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金子みすゞは偉大だと思った話。
私の周りは昔から多様性というか、そういうことをよく意識しやすかった。
というのもかつて私が青春時代を過ごした都内某所の中高一貫校は、国際教育とやらをウリにしていて、正確な数はよくわからないがありとあらゆる国から来た帰国子女がわんさかいた。今数えたら学年の半分くらい。それ以外でも様々なルーツを持った生徒が集まった学校ではあった。
同時に私は自由奔放でマイペース軍団みたいな美術部に所属し、高校に上がってからは個性爆発みたいな演劇部にも所属していた。
よく「うちの学校にまともな人間は居ない、教師も含めて全員変な奴しかいない」なんて同級生と言ったものだが(褒め言葉である)、まあなかなかに強烈な学校だったなと。あと今の演劇界隈でもそれはよく言う言葉だなと。
そして大学に進学し、演劇サークルの周りは勿論(良い意味で)変な奴しかいない。なんなら教育学部なんて、子どもの多様性を尊重することを掲げている場所だ(と、私は思っている)。
類は友を呼ぶなのか、まぶしすぎる個性の海の中で揉まれ続けている私にとって、ちょっとくらいの他人との違いは「変な奴」とは思ってもイコール面白いなので、大体なんでもオールオッケーみたいな人間が出来上がった。
偉大だなどと書きながら、かの有名な金子みすゞの詩を私は「こだまでしょうか」と「わたしと小鳥と鈴と」ぐらいしか分からないにわかっぷりなのだが、まさに私のスタンスはあれである。「みんなちがってみんないい」。
人類みなこのスタンスなら争いは半分ぐらい減るんじゃないのかなあと結構本気で思っている。
ダイバーシティがどうとか、差別がどうとかみたいな話をSNSで見かけない日はない。ジェンダーが云々、国籍や人種が云々、あとはなんでしょう。フェミニズム的な動きもそうですね。かつて「弱者」だった人間たちが立ち上がる、平等と自由な選択を求めて。
そして声を上げることでまだ課題は多いものの、十数年前と比べたら少しずつ変わっている部分があるようだ。例えば同性パートナーシップとか。まだ実現されないけど選択的夫婦別姓とか。ちょっと当事者ではないのでそのあたりの細かい問題は詳しくないのだが、色々なことにちょっとずつ、変化と理解が進んでいる。ように、とりあえず私の周りでは見える。
でもこういう変化って、今はまだ過渡期なのだろうとも同時に感じる。
例えば性的マイノリティ。私は実は同性愛者なんです、無性愛者なんです、トランスジェンダーなんです。そんなカミングアウトをして、受け入れられる確率は増えたのかもしれない。若い世代だと理解が進んでいる人が多いという一方で、それは終着点ではないと思う。
それって「カミングアウトしなきゃいけない」ことなのか、そもそも。受け入れられて当然のことになるのが本当のゴールじゃないかと。
私のスタンスが「みんなちがってみんないい」だと先ほど言ったが、例えば人を好きになる話であったら、そこに愛があって当人たちが幸せなら性別も人種も次元も年齢も(法に触れなければ)なんでもよくない?と思っている。だって今はあの初音ミクと結婚できてしまう時代ですよ。可愛いよね初音ミク、わかる。
なんかこう差別とかって、挙げ始めたらキリがないというか、非常に難しい問題なんだと思う。この言葉は差別的だとか。それもまた当事者が別に良くねと言ったら外野がとやかく言うことでも無いと私は思うし。された側が嫌だと思ったらそれはいじめだしハラスメントです、っていうあれと同じじゃないのかなあ。
あともう一つ私のポリシーというか信念というか、それは「同じ人間は誰一人いない」ってこと。当然じゃんって思うかもだけど、それは恋人だろうが親だろうが兄妹だろうが結局は違う人間なのだ。同じ屋根の下で暮らす人間と相容れないことがあったとしても、だって別の人間なんだから、別々のものを見てきているんだからそんなの仕方ないだろう。
まとめると、もう少し簡単に考えられたらいいのになってこと。
勿論制度として変えていくことはわんさかある。それは声を上げ続け、お偉い方々に気付いてもらわないとどうにもならないことだ。そういう課題は山積みだなあと思う。
だけど違いって当たり前だから、例えば「私女の子が好きなんだよね」ってことを「髪の短い人が好みなんだ」「背の高い人がいい」「アウトドア派の人が好き」みたいなことと同列に捉えられたら良いと思う。
だって私たちって当然のように「○○な人しか恋愛対象にならない」なんて会話をする。同じじゃないか。同性愛者だという自意識があっても、ある異性に出会ったらその人と恋に落ちた、両性愛を持っていたという話も聞くし、「こういうの無理なんだよねえ」と言っていた子がそのドンピシャの人を好きになってしまう話も聞く。
他の事でもいい。「うちの両親○○出身なんだ」と同じように「ママは日本人だけど、パパがフランス人で」が珍しがられたりしないとか。「結婚したらマイホームが欲しいなあ」「地方に移り住もうと思ってて」と同じように「結婚したら夫婦別姓が良いんだよね」「ああ僕は妻の性にする予定」ぐらいのテンションで話せるとか。
好きな食べ物だって色だってできることだって違うんだ。もっと色んなことが違うのは当然だろう。時々違いでぶつかることは勿論別の人間同士だからあると思うんだけど、それも含めて同じ土俵で話せたらいいし、「あなたはそうなんだね」って尊重できるようにしたい。
だからやっぱり、それを簡潔な言葉で「みんなちがってみんないい」とまとめた金子みすゞは、偉大だと思う。
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