2次私じだい

加速と怠惰の使い方を錯誤し依存先を探すふりをしてどんよりとした泥に埋まる

胴体から突き出た部分にすべてゴムがつけられ、動ける範囲を危険のない場所だと信じ込む。


急にオカルトや心霊の恐怖に囚われて読み漁りはじめて、こんなの怖くない!もっと怖いのってないのと妄想の深みと行動範囲の狭さは比例して刻々と必要性にたどり着くのです

 


そして、その日


8月15日夜18時過ぎ突然異変はおきました

すべて答え合わせのように


私はベッドから起きようとくるっと頭を回したら強い目眩に動けなくなりました。目を閉じると治るはずだとギュッと閉じても開けば元通り世界が揺れて駄目だ!もうこの世界は最後だとわかって意識と体は動くのに目がトンボになったように細分化されて飛べない人間の体を背負ってしまう感覚なのです

その後 気持ち悪い!吐く!ビニール袋!!と叫び。近くにいた同居人に声をかけて何度も吐くのですが止まらかった。

同居人は初めての状況だったのに、吐けば治るだろとビニール袋を渡しながら余裕だったが、家族に連絡したら『それやばい!救急車よびなよ!』と急かされたが、私は怖くてきっと治ると頑固につっぱねた

しかし吐き気はひどくなり、尺取り虫の体制になった時。観念した。

救急車が到着し目を開けたら瞳孔が尋常なく揺れてたらしい。歩くことすらままならず丁度トイレに行きたいときだったのに暫く動くことすらできなくなってしまうことになる

過去にも目眩で入院したことがあったが、アレの数倍ひどいものだった。そのきっかけは、振られた男に再開して飲み慣れない強い酒をかっこんだ夜だった。吐き気はなかった。めまいで動けなかった。あれから9年くらいたってて、薬ももらわずにただ休養ですんだのは私の弱さの警告だったのだろう

両思いになるたった一人の伴侶

を得られればもうこんな人生いらないとひたすらだったのにいざとなるとこうなるのか

やり残したこと目眩に張り付いて一緒に回り始めた

あとはただ気持ち悪さを取り除きたくて。内臓が捲れ上がる位吐き続けた

その夜MRIを取って泊まり車椅子でトイレに行けることに。

夜勤担当から専門家にかわりもう一度MRIを取ったら結果がでた


脳梗塞だった。写真から変化が丸わかり。

父も母も祖父も同じ病で、父は3回発症している。

車椅子でぼんやりと説明を聞き、点滴で血栓を溶かしカテーテルで検査もすると言われる

とりあえず生きてるだけなのに、救急の病室には仕切りなしにはき続けてる人、泣いてる人、人形のような人たちがカーテン越しに異様な存在感を出して圧倒してきた

私は一番若く稀な状況だったらしい

懸命の介護で私はだんだん現実と状況を見つめ直すことになる


生きるの面倒。無理がきかないし。

思い通りにならないのなら生きてる意味がない


自分がどれだけ慢心してたのかと

そして助けてもらう弱い存在にすぐなり得る危うい命なのかと、それなのにしぶとく生きたいと思ってしまうこととか



実は今年祖母が大往生をして、その日は弟の誕生日だったりして感慨深いものであった

コロナ禍で内輪もめではあったけど葬式に行けず携帯で特別に様子をみせてもらったりしていた。東京からいけない。

いろんな我慢が積もり積もってるがみんな同じ自分だけではない

ただそれをうまく発散できたりできればよかったけどそうもいかない人たちもいる

色んな想いの中、私はギリギリまた生かされる道が開けたのかもしれない

今回のことでいろんな検査をして自分の状況もわかり、専門家からの今後の生き方に向き合えるようになれた 有難いこと

今あれから一ヶ月ちょっと過ぎた

自宅にも帰ってきて

更に仕事にも復帰して3日だった

まだ他の病気が見つかり治療に向かう

しかしひとりじゃない

でも、十二分にいい傾向だ

またここに近いうちに来ると思う

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