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なぜ人の「やりたいこと」を見つけたいのか?

はじめまして!
石原史章と申します。
『武器発掘プログラム』という
本当に「やりたいこと」や
本人が気づききれていない「才能」を
ヒアリングをしながら見つける
自己分析サービスを運営しています。

新卒から広告業界にいまして、
広告制作会社にコピーライターとして入社し、
広告代理店に転職。
2024年3月に独立して、フリーランスになりました。
コピーライター/CMプランナー/クリエイティブディレクターとして
広告の仕事も請け負っています。

そんな広告クリエイティブを生業としてきた僕が、
なぜ自己啓発のサービスを提供して、
人の「やりたいこと」を見つけようと思ったかについて
過去を振り返りながらお伝えします!

ぜひ最後までお読みいただけたら嬉しいです!!


中1の1月
「父親が亡くなる」

いきなり湿っぽい話ですが、
僕は、中1で父親を亡くしました。
原因は脳の病気でした。
入退院を3年ほど繰り返し、
亡くなる半年前くらいには、
もう僕のこともわからない状態でした。

ですので、ある程度は心の準備ができていました。
父が亡くなったときの病室では、
涙を堪えることもできました。
僕は一人っ子です。
母を支えられるのは僕だけです。
そんな責任感もあったと思います。

ただ父の火葬前に
「本当にいなくなっちゃうんだ」と
気づいた時には号泣してしまいました。
「嫌だ嫌だ嫌だ」
父の姿形がこの世からなくなってしまうことまで
想定できていなかった僕は
父の側から離れられなくなっていました。

でも僕は、
父の顔を目に焼き付けながら、
なぜかこんな考えが浮かんできました。

「俺は負けない。絶対にこの経験を糧にしてやる」

いま思うと、
当時の自分の心の奥底にある
「熱く生きたい」という強い欲求が
こんな憎しみをも含んだ前向きな考え方に
切り替えさせたんだと思います。
そして続け様に、

「いつ死んでもいいように、 
 絶対に『やりたいことをやる人生』にする」

と強く思いました。
いや違います。
正確に言えば、
亡くなった父に「誓い」ました。

このように父の死をきっかけに
「やりたいことをやる人生にする」ことが
僕のモットーになりました。

中3の10月
「やりたいことをやる人生がスタート」

中1の1月に「やりたいことをやる人生にする」と誓ったものの、
当時はサッカー部に所属していました。
県内(山梨)で1,2位の強豪校でしたので、
もちろん部活が中心の毎日。

部活を引退してから、ようやく時間ができました。
そして出会ったのが、
『チョコミミ』というドラマでした。

りぼんで連載されていた漫画が原作のドラマなのですが、
そのドラマに出演していたアンドリュー(木戸邑弥さん)がカッコ良すぎて…。
いま思いとめっちゃ恥ずかしいのですが…笑
その姿を見て「自分も俳優になりたい」と思うようになりました。

高校3年間、やりたいことをやりまくる

それからは、
サッカーをするために入った高校なのに
サッカー部ではなく、放送部や演劇部に入り、演技のレッスンをしたり、
CMで出会ったhydeさんのかっこよさに心を打たれ、
軽音部に入り、バンドも始めるのでした。
(超余談ですが、石原少年は20歳のときに
 LAの空港で偶然hydeさんに出会い、握手してもらうことになります笑
 この話は近いうちにstand.fmでしようかな笑)

またB-STというファッション雑誌を見て、
「読者モデル」にもなりたいと思い、
狂ったように古着屋に通いまくるようになります。

あとダンスも習ってましたw
ポップ、ロック、ブレイク、ヒップホップを3年間やってました。
(でもそこまでやりたいことではなかったので
 練習はあんまりしてなかったです…笑)

