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ウィズコロナの中で教員になるということ。

先日、文部科学省による1つの通達が出た。

「新型コロナウイルス感染症の影響を踏まえた教育実習・介護等体験の代替措置等について」

まあ確かに今年の介護等は延期になったし、教育実習できるのかなあなんてぼんやりとは思っていたけども。覚悟はしていたけども。簡単に言えば「コロナの影響があるし受け入れ先にも関わってくるから、実習とかは秋以降に延期してね。場合によっては大学の実習授業とか、座学で代替してもいいよ」って話。……合ってるよね?そういう認識で。

幸い…なのかなんなのか、私は一応今年が対象じゃないわけだけど。それでも今後の状況がどうなるのかはわからないし、現時点のままなら来年は介護等と教育実習がダブルでやってくることになる。

そもそも春学期からの、そして秋学期も決定したオンライン授業。たくさん必修の授業も入っている中で、慣れない中学生も先生方も試行錯誤しながら、ひとまず今期は乗り切った。

乗り切った、つもり。

確かに実際通うより、通学時間は減るし、スライドなんかが手元に見返せるし、自分のペース配分も出来てよかったなあって部分もある。あるけど。

やっぱり不安だ。順調にいけば来年には教育実習、再来年には教採がある。うっかり者で特段優秀でもない私はただでさえ怖い。ただでさえちゃんとした大人に、ちゃんとした教員になれるのかなあっていつも思っているのに、何をやらかすか分からないのに、今はいつも通りの授業が受けられない。今まで先輩方も受けてきたものと、同じだけの質と時間とは正直言えない。今まで通り友人と意見を交わすこともできない。

そしてこの状況が、いつまで続くのかは分からない。

勿論先生方だってすごく努力して春学期は授業をしてくださったことだって分かっている。そのおかげで、目の前で受けることができなくても学びになった授業もある。そして別に対面だからといってちゃんとした授業かと言ったら、そうじゃないものも中にはあるだろう。でもそういうことじゃなくて。

大学の意味っていったいなんだ、って色んな人が今声を上げているのを見るけれど。やっぱりそれは「人」であり「出会い」であり「場所」だと思う。動画を見て資料を読んでレポートを書いたり試験を受ける、それだけなら、別に通信講座でいい。

でも大学という環境には、高校までの比じゃない数の人が集まる。年齢だって同い年とは限らない、全国から多様なバックグラウンドを持った人が、だけど同じことを学びに来ている人がいる。その道を深めた先生方がいる。授業、ワークショップ、研究室、サークル、その他諸々、たくさんの経験と出会いがある。そしてそれらを実現するためのキャンパスがある。これらをちょっとずつオンラインでも補完しようと試してきたけど、なかなか難しいものだ。

それらがぜーんぶ無くなって、PCの前に座り続けて、家に閉じこもって。これで受けた授業で、単位が認定されて、なんやかんやではい卒業できましたって現場に放り出されても。今までと同じみたいな顔されても、って感じ。

そりゃあ楽だよ。正直オンライン授業がそんなに苦手じゃなければ、私たちは楽に単位が取れるんだと思う。だけど楽してなって乗り切れるものなのか、教員って。そもそも楽がしたくて大学に入ったのか。

少なくとも私はそうじゃない。全然、真面目な大学生である自信はないんだけど、でも通うの遠くて大変とか授業分かんないなとか課題大変だってなっても、学びたいことを学ぶのは楽しい。私は教育を、美術を学びに大学へ入ったはずだ。先生になるために大学へ入ったはずだ。

教育実習のことも、どうすればいいのか良い解決案は思いつかない。来年にするにしても、時間とか卒業年度とかなんか色々難しそうだなあって思う。だけど座学で替えてしまって良いかと言われると、それってなんか違くない?とも思う。

教育実習に来る実習生の先生方も、行く先輩方もたくさん見てきたけど。学校って毎日がイレギュラーだ。子どもたちは決まった動きなんかしない。どんな反応をするかなんてやってみないと分からない。笑顔を向けてくることもあれば平気で陰口も叩くし文句も言う。そして教員って誰かの人生を扱う、めちゃくちゃ大事な、難しい仕事だと思う。

だから不安でいっぱいだ。だから「今まで通り」にいかないことは余計不安だ。教員が、学校が誰かの人生に関わるように、大学の授業だって私の人生に関わることだ。

全部ひとりの大学生の、ただの弱音だけど。どうこうできる話でもないのだけど。私たちは、「今まで通り」が学べない現状の中で、どうなっていくのだろう。

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