた時の積

        • スポットライトのすぐそばの影の中。

          スポットライトって、すごく熱い。眩しい。明るい。これを読んでくれている誰かの中にも、その輝きの中に照らされたことがある人はいるだろうか。 学校の学芸会、ピアノの発表会、檀上の挨拶…色々あるだろうけど、私はそのうちの一つ、演劇をやっている。ある時は大会の広々とした劇場で、ある時は高校の心許ない機材の体育館で、ある時は大学の小さな手作りの舞台の上で、スポットライトの光の下に入ってきた。いつまで経ってもその真白の眩しさには慣れるようで慣れない。 高校から演劇を始めた。友達に誘わ

        髪を切った話。

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        • ウィズコロナ・アフターコロナのなかで教育を考える
          4本

        記事

          ウィズコロナの中で教員になるということ。

          先日、文部科学省による1つの通達が出た。 「新型コロナウイルス感染症の影響を踏まえた教育実習・介護等体験の代替措置等について」 まあ確かに今年の介護等は延期になったし、教育実習できるのかなあなんてぼんやりとは思っていたけども。覚悟はしていたけども。簡単に言えば「コロナの影響があるし受け入れ先にも関わってくるから、実習とかは秋以降に延期してね。場合によっては大学の実習授業とか、座学で代替してもいいよ」って話。……合ってるよね?そういう認識で。 幸い…なのかなんなのか、私は

          ウィズコロナの中で教員になるということ。

          金子みすゞは偉大だと思った話。

          私の周りは昔から多様性というか、そういうことをよく意識しやすかった。 というのもかつて私が青春時代を過ごした都内某所の中高一貫校は、国際教育とやらをウリにしていて、正確な数はよくわからないがありとあらゆる国から来た帰国子女がわんさかいた。今数えたら学年の半分くらい。それ以外でも様々なルーツを持った生徒が集まった学校ではあった。 同時に私は自由奔放でマイペース軍団みたいな美術部に所属し、高校に上がってからは個性爆発みたいな演劇部にも所属していた。 よく「うちの学校にまとも

          金子みすゞは偉大だと思った話。

          「女の子らしさ」の呪い。

          私は可愛いものが好き。洋服もガーリー系とかフェミニン系とか、長いスカートとかの方が多い。髪を長く伸ばしている。メイクするのも、まだ上手くないけど好き。可愛くなりたい、ってずっと呟いている。 でも小学生の時の私はずっと髪が短くて、ズボンしか持ってなくて、青とか黒とかかっこいい色でロック系の服が好きだった。ドクロとかユニオンジャックとか。パーカーとジーンズばっかり着てた。よく男の子と間違えられていた。 イメチェンしたの?って聞かれて趣味が変わったんだ~なんて答えてて。実際のと

          「女の子らしさ」の呪い。

          発達障がいじゃないけどダメですか。

          変なタイトルだな。前置きしておくと、私は専門的に障がいについて学んでいるわけでも無ければ、自分や家族が当事者というわけではない。恐らく専門の方からしたら「何言ってんだ?」ってこともあるかもしれないし、不快に思わせてしまう部分もあるかもしれない。もしそうだったら、ごめんなさい。これはただ、私がずっと、ぼんやりと考えていたことだ。 私は小さい時「変わった子」だったらしい。自分でも覚えていることもあるけど、「変わってる」エピソードが色々とある。 幼稚園に入る前くらいはただひたす

          発達障がいじゃないけどダメですか。

          私にとっての「描く」ということ。

          私は物心ついたころから絵を描くのが好きな子どもだった。幼稚園のお絵かき帳を一人だけ2冊3冊と増やしていき、下校中の電車の中でランドセルを机にして自由帳を開いて、授業中にも落書きをしては怒られるような子どもだった。 中学校に上がってからもそれはずっと続き、小さなスケッチブックを筆箱や財布と同じくらい必要なものとして学校に持っていき描き続けた。これはちょっとした自慢だが、中高6年間で使っていたスケッチブック(某百均の180枚くらいあるやつ)は累計で38冊にもなった。特に中学くら

          私にとっての「描く」ということ。

          「先生」はどこまでやらなきゃいけないの?

          「コロナ禍による教員の過重労働だ」そんな声をたくさん見かけた。元からブラックな職業と(不名誉にも)名高い教員だが、そこに加えて新型コロナウイルスの感染対策までやってきたようだ。休校でただでさえ授業は遅れている。どこまで教員に仕事は降り積もるのか。 といっても私はまだ一介の大学生に過ぎず、教育実習も終えていないし詳しいことはよく知らない。ただ、SNSで声を上げる先生たちの姿は他人事ではない。授業、会議、部活動、行事、保護者対応、生徒指導、その他諸々。教員の仕事は多岐にわたり、

          「先生」はどこまでやらなきゃいけないの?

          学校に行くこと、行かないこと。学校が無くなって救われる子、苦しむ子。

           感染対策で学校が休みになった。全国の小中学校は3月から休みになって、だいたい2ヶ月、夏休みより少し長いくらいを子どもたちは自宅で過ごすことになった。休校解除がされた今も隔日での登校や午前授業などが続き、家にいる時間は長い。  私自身は学校が好きな子どもだった。授業はあまり好きではないけど部活と友達が好きで、行事や放課後に時間と労力を注ぎ込むような子どもだったし、家にいるのが得意ではない。外出自粛をしている今も、家族と四六時中一緒にいるのはどちらかというとストレス。学校行き

          学校に行くこと、行かないこと。学校が無くなって救われる子、苦しむ子。

          オンライン授業の良し悪しを考える。

          全国の小中高とか、学芸大も例に漏れず始めた遠隔授業。  正直言って、というか半分以上の人はそうなんじゃないのかなあって思うけど、言われたとき「そりゃそうだよね」と同時に「マジでやる気なの?できるの?」って感じ。なんなら学費払う意味ある?美術科だよ?なにすんの?てかこれで今までと同じように修了って認定できんのかなあ、とか思った。休学しようかなぁなんて呟く人の言葉が冗談じゃなくありえそうって思った。美術科だけじゃない。保健体育科、音楽科、書道科、技術科、理科、表現教育コース、その

          オンライン授業の良し悪しを考える。

          はじめまして。

          巷で流行っているnoteを始めてみました。misatoです。何を書いてよいやらという感じですが、まずは簡単に(?)自己紹介を。 生まれも育ちも東京の端っこで、だけどなぜか喋ると訛ってると言われます。両親も東京なのに。意味が分かりません。 いわゆるミレニアムベイビーと言われてきた年に生まれ、誕生日はミッキーマウスと徳川家斉(11代将軍)といっしょです。 今の私は東京学芸大学というところで中等教育を学んでいます。美術、特にグラフィックデザインを勉強中です。あとは演劇をやって

          はじめまして。