我ながら色々やってますね…笑
なんでここまで色々手を出したのでしょうか。
それは、どうしても
「個人で活躍できるスキルをつけたかった」からです。

きっかけは、
中学のサッカー部での2つの経験です。

1つ目は、やりたくもないことをたくさんやらされたこと。
たくさん走ったり、たくさんご飯を食べたり、坊主にしたり。
勝つためには必要なことなんでしょうけど、
納得感もなく、自分がやりたくないことをやるのは
かなり嫌でした。
でも流されてやらざるを得ない。
それがチームだから。
・・・じゃあ高校では
チームじゃなくて「個」で輝きたい。
そう思いました。

2つ目は、自分の手柄を取られたくないから。
結構しょうもないのですが、
チームのみんなと喋ってる時に
ボケるじゃないですか。

なぜかチームに
僕のボケでウケをとったあとに
なぜか僕と同じボケを被せてくる輩がいたわけですよ。
例えば、
僕が「間違いない」って長井秀和の真似をして(時代がw)
笑いが起きたら、
その輩は「それは間違いない」みたいに
すぐ同じボケを被せてくるんですよ。
で、笑いが激減して、
なんか変な空気になる。

それが耐えれなかったんですよね笑

自分がとった笑いは自分のものにしたかった。

当時は言語化できていませんでしたが、

「自分の手柄は自分のものにしたい」
「自分のアイディアで自分一人が評価されたい」

というエゴが自分にあることになんとなく気づき、
高校では、個で輝けるようになりたいと思ったのでした。
この想いはこれからの人生を左右する
僕の「大事な価値観」になっていきます。

大学4年間
「やりたいことをやりまくるpart2」

大学でも
とにかくやりたいことをやりました。
音楽で食べていきたいと
自分で曲を作ってライブをしたり、
古着屋でバイトをしたいと
色々な古着屋の面接を受けまくり、
下北の古着屋で働いたり、
服を買いすぎてクレジットが止まったり・・・。

とにかく「やりたい!」という気持ちに
従って生きてました。

そんな自分も就活の時期になりました。
やりたい仕事はなんだろう?
そう考えた時どうしてもなりたかったのが、
コピーライターでした。

とにかくコピーライターになりたい。

その一心でコピーライターだけで就活をし、
大学4年生の1月に日比谷にある広告制作会社から
内定をもらいました。

制作会社時代
「コピーライターよりもCMプランナー?」

そうしてコピーライターになった石原青年は、
広告コピーを書く毎日を過ごします。

そんな中で、はじめてCMの企画をする機会があり、
コピーではそんなないかったのに、
家に帰らず、
朝まで企画を考え続けていました。
そうしたら、
なんとその企画が実際に採用されたのでした。
(実際、尼神インターの二人を起用してWEBで流れました)

その時自分はコピーよりも
CMの方が向いているのではないか?と思い、
CMをもっと作れる会社に転職することになります。

広告代理店時代
「28歳で休職」

広告代理店に転職し、CMプランナーとして
CMを作る毎日を過ごしました。

ただなぜかワクワクしなくなっていきます。
CMを作りたいと思っていたのに
CMを作りたくなくなっていたのでした。

色々な要因がありますが、
一番の要因は、
自分のアイディアがそのまま世の中に出ないことが
非常にやりがいを削いでいました

(CMは投資額も大きいので企画に
 いろんな人の意見が入るのは仕方ないんですけどね…)

そう。
高校でサッカーを続けなかった理由と同じです。
自分には

「自分の手柄は自分のものにしたい」
「自分のアイディアで自分一人が評価されたい」

という強い欲求があったので、
モヤモヤが溜まるようになってしまいました。

もちろん広告は広告主にお金をいただいて
代理で広告物を作っているのは重々承知なのですが、
どうしてもその欲求には逆らえないのでした。

そうして仕事を続けるうちに、
やりたいことが次第にわからなくなった自分は、
だんだんとしんどくなってしまい、
頭も回らなくなり、適用障害の診断を受け、
休職することになりました。

