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スポットライトのすぐそばの影の中。

スポットライトって、すごく熱い。眩しい。明るい。これを読んでくれている誰かの中にも、その輝きの中に照らされたことがある人はいるだろうか。

学校の学芸会、ピアノの発表会、檀上の挨拶…色々あるだろうけど、私はそのうちの一つ、演劇をやっている。ある時は大会の広々とした劇場で、ある時は高校の心許ない機材の体育館で、ある時は大学の小さな手作りの舞台の上で、スポットライトの光の下に入ってきた。いつまで経ってもその真白の眩しさには慣れるようで慣れない。

高校から演劇を始めた。友達に誘われて、廃部寸前、部員はもう引退も間近に籍を置いているだけの3年生が僅か3人の演劇部。入ったばかりの右も左も分からない初心者たちが、次の年には大会に初めて出て奨励賞を取って、その次の年に後輩たちを迎えて都大会に初出場…なんて、なにかの漫画かドラマみたいな実話。

まぁそこまで華々しいものでも無いのだけれど、私はそんな風にして始めた演劇というものにまんまとハマってしまった。そう、きっと部の中で誰よりも。そしてそれまでずっと私の芯にあった「絵」というものが揺らぎかけるくらいには、心を強く掴まれてしまった。

そうして大学生になった今でも演劇をやっている。サークルに二つも入って、あっちゃこっちゃ走り回りながら舞台を作り上げる。満足に集まれない今だって、ただ演じるということに飢えながら片っ端から何かに手を出している。

さて、演劇を始めたのは高校1年生の時だったが、そんな私が「演じる」ということ自体に出会ったのはもう少し昔の話だ。

自分が自分じゃない人間になる、という意味なら中3の時。クラスの文化祭の出し物で映画を撮った。今思えば演技も下手くそだし目線もふらふらだが、当時は他の子に褒められたりなんかして、ものすごく楽しかった。

そしてそうやって演じることに初めて憧れを持ったのは、小1の時。私の小学校では毎年、6年生が歌を交えた劇を上演していた。よく見知ったはずのお兄さんお姉さんたちが、煌びやかな衣装を着て舞台に立ち、歌って笑って生き生きとした姿は、幼い私にとっての憧れだった。あんな風になりたいと、私もあそこに立ちたいと、そう思っていた。

実際は6年生になった時、オーディションで恥ずかしくなってまったく上手く喋れなくて、私はただの合唱隊の1人として舞台の脇にいたわけだが。

そのくらい子どもの私は内気で、目立つほうではなく、どちらかと言えば休み時間に教室の端で絵を描いたり、図書室で本を読むことが好きな子だった。でも出来ないくせに、憧れだけは抱いていた。勇気は無いけれど、でも目立つ場所に行くのが嫌いや苦手というのではなくて、ただそれを上手く前に出すことだけが出来なかった。

今は…暗い、大人しいと言われることはまず無くなった。元気、活発、積極的、周りから見た私の印象はそんな感じらしい。

どうだろうか。私は、ランドセルを背負っていた私の頃から、舞台袖にいたあの頃から前に進んで、スポットライトの中に入ることが出来たのだろうか。

自分ではよく分からない…というか、入れている自信は無い。誰かから見たらそう見えるのかもしれないが、私自身はいつもどこか何か人より頭一つ分足りなくて、少なくともクラスの真ん中でキラキラしていた人間ではないのだけど。キラキラしていた人間ではないからこそ、そのキラキラの中に憧れを感じるのかもしれないし。

私が演劇を楽しいと思う理由は、色々ある。何かを作るのが楽しいから。物語が好きだから。一緒に居る仲間たちが好きだから。

でも真っ先に出てくるのはやっぱり「私じゃない誰かになりたいから」。

私は、私だけでキラキラした何かにはなれない。だけど言葉を手に入れて、衣装をまとって、メイクをして、いつもの学校や教室とは違うそこに立って私じゃない人間になった時に初めてキラキラした光の中に居られる。

スポットライトが暗闇の中に照る時、なんだか不思議な高揚感がある。ドキドキと浮ついた気持ちになる。

私はもしかしたらずっと、影の中から、そのスポットライトの光の下に入りたくてここにいるのかもしれない。

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