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私にとっての「描く」ということ。

私は物心ついたころから絵を描くのが好きな子どもだった。幼稚園のお絵かき帳を一人だけ2冊3冊と増やしていき、下校中の電車の中でランドセルを机にして自由帳を開いて、授業中にも落書きをしては怒られるような子どもだった。

中学校に上がってからもそれはずっと続き、小さなスケッチブックを筆箱や財布と同じくらい必要なものとして学校に持っていき描き続けた。これはちょっとした自慢だが、中高6年間で使っていたスケッチブック(某百均の180枚くらいあるやつ)は累計で38冊にもなった。特に中学くらいまでは本当に暇さえあれば絵を描いていた。美術部にも6年間所属し、今は教育学部の美術科に通っている。

それだけ描いているんだからさぞ絵が上手いのだろうと思われそうだが、実際そんなことはない。これは謙遜ではなく、悲しいくらいどうしようもない事実として。たぶん絵をやってない人から見たら上手いんだろうなーぐらいというか、人並みには描けるぐらいというか。美術部に入っていなくたって、美術科に通っていなくたって私よりよっぽど上手い人はたくさんいるのだということを、大学に入って痛いほど感じた。

じゃあなんで私が彼らに追いつけないかといえば、彼らがもっともっと描いているからだ。私の38冊が、何千枚が実際はなんの自慢にならないくらい描いている人たちはたくさんいるから。物の捉え方見方が元々得意な人もいるし、専門的に学んでいなくてもこれが良い!という絶対的センスがある人もいる。たぶんこれは事実だ。努力も才能も私はそれなりでしかないことを自覚している。

それでも描くことは辞められなかった。中高時代の友人に、圧倒的な才能があると感じる子が二人いた。彼らは今海外で美術や建築を学んでいる。あの頃から、ああ勝てないんだなぁと漠然と感じたし、私が一番になれたことは今までただの一度もない。それでも描くのはどこか執着もあるかもしれない。人より上手くなくても一番になれなくても心が折れても、絵は今の私にとっての人生なのだ。欠いては語ることのできないものなのだ。(ちなみに高校時代で出会った演劇はその考えが揺らぐくらいの衝撃があったが、それは割愛する)

中学、高校と、漠然と絵に関わる仕事に就きたいと思っていた。小6の時の夢はイラストレーター、それがもう少し現実的な方向に近づいた結果が今の場所だ。絵一つで生きていく勇気も、美大に飛び込む勇気も私にはなかった。なかったけど、今更絵を辞めて別のことだけで自分を生きていく勇気もなかった。妥協といえば妥協だし、しかし今学んでいる「美術と全然関係ないこと」もとても楽しいので正解といえば正解だったかもしれない。

何がどうしてそんなに描くことが好きなのかと考えたとき、たぶん描く行為そのものに意味があるわけではないと思う。自分がやった何かで人に感謝されたり、喜ぶ顔を見ることが好きなのだ。私にとってのそれが絵だった。

中学高校ぐらいというのは美術部だという理由だけでポスターだの看板だのを描いてとよく頼まれるものだが、周りの友人が面倒がるそれが、私にとっては面倒ではなかったしどちらかというと率先してやりたいものだった。自分を他者に肯定してもらう方法はそれしかないと頑なに信じていたし、すごいねと言われたいだけだったが、それで相手が喜んでくれるならWin-Winだなと思っていた。

私には湧き上がる表現したいものや絵という形で社会に伝えたいことなどが特別あるわけではない。芸術家にはなれないのだと思う。だけど人に必要とされるものを聞いて、考えて、絵という形でアウトプットすることが好きなのだ。今、私がグラフィックデザインを学んでいる理由でもある。まだまだ勉強中で稚拙な自分の表現だが、それでも誰かを笑顔にすることができるし、時には対価を出してくれる人までいる。私はそういう人たちのおかげで今ここに立つことができている。

この長い休みの間に、1枚でも多く描けないかと思った。学友も、SNSに腐るほどいる絵描きも、皆上手くて悔しいからだ。何が正解かもわからないがただ毎日少しでも描こうと、少しでも上手くなってやろうと思っている。

このサイトは、自分の絵を仕事にできないかと思って登録した。まだなかなか目に留めてもらえることは無いが、もし良いな、と思ってくれる人がいたらちょっと開くだけでもしてくれると嬉しい。

結局宣伝かよ、という感じで申し訳ないけど、そのくらいの気概でいかないと自分なんかはいとも簡単に埋もれていく。ただ消えないようにもっと描こうと思う。ここに登録して、知り合いのお姉さんが似顔絵描いてと言って依頼をくれた。友達のサービス感覚かもしれないがそれでも、かわいい、とその絵を喜んでくれたことは私の励みになった。大学の友人が、お金払うからこれ描いてと頼んでくれた。お金っていうのは利益が云々とかじゃなくて、もちろん稼げる分には嬉しいけど、それなりの価値があると認めてくれたという証明なのだと思っている。

誰かが必要としてくれるからまだ描こうと思う。人生は自分のためのものだとよく言うが、私は自分のために「誰かのため」をやろうと思う。それが私にとって絵を描くということなのだ。

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