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やさいかりんとうなニット

2022年2月11日

母がやさいかりんとうのようなニットを着ていた。
「美味しそうだね〜」と笑いながらいうと、
「その笑い方ちょっと気持ち悪いからやめて」
と言われた。
テレビのニュースでは北京オリンピックの速報がやっていた。
それを脇見に家族でほうとうを食べていた。
そんな昼下がり。

昼食後食器を台所へ運び、片付ける前に私はあるとても大切なことに気づいてしまった。
私は「やさいかりんとう」と口で言いながら、頭では「サッポロポテトつぶつぶベジタブル」を思い浮かべていたことを。
やさいかりんとうとサッポロポテトつぶつぶベジタブルは似ている。特に形。
だが圧倒的に違うのは「色の粒がまばらにあるかどうか」だ。
やさいかりんとうにはそれがない。
サッポロポテトつぶつぶベジタブルにはそれがある。
母のニットは断然後者だ。
だからやっぱりサッポロポテトつぶつぶベジタブル、なのだ。やさいかりんとうではないことがわかってしまった。

どうでもいいが少し悔しい。
記憶の入れ違いみたいなものが人生において多々ある。
話をしている中で相手を「?」とさせてしまうことがある。
どれも記憶の入れ違いからくるものである。

大切な人に言われた大切な言葉だって、一言一句覚えていない。
記憶はいつも朧げで、「大切だ」ということだけが残っている。
だからこそ良いのかもしれないが、だけどやっぱり残したい、記憶を閉じ込めたいと思ってしまう。

だから私はこうして絵を描いたり言葉を紡いだりしているのかもしれないと少し思った。
久しぶりにサッポロポテトつぶつぶベジタブルが食べたくなった。

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