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1週間の富士山、観察日記

5/18~5/25の1週間、富士山の麓の山梨県富士吉田市に滞在した。いま私はADDressという日本全国定額住み放題のサービスを使って、家をもたずに暮らす多拠点生活をしている。

たまたま、富士吉田に提携の拠点があったから、という温度感で足を踏み入れた。富士山が、近い。その近さと存在感に圧倒されて過ごした1週間だった。

1週間の富士山観察日記

せっかく1週間いるのだから(あんまりほかにやることがなかったし)、富士山を1週間観察し続けようと思った。

たぶん毎日天気や空気で違うんだろうなあ、と思ったので、その変化を味わってみよう、と。そんな1週間の富士山の様子を観察した日記です。読み終わったあとには富士山への愛着がわいてくる(はず)。

1日目:うっすら富士山がお出迎え

まずは富士吉田駅に到着。拠点にスーツケースを置いて、食材を買いにスーパーへ。商店街を散歩しがてらスーパーへ向かった。

今日の富士山

存在感…!

晴れていたけど、くっきりではなく、遠くにうっすらと見えた。むしろ、うっすらだからこその存在感。迫ってくる感覚というか。普段この辺に住んでいるひとたちは、こんな富士山の存在感を受け取りながら暮らしているのか…。常に見られている感じで落ち着かなさそうだなあ、と感じるんだけれど、実際はどうなんだろう。

2日目:くっきり。散策を楽しむ

2日目、朝起きたら部屋に太陽の光がさんさんと降り注いでいて。「これは富士山綺麗に見えるかも」と思い、6時に起きて散歩へ。案の定、くっきりと思い描く「富士山」に出会えた。

今日の富士山

午後になると曇りで見えなくなっていた、朝の富士山

少し雲はかかってたけれど、思い描く富士山だった。うん、綺麗!富士山に向かって坂道をひたすら登る。富士山に向かうにつれて上り坂になっている、きっと大きく見ればいま歩いてる部分も富士山の一部なんだろうな、なんてことを考えながら。

富士山に向かって歩いて行くと、1900年以上の歴史を誇る「北口本宮冨士浅間神社」へ到着する。

富士山登山道としても知られている場所

朝の空気ってすごい。いつも朝の空気を表現するときに、私は「凜とする」みたいな表現を使うことがあるのだけれど、なんだろうな、「スッと背筋が思わず伸びてしまう」ような。朝の空気は、鋭い気がする。

緑をたくさん補給

晴れているからこそ見える、木漏れ日が私は大好き。晴れの日の特権。そんな景色を見ると嬉しくなる。

3日目:どんより曇り空

3日目。1日曇りだった。けど、意外と「そこに在る」感じでしっかりと存在をとらえられた。やっぱりすごい。

今日の富士山

なんだかのっぺりしている…

曇りだけど存在感は相変わらず。なんだかのっぺりしてて絵が張り付いているみたいだね、ということを一緒にいた方と話していた。ふつうの街が映画のセット?みたいなものに囲われているのを想像した。(映画「トゥルーマンショー」みたいな…!伝わる?)

今にも消え入りそう…

天気は下り坂になっていて、時間が経てば経つほど消え入りそうになっていて、結局最後には見えなくなってしまった。こうやってずっと富士山のことを気にしながら時間を過ごすのは面白い。「まだ見えるかな…」「あ、もう消えそう」みたいな、富士山の存在をいちいち気にしてしまう。

4日目:雨。富士山はお休み

この日はずっと天気が悪かった。昼から雨が降り出して、もう富士山の面影すらなかった。

今日の富士山

富士山、があるはずの場所

富士山がないと、少し寂しい。まあでも、富士山だって隠れたいときあるよね、いっぱい休んでね、という気持ちになった。すでに感情移入し始めている。

なんてかわいい建物…!

雨の日は、商店街がしっとりとするから好き。いつもよりレトロ感が増す気がするし、どうしてか晴れの日よりもたくさんシャッターを切ってしまう。

名物・吉田うどん

この日は、名物の吉田うどんを食べに行った。麺のコシが強くて食べ応えがあっておいしかった~!

5日目:雲が多くて今日もお休み

日曜日。天気は良かったけど、雲が多かったので富士山は見えなかった。カレンダー通りの休みみたい。

今日の富士山

意外と見えないものだなあ

雲が厚いと案外見えないもの。富士山の麓の街に来れば、毎日パンフレットや写真で見る「あのきれいな富士山」が見えるものだと思っていた。完璧じゃない富士山もいて、なんだか安心。見えない日があるからこそ、見える日には倍のうれしさがあるのかも。

6日目:ついに見れた!完璧な富士山

夜に雨が降っていて、翌日には晴れだったので、「もしかしたらきれいに見えるかも…」と思い、片道徒歩40分かけて富士山が見える山へ。案の定、私が思い描く完璧な富士山に出会えた。

今日の富士山

おー!

