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精神病棟part3

9時って暗い

 現代社会に慣れていると9時なんて夜の中腹にようやく達したくらいで、深夜にかすりもしないそんなイメージ。

 でも病院でいざ9時に消灯されると9時は自然そのままの深い夜の姿を僕に見せる。

 その暗さはもう3時とかその辺の深淵と全く遜色はない。じゃあ何がこの2つを分かつのだろう。

 人間のエゴ。それが1つの解だろう。エゴで流される電流を基にネオンが街に煌めいてまだまだ夜は長いぜ!とアピールしてくる。その光の多寡で3時と9時は分けられて『深夜』とか『夜』とかそういう記号的な名前が与えられてただけだ。

 その裏で田舎の山奥はもうまっすぐに闇の中に突入していて、夜行性の動物たちの鳴き声や臭いが獣達に夜の時報を伝える。まだ9時なのに…もう9時なんだ。

 現代社会はどれだけ彼ら自然と乖離すれば良いのだろう。その肥えた人間のエゴによって絶えず高くなる彼ら自然との間の壁に堪えに耐えられなくなって萎えて暴走した人たちがこの隔離病棟に収められてる気がしてならないんだ。


夜を無限に延長する機械、スマートフォン。

 もし仮にあなたがスマホを見てこの文章を『深夜』に見てるとしたら、それこそ自然との乖離に身を預けてしまっていることになる。昼行性の動物たちはもう寝てるよ。

 ネオンやブルーライトの光に目が焼かれて2等星すら見えなくなった都会の空と違い、病院の中はちっさな足元のランプすら眩く道を照らす。9時の常夜灯ってこんな明るかったんだ。

 夜の病院って怖いイメージだったけど、生憎ここはそれより怖いものから逃げてきた人たちが集まってるし、おばけなんて怖くない。ここに来る前の、眼の前の現実に比べればずっと。常夜灯のおかげで明るいし。

 きっと僕ら病棟の住人は、いや現代人は気づいてないだけだと思う。この常夜灯に。

 例えば、日々ご飯が食べられていること。おはようと言ってくれる家族がいること。バカ話ができる友人がいること。あったかいお風呂に入れること。今日も生きていること。

 そんな眩いばかりに光ってたはずの常夜灯がネオンに映る高級品とか、ブルーライトの中でうそぶくインフルエンサーの高額お買い物とか、そんな人工的な光で覆い隠されてしまって、見えなくなってただけだと思う。そんなギラギラ光るもの身に付けなくても、しっかり僕たちの足元は常夜灯で照らされていたはずなのに。


 辺りが暗くなったら早めに寝ないといけない、もし暗くないように感じるなら、エゴの光に背を向けて、夜を深めなければいけない。

そうしないと常夜灯に気付けない。



name:Makoto

TEL:07026637451




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