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大好きだった、夏の話

8月なんて過ぎて良かった。
やっとこの呪縛から解放されるのだと思った。

二十歳を過ぎたぐらいだろうか。
夏の終わりはどうしようもなく、
虚しさを覚えてしまう。

小学生の時、近所の子たちを家へ呼んで
私の誕生日を祝ってくれた、
あのケーキが今はもう
何処にもないからだろうか。

夏をいつも一緒に過ごしていたあの子が、
今はもう遠くにいってしまったからだろうか。

あの頃当たり前にそこにあった夏は
今はもう何処にもなくて、
いつも、いつも夏の終わりは
「あぁ、こんなはずじゃなかったのにな」
と思ってしまう。
それでも夏をどうにか捕まえたくて
今年は夏の終わり、ひとり海辺で
日が沈んでいく様子を観察したりしていた。

26年前の8月31日、夏の終わりに生まれた。
幼い頃は母が大きなケーキを焼いてくれて、
私の生まれた日をお祝いしてくれた。
暗闇の中、皆がバースデーソングを
歌ってくれて、
ケーキのろうそくの火を消す瞬間が
たまらなく好きだった。

あれから私も歳をとって、26歳になった。
あの日から大きくなっただけの体と、
何をしても変われない自分がそこにいて、
クーラーの効いた部屋、ただ天井を見る。

それでも今年の誕生日
「こうして生きてお祝いができて良かった」
と私に語りかける母の姿を見て、
もしかしたらそれだけで
良かったのかもしれないと、
9月に入って思った。

夏が終わる。
2022年のどうしようもなかった夏だ。
心にザラザラしたものを抱えながら
ふと見上げた空は昨日よりも
高くなっていて、
そっと秋の訪れを感じた。

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