毎日散歩がてら山に登りに来ているおじいさんも「今日はとくにきれい」と言っていた富士山。いやもうほんとうに「富士山」だった。毎日富士山を観察していて、見えない富士山も観察していたからこそ分かる、この完璧さ。日々の違いを楽しんだからこそ、この景色が「最高」だと「認識」できるんだ。

富士山のある街で暮らすって…?

富士山の麓に暮らすひとたちは、日々どんな気持ちで富士山のことを考えているのかがすごく気になる。あの景色が当たり前なのか、この日みたいにきれいな富士山を見られた日は頑張ろうとか思えるのか、別になんとも思わないのか、どうなんだろうなあ。富士山がそこにある環境で育つ、って間違いなく普通じゃない気がするけど。私が特別視しすぎなのかな。

街中に堂々と映り込む富士山もかっこいい

私たちにとって富士山は観光名所というか、特別なものでしかないけれど、そこに住む人たちにとっては、これが日常で「日々の景色」なんだな、と思うとなんだか不思議な気分。

日本各地を旅していると、私たちにとっては「観光名所」である場合も、そこに住む人たちにとっては、「ふつうの暮らし」であることに気づかされる。その微妙な、けれども決定的に違う「何か」を味わいたいからこそ、私は旅暮らしを続けているのかもしれない。

7日目:雲が多くて見えない

晴れていても雲が多いと見えないらしい。冬は空気が澄んでいるからもしかしたら今の時期よりももっと見られるのかもしれないけれど、春から夏は意外と見えないんだなあ。

今日の富士山

こんなにも晴れているのに

この日は、歩いて1時間かけて道の駅まで歩いた。車は乗れない(ペーパードライバー)のだけれど、道の駅は大好き。「◎◎さん作」と書かれた野菜やご当地のおみやげ、街のガイドブックが並んで、見ているだけでもわくわくする。道の駅、もっと車じゃなくても行ける場所に作って欲しいな~。

8日目:最終日。もう少し

最終日。この日山梨から静岡へ移動をした。移動する前に、富士山駅に隣接するビルの6階、富士山が見える展望台へ足を運ぶ。

今日の富士山

惜しい…!

天気は良かったけど、雲が多くて見えなかった。惜しい…!1週間過ごしてみて、完璧に見えたのは2回だけだった。だからこそ見えたときには素直に喜べるし、きれいだなあ、と思えるのかもしれないね。また訪れるときの楽しみにとっておこう。

1つの景色の「変化の過程」を味わう

目を向けて、その変化をじっくり楽しむこと

1週間、富士山を観察してみて思ったことがある。1週間同じ景色を見続けるのは、「変化の過程を味わう」楽しさがあるんだなあということ。

旅をする中で1週間同じ滞在先にいて同じ景色を見続ける、ということは、一見して飽きそうだしつまらなさそうと感じるかもしれない。けれど、この「変化の過程」を味わおうという視点で景色を見ていると、なぜだか楽しくなってくるのだ。

たとえば、富士山であればずっとずっと何千年もそこに「ただ在る」だけなのに、天気や雲の形、空気、そして人の見方によって何通りもの景色が見られる。富士山はそこにいるだけなのに、たとえば江戸時代から今の街並みの変化とか、戦争を見守ってきたとか、そんなことにいたるまで。

今日は晴れていてきれいに見えても、次の日には嘘かのように隠れてしまう。そんな変化を味わいながら観察していると、どの景色を見ても愛おしくて、そこにあるものをただただ感じられるようになる気がする。

これはきっと、私が旅をしながら「暮らす」をしていないと感じられないことだと思う。だからこそ、日々の暮らしのなかでも「結果」「目の前のその人」だけじゃなくて、「そこに至るまでの過程」だとか「私の前では見せないその人の姿」だとかにも目を向けたり配慮したりできるようになる気がするんだ。

「まさに変わりゆく」過程を感じることは、対象物に対しての優しさになるはず。雨の日に富士山が見えなくても「なんで今日は見れないの?」と残念がるのではなくて「こういう日もあるよね」みたいな受け止め方ができる。

ゆっくりといろんな視点で、いろんな変化を味わいながら、旅を楽しみたい。新たな旅の旅の楽しみ方ができた気がして、とても満足度の高い富士吉田での滞在記でした。

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