休職中
「自己分析をしまくる」

休職中はゆっくりしろと言われても、
ゆっくりできる性格なわけもなくw

とにかくこの頭の回らない状況から脱するために、
自己分析の本を買いまくり、読み漁り、
自分の欲求と価値観と向き合いました。

とにかく何度も何度も
過去を振り返りました。
そして自分は確信しました。

やっぱり自分は
「やりたいことをやる人生を送りたい!」
そして
「自分のアイディアを形にしてしっかり評価されたい!」
という強い欲求がコアにあることを。

改めて振り返ると、
コピーライターをやっていたことで、
うまく言語化することができたんだと思います。

そしておせっかいだけど、
自分がやりたいことで生きる姿を見せて、
一人でも多く
「やりたいことで生きる人を増やしたい」
思うようになりました。

この
「やりたいことで生きる人を増やしたい」
という思いにも原体験がありまして、
高校から大学にかけて、
石原青年は、
UVERworldのTAKUYA∞さんの
MCがブッ刺さっていたのでした。

TAKUYA∞さんみたいになりたいと思っていたのでした。
以下の想いを忘れていたのでした。

自分の言葉で
その人の人生を
「やりたいことをやる人生」に
変えていきたい。

そんな強い欲求を持っていたのに、
アーティストになることを諦めた時に一緒に
もう叶わないと諦めていたのでした。

でも違う!!!

アーティストは手段なんだ。
他の手段なら
「やりたいことをやる人生に変える」ことができるんだ。

そう思い直して、
どんな手段があるかを考えるようになりました。

2024年3月、独立

休職後、職場に復帰してからは

「やりたいことをやる人生に変える」ためには、
どんな仕事があるのか。

と考え続けていました。

そして出た答えが、
「人のやりたいことを見つけて応援する」ことを
仕事にする
ということでした。

「やったことない」
「うまくいくかわからない」
「きっと呆れられるだろうから周りにも話せない」

そんなネガティブな感情が体を充満しながら、
自分のお得意の「やりたいことをやりたい」という
強い欲求が勝り、
2024年の3月に独立しました。

それから、
迷いながら、悩みながら、諦めそうになりながらも
人の武器(強い欲求×隠れた才能)を言語化する
『武器発掘プログラム』をリリースしました。

人生に迷った時、石原がいます!

ここまでお付き合いいただきありがとうございます!
長かったですよね!
だらだらと書いてしまった!!

でも覚えておいてほしいことは、これだけ。

あなたの「〇〇したい!」という強い欲求を満たすことが、
あなたの人生を絶対により良くする。
だからその想いを捨てないでほしい。

一人で自己理解をすることを僕は勧めません。
なぜなら、
一人で出した答えは、
「頭で考えた」答えになっていることが多いから。

実際にプログラムを提供する中で
本当にやりたいことは「心」が知っている、
ということに気づきした。

受講者の方が
本当にやりたいことについて話す時は
「声」が「表情」が「目の色」が変わります。

心からの答えは「体」に出ます。

だから、

絶対に「自己理解」は二人でやるべき。

加えて、
過去を振り返ってもらいながら
客観的に「共通している欲求」や
「本人が当たり前と思っている隠れた才能」
に気づくためにも
自己理解には「相手」が必要。


経験から、そう確信しています。

現状にモヤモヤしている人、
やりたいことが見つけられない人、
やりたいことをやって生きていきたい人がいたら、
ぜひ石原を頼ってください。

絶対にやりたいことを見つけます!!
心からやりたいと思えることを見つけます!!

無料カウンセリングをやっています。
もしかしたら、
そこで答えが出る人もいるかもしれません。

冷やかしでもなんでもいい。
ただただ僕は、
あなたに「やりたいことをやって生きてほしい」だけ。

LINEのお友達になって、
ぜひ希望の日時を教えてください!

そして一度お話ししましょう!!
僕と一緒に「やりたいことをやって生きる人生」を歩みませんか?


P.S.
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武器の見つけ方や、
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ぜひ聞いてみてください!


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