谷口 実里
この星に生まれ落ちて、私はずっとジョンを探す旅に出ているのだと思う。 オノ・ヨーコと呼ばれていた時があった。 前髪をセンターで分けて、長くて黒い髪に細かくウェーブをかけていた時に、そう呼ばれていた。 「初めてお会いした時、あ、この人ヨーコだ、と思いました。こうしてお話をさせていただくようになって、やっぱりヨーコだ、と思いました。」 私のことをヨーコと呼んでいた人は、以前そのようにお話をしてくれた。 私がヨーコと呼ばれていた時、自分のことが嫌いだった。 特に自分が依存体質な
真っ白な部屋の中、私たちは外の世界を知ることができない。 大部屋に流れるテレビのニュースの情報だけを頼りに、4月に咲く花に思いを馳せていた。 ここは閉鎖病棟。 外へ出られる窓も、綺麗な植物も何もない、ただ鍵のかかった真っ白な部屋。 皆が何かを抱えていて、だけどここにいる理由はあえて誰も聞かない。 私たちはその部屋でなるべく心穏やかに、たまに懐かしい歌を一緒に口ずさんで、ただ一日が過ぎていくのを待っていた。 テレビの桜前線のニュースで、今週の土日が満開になることを知った。
私が外に出る日はいつも雨が避けてくれる。 今年3月に大学を卒業し、4月から週3、4日程度で働きに出ている。 4月から12月末まで、2022年の勤務日数を計算したら約110日。(夏に休職していた期間を入れたらもう少し少ないが) その間出勤時に雨が降ったことが、なんと2日しかない。 私が出勤する日は必ずと言っていい程お天気になる。 4月から今の職場に勤めはじめて、最初は「いつも晴れるなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。 しかしそれから6月に入り、梅雨が異常に短かったことを受け
なんとなく 「今日で命を終わらせたいな」 と思ってしまった日でも 「また明日ね」 と笑顔で手を振ってしまう。 “その一歩”をどうにか踏み込まないように たった今 呼吸を繰り返している事実から なるべく意識を逸らす。 私には「明日」を約束した人がいる。 「これはきっと悪い夢なんだ」 そのことだけを信じて この世界にたった一人だけの夜を迎える。 当たり前のように今日も朝日は昇る。 「目覚められた」と 自分の指先の感触を何度も確かめて、 私の大切な人達がまだ誰も悲しんでい
「こちらは気候も植物も大分春めいてきて、梅のつぼみも咲き始めているのですが、そちらはまだ雪に包まれている景色でしょうか?」 植物の人からのメッセージを受け取り、私は急いでカーテンを開けた。 二重サッシにできなかった、アトリエの結露した窓ガラスの向こう側。 残雪の中、梅の木に微かなつぼみの膨らみを見た。 「こちらはまだ雪が残ってますが、梅のつぼみが膨らんでます」 植物の人にそう返信をし、もう一度窓の外に目をやった。 まだ会ったことがない人の体温を、梅のつぼみから感じた。
8月なんて過ぎて良かった。 やっとこの呪縛から解放されるのだと思った。 二十歳を過ぎたぐらいだろうか。 夏の終わりはどうしようもなく、 虚しさを覚えてしまう。 小学生の時、近所の子たちを家へ呼んで 私の誕生日を祝ってくれた、 あのケーキが今はもう 何処にもないからだろうか。 夏をいつも一緒に過ごしていたあの子が、 今はもう遠くにいってしまったからだろうか。 あの頃当たり前にそこにあった夏は 今はもう何処にもなくて、 いつも、いつも夏の終わりは 「あぁ、こんなはずじゃな
友人が家賃3万円の部屋に引っ越した。 部屋唯一の窓の傍には灰皿が置かれていて 「特別な日に川を眺めながら煙草を吸うのが好きで」と話してくれた。 壁際の小さな本棚には、谷崎潤一郎や私の知らない外国文学が置かれていた。 彼女らしくて何だか嬉しくなった。 それまで友人は、一人暮らしをするには十分すぎる広さの部屋に住んでいた。 交通の便もセキリュティの観点からみてもバッチリな物件で、「快適」という言葉が相応しい部屋だった。 そんな彼女がある日突然「四畳半の部屋に引っ越す」と言い出し
