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わたしの内省記録 vol.1

【わたしの内省記録 vol.1】
わたしはこれから3年くらいかけて大っきく動くんだけど、それに使えそうな、大切な要素になってきそうなことをちょこちょこメモとしてあげていこうかなって。 

内省とか、新しく得た知識から考えたことのまとめ。
あんまり需要があるかどうかは知らないけど。笑
書いていく〜

わたしは幸せと愛と豊かさに興味がある。
ほんでわたしの役割は何度も言ってるけど女性性だなあって思う。
受け入れるとか、共感するが得意で、平和主義者。
人格者になりたいとか、超いい人になること、自分を高めることにとっても興味がある。

わたしは最近
「人は依存ではなく、自分を自分で満たせるようになったらもっと幸せになれるんじゃないか」「わたしのターゲットとなる人が持っている問題が解決するんじゃないか」って思ってる。

あと疲れてる、忙しいって感じる原因として「生活」ができてない、「生活してる」って感じていないも原因になってるんじゃないかって思ってる。

わたしが今したいなって思ってるのは
「自分で自分を満たせるようになるお手伝いをすること」
「生活しているって感じるきっかけ作りをすること」
「幸せと豊かさを人々とシェアして感じること」

わたしは自分の心って、練習したら自分で満たせることができるようになるんだなって最近知った。
嫉妬とか執着とかって、自分の心を満たすことで大きな問題やったりしても、ちょっとずつ無くなるねん。

そして友達がシェアしてくれた記事に、依存していない人はいなくて、自立している人は上手に複数のところに依存していて、依存できるところが複数あるから、一つが無くなっても不安定にならない、安定するんだって記事を読んだ。

わたしも絶対一人じゃ生きていけないなあって感じてる。
だから依存って本当にないのかって疑問を持っていたんだけどそれが解決するヒントを得られた。

人って上手に依存できると自立に近づくのかもしれない。

幸せには脳科学的に言うと2つ種類があるらしい。

1つがドーパミン的価値観による幸福。
欲望の満足、夢を叶えたり、何かを達成させる時の「快感の追求」がこれの幸せ。
こんなでかい家を買うぞ!とか、億万長者になるぞ!とか、そんなんがこれの幸せ。

2つ目がセロトニン的価値観による幸福。
与えることの満足、愛情や触れ合い。

昔の社会ではドーパミン的価値観による幸福の追求で人々は幸せになれたけど、現代社会では成熟している社会だから、新しいものや、何かを一生懸命頑張って得よう!ってしても、他の人とあんまり区別がつかない。
だからドーパミン的価値観の幸福から幸せって感じることって減ってきてるんじゃないかなあって。

一生懸命に頑張っても思うようにいかないって人が増えてるのかも。ドーパミンからの幸福はもっともっと!って思うから永遠に続かないし、快感を追い求め続けたとしても、もっともっとってなるから永遠に満たされることがないよね。

じゃあこれからの人が幸せを感じていないってときに、どうやったらより幸せを感じて生きていけるのか。

その時に「セロトニン的価値観の幸福」を大切にしてみようって話が今日読んでた本に書いてた。
これからは「快感」と「幸福」を区別するのが大切なんだって。

セロトニン的価値観による幸福は愛情や触れ合いがキーワードになってくる。

わたしはここの助けになるんじゃないかなあって思ってる。
セロトニン的価値観の幸せ、つまり与えたり、愛情を受け取ったり、感じたり、それがもっとできるようになったらもっと幸せに生きる人が増えていくんじゃないかなあ。

あと、「共生」もキーワードだった。

最近わたしは環境問題にもめちゃくちゃ興味があるんだけど、「共生」って環境問題やいろんな社会問題に関してもキーワードだと思う。

そんなことを今日は考えてた。

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