仕事中、眉間に皺を寄せて 「すみません、変なこと言っていいですか?」 と柴野さん。 「どうかされましたか?」と私が聞くと 「実は今日、出勤前に飼い犬と遊んでいたらマスクを舐められて。で、今、マスクの中がめちゃくちゃ臭いんです。」とお話された。 背が低めで前髪を眉上で揃えている、明るめの茶髪ヘアーの柴野さん。 いつもニコニコしていて可愛らしい、 ”THE 女の子”というような人である。 それに加えてとてつもなく丁寧な方で、出勤時の挨拶では「頭がお腹につくのではないか?」という
昼過ぎに仕事を終えて自転車を漕いでいたら、いつもよりペダルが重かった。 後ろの方から変な音がしたので一旦自転車から降りてよく見てみたら、後輪タイヤがパンクしていた。 はぁ、とため息をついた。 今日はとことんついてない。 早く家に帰りたくて無理矢理自転車を漕いでいたが、タイヤが可哀想に思えてきたので自転車を押して歩くことにした。 今日は自分自身に余裕がなくて誰に対しても優しくできなかったので、せめてタイヤには優しくあろうとした。 途中で自転車屋さんに寄っていつものおっちゃん
2022年6月3日 六月に入り、祖母が扇風機を出す準備をしている。 「そろそろ すだれが欲しいなぁ」とも言っていて、夏支度を着々と進めているようだ。 しかしそんな我が家はというと、まだ冬から引き続き炬燵が出ている。 先日、会話の流れもあって祖母にそのことを話すと 「六月に入って何で炬燵が出とるんなん!」 と呆れられた。 本日の最高気温27度。祖母の意見はごもっともだと思う。 それでも少し肌寒い夜に、スイッチは入れずとも炬燵に足を突っ込むと何だか気持ちが良い。 季節感がない
メッセージのやりとりをする相手なんて掃いて捨てるほどいる。 それでも心が満たされないのは何故だろう。 顔の見えない相手からの返信を待っている。 スマホを何度も立ち上げ、通知がゼロなことを確認する度に落胆する。 傷つくことが怖い。 それでも自分が相手を傷つけることにはもう鈍感になっている。 ちょっとした言葉で、態度で、簡単に切ることができる世界。 「またダメだった」その少しの心の傷を埋めるように、また違う誰かを求めて指先を左右に動かす。 誰もが幸せになりたい。 それもただの
おばあちゃん家の猫が死んだ。 いつもは魚のにおいがプンとするのに、その日は食べたものを吐いてしまったせいか、胃酸の酸っぱいにおいがした。 グッタリとした体を撫でたらその胃酸が手について、なんとなく「あぁ、もうダメなんだな」と思った。 その手についた酸っぱいにおいが忘れられなくて夜が明けた。 猫はその日のうちに死んでしまった。 ちょっと太っていて、まるまるとした猫だった。 もともとは捨て猫でご近所さんが拾って育てていたけれど、気がつけばおばあちゃんの家に住み着いてしまってい
2022年2月11日 母がやさいかりんとうのようなニットを着ていた。 「美味しそうだね〜」と笑いながらいうと、 「その笑い方ちょっと気持ち悪いからやめて」 と言われた。 テレビのニュースでは北京オリンピックの速報がやっていた。 それを脇見に家族でほうとうを食べていた。 そんな昼下がり。 昼食後食器を台所へ運び、片付ける前に私はあるとても大切なことに気づいてしまった。 私は「やさいかりんとう」と口で言いながら、頭では「サッポロポテトつぶつぶベジタブル」を思い浮かべていたこと
いつか壊れてしまうことに対する恐れを常に抱えている。 いつか割れてしまうことが怖くて、あえてお気に入りのお皿に出会おうと思わない。 いいと思ったものは大体儚くて、手にしたときに割れてしまうのではないかとドキドキする。 だから安易に触れたくない。 永遠なんてものはこの世に存在しない。 でも永遠というものをずっと探している。 だからおさないひかりさんの詩の一節に触れて、私は泣いたりもした。 先日とある展示をみた。 その中に「繊細でいいこと」と題して、作家自身が購入した焼き物